黒いバラをくれるくらい

 冬の夜は明るい。多彩で無数の小さな瞬き、光沢のオーナメント、澄んだ空気を抜けて注ぐ月光。
 空気は肌にヒリつくほどに冷たくて、はぁと息をかけても指はかじかむのに、幻想的な輝きは楽しくふわふわした気分にさせてくれる。
「夜なのに、消太さんが浮いちゃいますね」
「どういう意味だ」
 半歩後ろを歩く消太さんは、ルンルンと進む私に手を引かれながら低く唸った。
 いくつも通り過ぎたショーウィンドウは一様にクリスマスカラー。会話とイルミネーションを楽しみながら、私たちはプレゼントを贈りあいたくて、なんとなくこの通りを歩いている。
 けど、私はお金のかかるプレゼントより、欲しいものがある。恥ずかしいお願いだから、どう切り出すべきか迷っているうちにショッピングデートに来てしまった。消太さんの分のプレゼントも探しているから、もちろんこのデートは無駄足なんかじゃないんだけれど。
「ふふ……イルミネーション似合うねって言われたかったんですか?」
 半分振り向いて微笑むと、消太さんはツンと視線を逸らして、別に、と呟く。
「イルミネーションならマイク先生が似合いそう。頭に……」
「アイツが光り出したら耳も目も耐えられない。想像しただけでうるさい」
「あはは。ひどいです」
 消太さんとお付き合いするようになってわかったことその一。マイク先生にやたらと厳しい。
 笑い声が雪の色になって後ろに流れていく。消太さんが白息を受けてふっと綻んだ気配がした。
「それで、何が欲しいんだ」
 消太さんは無気力そうな声だけれど、おまえが好きそうなものがいくつかあったな、と穏やかに選択肢を提示してくれる。
 コスメも服も靴もアクセサリーも、おしゃれなお店はいくつもあった。どれも可愛くてキラキラしてて魅力的で、去年までの私なら、忙しくアレコレ目移りして決められないと騒いだことだろう。けれど、今の自分の格好を見て、ん〜と長く鼻を鳴らす。お金のかかるプレゼントじゃなくて、私の希望を伝えるための、いい道筋が見えた気がした。
「欲しいものが、思いつきません」
 ピタリ、新品のブーツを揃えて立ち止まる。
 消太さんは私より一つ足音を多くして、真横に並ぶ。その視線は私の横顔に注がれている。
「だって消太さん、なんでもない日に買ってくれるじゃないですか」
「……そうか?」
 訝しげに首を傾ける姿は、先生だった頃の迫力が全然なくてちょっと可愛い。
 消太さんとお付き合いするようになってわかったことその二。私に貢ぐ癖がある。
「薄い上着でデートに行ったら、すぐにこのコート買ってくれたし」
 胸を張って、あったかくて軽い上質なコートをアピールする。冬物のコートを出す前に冬が来てしまった日のデートを思い出す。
「あぁ、そりゃあんな薄着じゃ風邪ひくだろうと」
 それがどうした。くらいに全くピンときていない顔。
「かわいい〜って言ったネックレスもすぐ買ってくれたし」
 今日も首元を彩るピンクゴールドを指先でなぞる。
「そんなに高いもんじゃなかったろ」
 社会に出たばかりの私にとっては十分高価で、買う気も買って欲しいという気もない何気ない感想だった。金銭感覚が違う上に、消太さんの懐が常夏という事実。
「消太さんのパソコン借りたら……履歴見てバッグくれたし」
 正確には、履歴に残ってたものと同じようなデザインの、もう少し高級なものを。
 コートによく合うそのキャメルのバッグを揺らすと、消太さんは、あ、と眉間に力を入れる。
「履歴見たのは、たまたまだからな?」
 たまたまだと思うには、他にも思い当たる事がありすぎて。流し目を向けると、三白眼の黒点はふいっと逃げた。
 けれど今はそれはいいの。とにかく、せっかく何かプレゼントをって申し出てくれたのに、ありがたいことに欲しいものなんて全て手に入っちゃっているのだ。だから、物じゃないものをお願いする。という流れにしたい。
「いっぱい買ってくれるから、欲しいもの、今はないんです」
 かかとを軸にくるりと四半、消太さんへと体を向けると彼は、そうか、と困ったように眉を下げた。
 同時に視線も下げたから、私の心臓はギクリと緊張する。
 ブーツを、じっと見られている。
 私だって、いつも何でもプレゼントしてもらうのは申し訳なくて。欲しいとねだるわけじゃないから、消太さんの厚意なんだけど、でもどうしたって遠慮が先に立つ。絶対にバレないように細心の注意を払って、なんとか自分で購入することのできた、身の丈にあったセール品のブーツ。
「それ……」
 消太さんが零したソレとは、確実にブーツのこと。私のクローゼットの中まで把握している彼に、気付かれないわけがない、とは思っていたけれど。
「あの、えっと、買ったんです。自分のお給料で」
 無意味にした足踏みでコツコツとヒールが鳴る。他の人に贈られたなんて誤解をされたらたまらない。そもそもブーツを贈ってくれるような人は消太さん以外にいないんだけど。
 消太さんとお付き合いするようになってわかったことその三。消太さんは独占欲が強い。
「欲しいなら言ってくれれば……」
「だって、悪いじゃないですか」
「何がだ?」
「買ってもらってばかりで」
 貢いでくれるから付き合っているわけじゃない。先生と生徒だった時から積もった灼熱の恋慕を、卒業後に震えながら打ち明けて、奇跡的に恋人の関係を手に入れて。そんな人から頂けるものなんて、全部宝物に決まってるんだけど、買ってもらうのが当たり前だと思うのは変だ。気軽に、これ欲しいなぁーなんて言うようになりたくない。
 私の負い目を聞き届け、消太さんは、むむ、と下唇を突き出して黙ってしまった。
 眩い道の真ん中で、私たちは片手繋いで向き合って、俯いて立ち止まっている。どこからどう見てもカップルなのに、甘い雰囲気とは言えない冷えた空気感。
 消太さんがくれたカシミアの手袋は、あったかいけど、素手を繋ぐより消太さんが遠く感じてしまう。気まずい沈黙が流れて、どう切り替えるべきか正解が見つからないうちに、消太さんは大きくふぅと白い息を吐き出した。 
「何か、してないと不安なんだ」
 ふわりと降って来た声は、力なく私の頭に積もる。
 見上げると、消太さんは、叱られた子どもと甘える恋人を混ぜたような表情で私を見つめていた。
「伝える行動をしないと、おまえが離れていきそうで」
 消太さんとお付き合いするようになってわかったことその四。彼は恋愛に自信がなさそう。
 私が好きと言っても、彼はどうして好かれているのかという根拠を探そうとしてしまう。そんな節がある。プレゼントが無くても大好きなのに。けれど愛されている自信を持てなくて不安だというならば、愛を伝えきれていない私の責任もありそうで。
「そんなこと、ないですよ」
「俺はアイツと違って口が達者じゃないもんで。似合う、は言えるのに、好きだとかかわいいとか、そういうのはどうも……」
 照れ臭そうに頬を掻いて、ぷいっと明後日の方向へ飛んだ視線。その先の生木のクリスマスツリーが、キラキラ点滅してその横顔を照らした。口が達者なアイツを思い出すけど、確かに、マイク先生と長い付き合いだと、言葉での表現の平均基準がぐんとハイレベルになりそうだ。マイク先生からは、褒めのバリエーションが無限に出て来そう。
 私だって、与えられるのが嫌なわけじゃないのだ。消太さんがくれた色々なものを身につけて、消太さんをいつもそばに感じていられて嬉しい。嬉しいのに、消太さんなりの精一杯の愛情表現を否定しちゃったのかと思うと、胸が痛い。
「どうせ黙ってたらおまえが買ってたものなら、俺が買っても、趣味じゃないとか言われないだろうと……」
 合理的なチョイスまで全部私のため。愛されてるが故。
「う、嬉しいですよぅ」
 ぽすんと胸に飛び込んで抱きつくと、消太さんは私の頭を撫で撫でしてくれる。好きです、をいっぱい込めて全力のハグを贈る。
「金でおまえを縛りたいわけじゃないんだ」
「わかってます! 大丈夫。消太さんが無理してないなら、いいんです。嬉しいです」
 プレゼントが消太さんからの『好き』と同義なら、遠慮したわけがない。
 ごめんなさい。頑張って考えて愛を伝えてくれてたのに、迷惑みたいな顔しちゃって。
「おまえが、俺のあげたものを身に付けていると嬉しいよ」
「私も、消太さんがくれたもの着るとテンション上がります!」
 よかった、と心底安心したように緩んで下がった目尻。イルミネーションが反射して、きらりと光を湛えた瞳。
 消太さんの目は私にたくさん好きを伝えてくれてるから、それだけでも本当は十分蕩けそう。
 さっきの沈黙の寒さが嘘みたいに、指先がほかほかしはじめる。私たちはまた手を繋いで、キラキラの街を歩きだした。
 歳の差もあるからなのかな。消太さんが不安にならないように、私ももっとたくさん好きを伝えなきゃ。
「あ、消太さんは何がほしいですか?」
 元気に揺らした手。最初みたいにルンルンと弾んで消太さんを引っ張りながら、う、と脳内が泣きそうになる。
「俺は……おまえが……」
 あれ、ちょっとこれは。下ろし立てのブーツが足に合わなかったみたい。歩くたび、つま先がズキンと痛む。あ、消太さんの欲しいもの聞き逃しちゃった。痛みを隠そうとして意識がそっちに集中しちゃって。
「どうした?」
「や、その……」
 消太さんに隠れて買った靴が、まさか合わないなんて。悪いことをしてバチが当たったみたい。いや自分で買い物するのは悪くなんてないんだけど、謎の罪悪感があって言い淀む。
 それに、痛いなんて言ったら絶対に靴を買いに行くことになる。そうしたら、私のお願いはどうしたらいいの。
「足、痛むのか?」
 消太さんは再び歩みを止めた。
 顔に出さないように必死になっていたのに、バレてしまった。やっぱり何でも見通されてる。大人の経験値と観察眼に勝てない。それを抜きにしても、消太さんは私の変化に敏感だ。誤魔化せない。
「痛い……です……」
 素直に答えると、消太さんは、そうか、となぜか嬉しそうに微笑んだ。
「一緒に、ちゃんと足に合う靴を選びに行こうか。やっぱり安いものより、質の良いものの方がいい」
 くるり、来た道を戻ろうと向きを変えて、消太さんは優しく私の手を引く。
「う〜、悔しいです。失敗でした」
 消太さんが買ってくれるものは、どれも快適で長持ちしそうで、私によく合うのに。自分で自分に選んだものが、こんなに合わないなんて。それにしても、どうしよう。やっぱり靴を買いに行く流れ。
「抱っこしようか?」
「歩けます! そこまで甘やかさないでください」
 クスリと笑われて、ゆっくり手を引かれて。痛む足と後悔に、うぅと呻きながら。
 大人な消太さんに見合うようになりたいのに、結局私は消太さんに面倒見られてる。
「ごめんなさい……」
 何の謝罪か自分でもよく分からないけど、なんだか謝りたくて。
「いいんだよ。おまえにしっかりされると俺が困るんだ」
 消太さんは前に視線を向けたまま、何か小さく呟いた。定番のクリスマスソングがそれを半分以上かき消してしまって、見上げて聞き返してみるけれど、消太さんは緩く頭を振るばかり。
「何でもない。靴、俺が買っていいな?」
「クリスマスプレゼントに、ですか?」
「あぁ。ちょうどいい」
 おしゃれな靴屋さんの前に辿り着いて、意気揚々とドアに手を伸ばした消太さんをぐいっと引き止める。
「あの、待ってください」
「ん?」
 振り向いて、私を見下ろす顔はいつ見てもかっこいい。優しくて厳しくて素敵な消太さん。靴を買ってもらうならば、私のお願いはただのワガママになってしまうんだろうか。でも、本当にプレゼントに欲しい物を、諦めることはできなくて。
 意を決して、乾燥した空気を吸い込む。
「本当は……プレゼントに、消太さんにお願いしたい事があるんです……」
「なんだ。いいよ、言ってごらん」
 リクエストを聞けることにワクワクした様子の消太さん。弧を描いた薄い唇は、私の言葉を穏やかに待っている。
 見つめ合っているうちに、どんどん顔が熱くなって、痛むつま先へ逃げるように目線を泳がせる。
 本当は、何も欲しいものがなくて、全部欲しいものは揃ってて、だから、とお願いするつもりだったのに。ひとつも予定通りにいかない。恥ずかしい。けど、私が言葉を紡ぐのを急かさず待っていてくれる消太さんを前に、甘えて黙ってるわけにもいかない。
「あの……あのですね」
「うん」
 ごくり、唾を飲み込んで。冬だってのが嘘みたいに耳まで熱い。
「消太さんが帰らない日に……消太さんの枕で寝てもいいですか……?」
 あぁ、言っちゃった。
 寂しい時に匂いに包まれたいとか変態っぽい。寒波を吹き飛ばしそうなほど赤い顔を両手で隠す。
 消太さんは、何も言ってくれない。
「あの、無理なら、いいんです! 気持ち悪いこと言っちゃいました。あの、引きました……?」
 沈黙に耐えられなかった早口がぽろぽろこぼれる。
「勘弁してくれ……」
 恐る恐る指の隙間から覗いてみると、消太さんもなぜか片手で顔を覆っていた。
「おまえ……。こんなに好きにさせてどうするんだ」
「えぇ?」
 驚いて繋いだ手をぎゅうっと握る。消太さんは、どこか辛そうに夜空を仰いで嘆息した。

 消太さんとお付き合いするようになってわかったことその五。
 彼は相当、私にベタ惚れ。


『黒いバラをくれるくらい』(※黒いバラの花言葉:貴方はあくまで私のもの、永遠の愛)

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