ハートはすでに撃ち抜いた!

 夜も深まり静まった華の金曜日。人のいない閑静な通りに私は一人、とびきりのおしゃれをして待ち人を想う。
 イレイザーは週末に少しでも余暇を持とうと、毎週金曜日は残業をこなして、大体この時間に帰宅するから。
 ほら、いつものブーツの音がした。





「イレイザーヘッド! 今日こそあなたを手に入れます!」
「またおまえか。飽きもしないでよくもまぁ」
 イレイザーのマンション前、帰宅直前の緊張も緩んだ彼を待ち伏せて、バーンと華やかに登場を決める。此度で三度目の正直。イレイザーはコレもお決まりの呆れ顔で、私に向かって盛大なため息を吐いた。
 私は世界中の人を虜にする、個性ビラブドの超絶可愛いぴちぴちの女子大生。バイカラーネイルの指先から撃つ愛の弾に撃ち抜かれた相手は、否応無く私に惚れてしまう! のに! この男は!
「私が愛されないわけないんですぅ」
「俺には効かないんです」
 手をピストルの形にして、人差し指でイレイザーへと照準を定める。今夜も追いかけっこのスタートよ。今日こそ私のこと好きになってもらうんだから!
 気合いは十分。可愛さだって十分。髪は昨日カラーもトリートメントもバッチリしたし、新調したコートに、ネイルだって先週と違うやつにしてきたし、昨夜の濃密保湿パックの効能で今日はメイクも盛れたし百点の私なの。なのにどうして、イレイザーはシラっとクールなカッコいい、じゃなくて、ムカつく顔して。私に興味ない男なんて許せない!
 逃げる先まで計算してパンパン絶え間なく撃ってるはずなのに、彼の逃げ足は凄まじい。さらに、当たりそうと思うと抹消されちゃって、ちっとも個性が届かない。
「その個性ずるい!」
「じゃあ個性使ってくるなよ」
 抹消の個性とプロヒーローの身体能力をフル活用されては、そもそも特殊な訓練を受けていない私に勝ち目なんて無いじゃない。超年下の女の子相手なんだから、手加減くらいしなさいよ。悔しい。悔しい。
「もうっ! 可愛いって言え!」
「あのなぁ、無駄だってわからないのか」
 これまでは正々堂々体術メインで挑んでダメダメだったけど、今日の私は一味違う。
 用意周到、万全態勢! 事前にたっぷり準備して、公園のいたるところに罠を仕掛けてある。落とし穴とか、あと見えにくい紐とかね。奮発してセンサー付きボウガンも買ったんだから。案の定、私が無差別乱射しても平気なように、イレイザーはすぐ近くの公園に逃げ込んだ。人がいなくて戦いやすい場所といえば選択肢は限られるもの。想定通り! せいぜいそのまま油断してなさい!
「どーしても、あなたが欲しいんです! くらえっ」
「うっ」
 真正面で対峙して、ハンディ送風機を向ける。最大風量を裸眼に浴びたイレイザーは顔を逸らして、張っていた糸に足を取られて、見事、落とし穴(深さ20センチ)で更に足をもつれさせて尻餅をついた。
 よしっ! 抹消が途切れた!
 すかさず唐辛子スプレーを手に、地面に座るイレイザーにドスンと――いや、ドスンなんて体重じゃないもん。ふわりと跨ったの。
「おも」
「なんですって?! 重くない! 失礼すぎる!」
 左手にスプレー、右手は個性発射の構えで、鍛えられた腹筋をお尻で押さえつける。これで個性も使えない、身動きも取れない。観念して私に惚れる以外ないのよ。どうだまいったか。
「っ、んな失礼なおっさんのどこがいいんだよ」
 勝利の微笑みで見下すと、私の下でイレイザーは心底苦い顔をして舌打ちをした。眉間にも鼻にも皺寄せて、はぁー、ちょー気分いい!
「どこがいいって、いいところなんかないわよ」
「はっきり言うな。落ち込むだろ」
 落ち込むの? なにそれ可愛い。じゃなくて!
「こんなにいいところだらけの私に堕ちないイレイザーがおかしいって話です!」
「そーですか」
 ほらまたその、興味ありませんって顔! 呆れてうんざりって顔! むかつく!
「私に惚れないなんてっ、許されないのよ」
 人差し指突きつけて、さぁ、ようやくこの時がきたわ! ハートを撃ち抜いてやる、と意気込んだ私に、イレイザーは焦るでもなく淡々と呆れた目で私を見つめた。
「んじゃあ、惚れた瞬間満足して手放すのか?」
「え?」
「俺が、その個性で惚れて、で? それでサヨナラならどうぞ。こっちは清々する」
「そう言われると、そうじゃ、ない……」
 そうじゃなくて、ええと、可愛いって言ってほしくて、イレイザーと楽しく紅茶を飲みながらお菓子を食べたり、公園をお散歩したり、一緒にこたつに入って年末年始の特番を見たりしたいのよ。あれ? それってなに? 個性は一時的だから、切れたらその都度かけなおして、それをずっと続け……続けたらいいじゃないの。でも、何かそれって、ええと。
 ん、と首を傾げた、その一つの動作が、とてつもないミスになった。
 ピッと微かな電子音で、時が止まる。息も止まる。私は今、ボウガンのセンサーに触れた――。
 ぐっと身体が引かれて、ヒュン、と飛んで来た矢は私を掠め、視界はぐるりと回って天地がこんがらがって。
「形勢逆転だな」
「あっ……」
 一瞬にして私は組み伏せられ、夜空を背負うイレイザーを見上げていた。背中には地面の感触。両腕は手際よく拘束されて、頭上に縫い付けられる。顔だけ動かしてちらりと見ると、さっきまで私たちがいた位置には、ぶすりと矢が突き刺さっていた。背筋が凍る危機一髪。
「うぅぅ……イレイザ
「自分で罠にかかるやつがあるか。アホ」
 腕を捉えているのは片手だってのに、圧倒的筋力差で動けやしない。もう個性も唐辛子スプレーも何も使えないけど、負けた悔しさより矢を避けてくれた感謝で胸がいっぱいになる。襲われてるのに優しいイレイザー、って、もしかしてもう私に惚れてて、助けてくれたんじゃない? 惚れてるからこそ私に追いかけてほしくて逃げてたんじゃない? あ、そうに決まってる。
「私のこと……好きなら好きって早く言いなさいよ!」
「ハァ?」
 いつもなら少し怖いドン引きのその顔も、照れ隠しに思えてちょっとかわいい。
「とにかくね、公園にトラップを仕掛けるな。俺以外の被害が出てみろ。逮捕だぞ。個性も使うな」
「心配してくれてるの……?」
 きゅるんと勝手に目が輝いちゃう。そんなかわいさ満点の私を前にして、イレイザーは下まぶたをピクリとさせて、特大のため息をながぁく夜の風に乗せた。
「……もう、それでいい」
「ふぅん」
 素直じゃないんだから。ちょっとだけ得意な気分になって、私はふふんと鼻を鳴らす。イレイザーは眉間に深い皺を刻んで、空いている片手で目頭を抑えた。
「おまえね、俺に惚れてるなら回りくどいことするなよ」
「んえ?」
 突拍子もない勘違い発言に、間抜けな声が出てしまった。何言ってるの。頭大丈夫? どこからそんな話になったわけ?
 そんなわけない。イレイザーが、私の可愛さを認めて、私に媚びて、私と一緒にいれることを喜んで、私のわがままを嬉しそうに聞いて、私のために貢いでくれないから悪いんじゃないの!
「あまのじゃくで襲いに来るなんて、小学生じゃあるまいし」
「何言ってんのよ! 私は……っ」
 イレイザーの掌が、すっと私に向けられて近づいて来る。ビクリと警戒して睨むけど、その手は優しく頬に触れた。太くて、硬い指先。涼しい風に冷たくなった頬を、イレーザーの手が温める。なに。なに。え。攻撃じゃない。これって。
 困惑して頭の中はハテナだらけ。私を見下げる三白眼から目が逸らせない。イレイザーはこてんと首を傾げて、静かな声を紡いだ。
「俺がちやほやしないから、悔しいだけか?」
 頬に触れた手はするりと更に進み、耳輪をくるりと撫でて耳朶をふにふにと揉む。くすぐったい。なんだかムズムズ勝手に肩に力が入る。
「う、何、言って」
 ん? と意地悪に笑ったイレイザー。ひどい。ヒーローのくせに、私が困惑するのを見て楽しそうってどういうことよ!
「おまえが素直になる個性かけてんだよ」
「うそっ、イレイザーそんな、個性、あったの」
 素直にって、素直にされたら私どうなっちゃうの!? これ以上かわいくなったらどうしよう。
 そっと近づいてきた顔に、ぎゅっと目を瞑る。垂れた長髪の先がふわりと鼻先に触れて、頬を吐息が掠める。むき出しの耳に、鼓膜をゾクゾク震わせる低い声が吹き込まれた。
「なぁ……襲ってこないで、言うべきことがあるんじゃないのか?」
「ひっ! わ、わかった、わかったから耳元で喋らないで!」
 あぁもう! なんなの。心臓が張り裂けそうな程にどくんどくん暴れて、泣きたくなんてないのに涙が滲む。
「わかったって、何がわかった?」
 唇を必死に閉じても、「ん」と鼻から息が抜けて声になってしまう。なんでそんなところで喋るのよ。変態だったの? 耐えられない。もう!
「し、しません! 人に迷惑かけないし、個性を好き勝手使ったりしません!」
「よろしい」
 ぱ、と離れた顔と手。そして束ねられていた手首まで、あっさりと解放された。
 自分で言うのもなんだけど、そんな簡単に信用していいわけ? もしかして今がチャンス? それとも拘束の仕方を変えようとしているの?
 私に跨っていたイレイザーは、それももう終わりでいいと判断したみたいで、よいしょと立ち上がった。
 そろりと起き上がってみるけど、静止はない。というか、私が起きるのに手も差し伸べないなんて、紳士じゃなさすぎる。それどころか、高い身長から地面に座る私を見下ろす目が、冷たくて怖いんですけど。もっとハートの浮かぶ目をして見なさいよ。この角度、上目遣い、最っ高にかわいいはずなのに!
「で? また来週も俺を落としにくるのか?」
「あ、あ、あたりまえでしょ! 私を好きにならない男なんて……」
「これ以上個性使うなら引っ捕らえるぞ」
 ピリっと私たちの間に緊張が走った。本気の目。ヒーローの顔。爆発的に増したプレッシャー。迫力が私の二の句を殺す。
 これで今後個性を使おうものなら私は確実に本当に簡単にお縄だ。冗談でもなんでもなく、最終警告だと本能が理解する。無言の圧に拳を握って、悔しさに打ちのめされて。
 けど、けど、それで終わりの私じゃない!
「ら、来週は! 個性使わずに、その、かわいいって言ってもらうから! 覚悟してなさい!」
 ビシッと指をさしたいところだけど、個性を使うと思われたら嫌だから我慢!
 ぷるぷる震える私に、イレイザーはふっと緊張を解いた。その瞬間、ほっと胸が軽くなって酸素が帰ってきた。
 ふわり、空気は月光にそよぐ。
「あぁ。待ってるよ」
 真っ黒な長髪が風になびいて、半分くらいしか見えないその顔が、優しく微笑んだ気がした。



「トラップとか片付けて、元に戻してから帰れよ」
「ちょ、こんな美少女を夜の公園にひとりにする気?!」
「しらねぇよ自分でやったんだろ」
「最低! 人でなし!」
「個性でも使って従わせるか?」
「し、しないわよバーカ!」
「えらいこだね」
「くそぅ!」

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