運命の個性事故!?

「赤い糸が見えた……」
 ガラリ、ドアを開けたその次に発するにしてはおかしなセリフが、静かな職員室によく通った。まだ生徒もいない朝早く、数人分しかない人の目は一つ残らずドアの方へと注目する。
 私ももちろん。ん? と首を傾げながら、声の主へ視線を向けた。
 相澤さんがそこにいて、そして私を見ていた。間違いでなければ、普段無気力そうな瞳は今やたらと熱っぽく、輝いている、ように見える。
「赤い、糸……?」
 と、相澤さんが言ったのだろうか。脈絡もない唐突すぎるロマン思考に疑問符は止まらない。
「ミョウジさん……あなたは俺の運命の相手です」
「ん、え??」
 ツカツカと距離を詰めながら、相澤さんはまたおかしな事を口走った。
 相澤さん以外の全員が、きょとん、ぽかん、はぁ? と一様に目を丸くして口を開けて、誰一人として反応できない。
「ちょっと何を、言っているのかわからないんですけど」
 勢いと混乱で私は自分のデスクから立ち上がり逃げの姿勢を整える。
「感じないんですか? 俺はこんなに確信してるのに」
「は? 頭……じゃなくて、個性事故でしょう! そうですよね?」
 私の警戒態勢を見て、相澤さんはしょぼんと眉を下げて立ち止まった。隣のデスクという会話に適切な距離、だけど状態異常の相手には近すぎると感じる微妙な距離。
「プッ、クク、くそ耐えらんねぇ! はぁー朝からすっげぇエンターテイメントだな! おいおい熱すぎるだろイレイザー!」
 どうやら入り口でずっと見守ってたらしいマイクさんが、爆笑しながら入ってきた。相澤さんはキッとマイクさんを睨んで「俺は真剣に……」と言い返すから、ついに職員室は笑いに包まれて一気にざわざわしはじめる。
「ヒーッ! ソーリー、真面目な告白をちゃかしちゃいけねぇよな。ケドさ、公衆の面前で迫るのも、くっ、はは、ヤッベェその顔」
「ま、マイクさん、何事なんですか?!」
 はー、とお腹を抑えて、マイクさんは笑いをどうにか制御して、いやね、とことの顛末を話してくれた。
 要するに、通勤中の個性事故。
 個性『運命の赤い糸』個性を受けてからはじめて見た女性を運命の相手だと思い込む。恋が覚めるほどドン引きすれば、思い込みは解ける。
 なんて、なんて、なんて迷惑な個性!
「あ、相澤さんは、ここまで女性を見ずに、来られたんです……?」
「奇跡的にネ」
「何言ってんだ、俺は個性事故関係なくミョウジさんと運命の赤い糸で結ばれている」
 ドッと沸く職員室。その中で一等ボリュームの大きく手の届く場所にいたマイクさんは、相澤さんの肘を食らって、グフ、と違う意味でお腹を抑えてしゃがみ込んだ。
「う、あの、待ってください……」
 私は、相澤さんが好き。こっそりひっそり想いを寄せていた。のだ。なのでこの状況は、もう願ったり叶ったりというか、そんな真剣に見つめられたら嬉しいし恥ずかしいしニヤニヤしちゃうしどうしたらいいのか分からない。
 けど、それが個性事故による感情なら話は別。
 このまま相澤さんの好意を受け入れたとして、何か引かれることがあったら、不満とか話し合いとかそういう余地なく愛がゼロになるわけだもの。そんなの望んでない。
 つまり私は――。
「相澤さんにドン引きされて、嫌われなきゃいけないの……?」
 嫌われるのか、振り出しに戻るのか分からないけど。
 相澤さんの個性を解くためにやったんです、と説明すれば嫌われはしない、そのギリギリのラインで私は、相澤さんにドン引きされなくちゃいけないわけだ。
「ミョウジさん……とりあえず、今夜食事でもどうですか」
 さっきより増えた職員の目を気にも留めず、私しか見えていない、って顔して。嬉しい、嬉しくない、役得、不運。
 こんな運命、あんまりじゃない? けど、この恋は黙ってたって成就するわけもなかったし、普通科の私とヒーロー科の相澤さんじゃ接点だって少なくて、つまりピンチはチャンスに変えて、ともかくやるしかない。
「いいでしょう。受けて立ちます!」
 ドン引きさせてやろうじゃないの。そして、その後普通に、お近づきになってやる。
 決意に燃える私に、相澤さんは「よかった。では、夜にまた」と珍しく柔らかな表情なんか見せて、ずきゅんと私の心臓を撃ち抜いて、ふわりと踵を返して自分のデスクへと去って行った。
「ゴシューショーサマ」
 足元から聞こえた労いに、私は複雑な感情を奥歯で噛み潰す。まさか、初めて二人きりでする食事が、こんなきっかけだなんて。
「ほんと……わけわからないんですけど!」
 かくして、私の『相澤さんにドン引きされろ作戦』ははじまったのである。

-BACK-



- ナノ -