ドアをノックしてハグしてキスして

[相澤が教師になったばかり。同棲をはじめてからの話]



「ナマエ、次の日曜、どっか行かないか」
 晩ご飯を食べながら、消太は、久しぶりに一日休めそうなんだ、と言った。
「どっか遠くでもいいし」
「日曜日ねー」
 何か予定を入れていた気がして、スマホのカレンダーを開いてみる。そこには友達とショッピングに行く予定が。そうだ、もうすぐ消太の誕生日だから、プレゼント買いに行こうとしてたんだ。消太の誕生日までにフリーな日がこの日しかなくて。
 どうしたものか。サプライズ、ってわけでもないけど、プレゼント買いに行く宣言も興醒めだろう。
「ごめんね、その日友達と遊ぶ予定入れちゃった」
 消太とデートもしたかったけど、仕方ない。先に友達と約束したし。休みはまたあるし。プレゼント買いたいし。
「……ずらせないのか、その予定」
 いつもなら、そうか、の一言で流れるのに、食い下がってきた消太の声に顔を上げる。
 え、何その顔。
 いや、何の変哲もない無気力顔だけども、多分浅い付き合いの人は気づかないんだけど、私から見ると、しゅん、と効果音が聞こえてきそうな表情。
 綺麗な所作で箸を操りご飯を一口運ぶ、その動作さえどことなく覇気が無い。
「え、と、何か特別なアレだった?」
「べつに、ただこの前の休みもお前仕事だったし、次は一緒に過ごせたらと思っただけだよ」
「そ」
 私も、ご飯を口に運んで咀嚼する。それならショッピングの予定は、友達には悪いけどなんとかずらすかなぁ、プレゼントはネットで買うか、でもやっぱり見て選びたいけど……。
 少し会話が途切れて、緩慢に食事だけが進む中、なんだか居心地の悪い空気が漂う。
 点けっぱなしのテレビから、場違いな笑い声が響いた。

「お前は一人でも生きていけそうで安心するよ」

 全くもって納得していません、と副音声が聞こえた。
 何、そんなにデートに行きたいの? まってまって、それは、私だってそうだし、ずっとそう思ってたよ。でも、ただ待つのは傷つくでしょ。どうしてそんな言い方になるの。一人でなんて。どうして。
「何それ、予定合わせたって、すっぽかすのは消太じゃん。友達との予定キャンセルしたうえで、ヒーロー活動入ったらこっちだってちょっと……」
「わかってるよ。友達と楽しんで」
 目線も合わせないで。
 カチンとスイッチが入る、不本意な音が聞こえた。
 ご飯は飲み込んだのに、代わりに悪い心が口を満たす。坂道を転がりはじめたボールみたいに、ごろごろ加速してゆく。
「私が、消太が何回ドタキャンしても笑顔で大丈夫って言えるように、したのは消太じゃん。休み合わせて、そんで招集かかって、ヒーローだからそんなの分かってるよ、私友達と遊ぶから大丈夫って、消太が気に病まないようにずっと」
「……そうだな」
 カチャンと手元も見ずにお互い箸を置く。
 文句が言いたいわけじゃない。そうする事を選んだのは私だし、嫌だなんて思ってもいない。そういうことじゃない。
「まって、まってまって、そうやって飲み込まないでよ。私にばっかり言わせておいて」
「だからお前は悪くないんだから、俺から言うことは無いよ。俺が悪かったよ」
「まって、だって、じゃあ、消太がドタキャンするたびに、グズグズ泣いて、寂しいよ〜ってやればよかったの? か弱く消太がいなきゃ生きていけない〜ってやればよかったの? 負担になるじゃん普通に考えて、だって仕方ないもんそれが消太の仕事だし。私だって仕事入る時あるし」
 止められない。わかってる、誰も悪く無い。こんな事言いたいわけじゃない。でも一人だけ傷ついた顔しないでよ。
 気持ちと一緒に、鼻の奥がツンとしてボロボロ涙が溢れる。
「泣いたよ? 何回も。実は友達誰も空いてなくて、結局一人で過ごしてた時とか、帰ってきた消太に楽しくランチしてきたよって嘘ついて」
「なんでそんな嘘……」
「それで消太が気に病まずに仕事できればって思ってたの! 私が一人で生きていけそうなのは消太のせいだよ!」
「ナマエ」
 消太が椅子から立ち上がり、ティッシュの箱を持って私の椅子の横にしゃがむ。そっと涙を拭かれても、止めどなく溢れて、嗚咽までもれてくる。
 カッコ悪い。最低だ。こんな事知られてしまったら、今後消太は私が大丈夫と笑っても気に病んでしまうじゃないか。
 止めたいのに。困った顔で優しく触れられたら、溢れてしまう。
「な、長い作戦で何日もいない時にっ、ど、どれだけ心配してると思ってるの? 元気な姿見せようとして、一人コンビニスイーツ祭りのバカみたいな写真送ってる時、私が一人を楽しめる女でよかったって思わせてたの?」
「……写真みて、その笑顔を守りたくて、戦ってたんだ。励みになってたよ」
 何年も溜め込んで、溜め込んだことすら忘れて、私はこーゆー女だって自分でも思い込んでた。消太が大きな両手で私の頬を包む。
 嫌われたくなかった、負担になりたくなかった、なのに今そんななりたくなかった私になってる。最低。縋って迷惑かけるなんてそんなの愛じゃないなんて、女々しすぎる女は流行らないよねなんて、友達に言った強がりが全部私に帰ってくる。最低なのに、涙も言葉も止まらない。どれだけ好きか、好きで好きで苦しいって、叫びたい。
「……ひどい怪我して病院から連絡来るたびに、震えて頭が真っ白になるのに。まさか、私が一人で生きていける女だから、命まで軽く捨てていいと思ってるの?」
「そんなことない」
 頬を包む手から逃れようと抵抗しても、離してくれない。膝立ちになった消太の顔が、近づいてくる。
「安心しないでよ! まったく生きていけないから! 消太、そんな安心の仕方で命まで軽くしないで」
 吐息のかかる距離で、消太が泣きそうな顔してる。薄い唇が少し震えている。
「お前を、俺が、支えたいと思ってた」
「……ずるい」
 泣きじゃくる熱い息が消太に吸い込まれていく。絆されまいと硬く結んだ唇は、嗚咽と一緒に開いてしまって、そこから消太の厚い舌が入り込んでくる。
 ふぐぅと可愛くない声が出るのに、角度を変えて何度も交わる唇。
 貪るようなキスに苦しくなって肩を押せば、ようやく冷たい空気が肺に流れ込む。頬はまだ、ずるいヒーローの手の中。
 消太は息ひとつ乱さないで、真剣な目をして言った。
「俺だって、お前が出張の時に、俺の連休かぶってたのに、何故か言えなくて全部仕事って嘘ついた」
「……はぁ?」
 おでこがくっつく目の前で、消太の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「緊急要請が思ったより早く片付いたのに、お前がもう友達とカフェにいるって言うから、まだ時間かかるって嘘ついた」
「なんで……」
「お前が楽しんでるなら、邪魔できないだろ」
 今度は私が、消太の頬を包む。
 なんだ。なんで。私達はこんなに愛しあいながら、抱えなくていい悲しみを隠してきたのか。
「カフェまで迎えに来て、俺と行くぞって攫ってくれていいよ」
「友達がかわいそうだろ」
「ひゅーひゅー! って言ってくれる友達ばっかりだよ」
 クスリと笑う。友達はみんな消太がどんな人か気になってるから、今度わざと迎えに来てもらおうかな。
「……お前が、全然言わないのに、俺から、寂しいとか会いたいとか、言えなくて」
「ちょ」
「ずっと、ちょっと拗ねてた。俺がいなくても楽しそうだなって。俺の方ばっかり、一緒にいたいと思ってるのかと」
 そんなこと考えてたなんて知らなかった。確かに同棲を提案してきたのは消太だ。あぁじゃあ合理的だからって理由はもしかして半分嘘かな。
「可愛いかよ……」
「だから言いたくなかったんだ。お前が、自分にだけ言わせるなって言ったんだろ。一人で生きていけそうなんて思ってない、実は泣いてる事あるのは感づいてたよ」
 睨んでても、ちょっと尖る唇が可愛い。怒ってたはずなのに、喚き散らしたはずなのに、もう私達の空気は軽い。驚きの告白に、涙は引っ込んでしまった。
「消太、私のこと大好きじゃん」
「お前も相当俺のこと好きだな。俺のために意地ばっかり張って」
「意地張ってたのは消太でしょ、私は気を遣ってたの〜」
「……お互いもう少し素直になるか」
「そうだね」
「お前もたまに泣いていいよ。お前がこうやってわーわー言うとこ、初めて見たけど、なんか嬉しかった」
「え〜、そんなら泣くよ、もう、毎回、行かないで〜私と仕事どっちが大事なの〜ってやる?」
「それは困るけど喜ぶ」
「急に素直」
 いつの間にか、けらけら笑って、どちらからともなくハグをする。ぎゅっと抱きしめる、慣れ親しんだ背中に安心する。
 大きな深呼吸を同時にして、そんなところまで似るのかと吐息が笑う。
「ごめんね、私言いすぎた。なんでこんな事でキレたんだろ」
「いいよ、俺もごめん……最近ナマエが不足してて、なのに素直に言えなかった。全部、言ってくれてありがとう」
 何を言いすぎて、どこが本音か、そんなのはいいの、分かってる。何年も一緒にいて、もう崩せなくなった気丈さを、その中の弱さを、見せ合えたから。
「明日、仕事行けなくしてもいいか?」
「消太の仕事は」
「実は明日は、少し遅く行っていい」
「実は私も、明日午後からなの」
「言えよ」
「そっちこそ」
 泣きべそはどこへやら、私たちは笑いあってじゃれあって、途中の食事をほっぽり出して、ベッドになだれ込む。
「日曜日、デートしよ」
「うん」
 プレゼントは消太選んでもらおう。初めて消太のリクエストを聞いて買ってやろう。今までで1番思い出に残るプレゼントになりそう。
 言葉にしなくてもとても喜んでいるらしい消太は、涙の跡を舐めとって、ちゅっと音を立ててキスをした。

 何年も一緒にいて、同じ家で暮らしてて、身体の隅々まで知り合って、好きな事も嫌いな事も、暑い日も寒い日も、悲しみも喜びもたくさん共有してきた。
 してきたよね? 私たち。だからこそ、消太はこうだって決めつけたり、私は大丈夫って言い聞かせたり、そういうのが染み付いて確認するタイミングを失っていたりする。
 でも、心の壁に、ドアがあった。硬く閉じて壁だと勘違いしてたけど、ちゃんとドアがあった。中にあったのは喚き散らしたい不満と寂しさ。もう私たちは大丈夫。お互いのドアの場所を知り合えたから。
 また意地を張ったら、このドアをノックして。
 ハグして、キスして。
 そしたら絶対、大丈夫。

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