おしゃべりと助手席
「ラジオにメール、くれただろ?」
滑り出した車はすぐに大きな明るい通りに出て、山田くんは慣れた手つきでハンドルを回す。
私は大まかな家の場所を伝えて、助手席でシートベルトを握り締めた。
チラリと運転席を盗み見てはパッと膝へ視線を戻す。すごい、山田くんだ。フロントガラスの向こうの道路標識や信号を落ち着いて確認している姿が、とても大人っぽく見える。いや大人だし、あの、ヒーロープレゼント・マイクなんだ。
その実感が湧くにつれて、こんなに幸せな事があっていいのかと不安になる。伝えたかった感謝を伝えるチャンスなのに。
「たまたま仕事終わったから、あの場所の近くまでと思ってサ。まさか見上げてミョウジサンがいるとはなァ」
楽しそうな声はラジオと比べると幾分か落ち着いていて、プレゼント・マイクのプライベート、という感じがする。
私は急いでスマホに返答を準備して、彼に見せた。
――おめでとう、ラジオ
焦りすぎて簡潔になってしまった文章に、彼は笑いながら眉を下げた。
「アリガト。はっずかしーな、全部聞いてたんだろ?」
――嬉しかったです
「本音だからネ。っつーか敬語はナンセンスだろ!」
前方の赤信号にゆっくりとスピードを落とした車が、気付かぬうちに停車する。
本音、というその言葉に嘘はないように思えて、私は舞い上がってしまう。
都合のいいエピソードだっただけ、なんて驕らないように自分を律していたのに、突然に自己肯定感が満たされて、心がむずむずと暖かくなる。
――もう気軽に山田くんなんて呼べないね。プレゼントマイクさん、かな
「ハァー? やめろって、よそよそしいのはナシ! なんならひざしでいいっての」
眉がぐっと上がって大袈裟に嫌がる様子は面白い。ラジオでもそんな風に、表情をころころ変えながら喋っているのかな。
ひざしなんて、そんな風に呼べるわけない。でも気持ちはなんだか嬉しくて、私はようやく伝えたかったことを頭の中で整理し始めた。
黙ってスマホに文字を打つ間、彼は黙ったまま運転を続けた。
――あの頃、山田くんのおかげで、少ないけど友達できたよ。今は就職して、そこそこうまくやってる。山田くんがラジオに誘ってくれたから、色々な勇気が出せて、あのラジオをやってた私が今に繋がってるって、私も思ってる。
書いて消して、赤信号のたび、どう? って顔する山田くんに首を振って。三回目の停車でまた私へと視線を向けた山田くんに、やっと完成した文を突き出す。
嬉しいけど恥ずかしくて、唇を引き結ぶ。山田くんの視線は文面をなぞり、嬉しそうに笑った。
「んなの、ミョウジサンの努力だろ! 俺はなーんにもしてないよ」
そんな、本当に、山田くんのおかげなのに。首を振って眉を顰めた私に、山田くんは更に笑った。
「けどよかった。元気そうで」
元気元気、とても元気にやってるよ、山田くんのラジオのおかげで。
今度はうんうん頷くと、山田くんは私の考えてることがわかったみたいに「だから俺はなんもしてねーの」って笑った。
伝えたかった感謝をようやくようやく伝えられた達成感で、私はとっても満たされていた。ほくほくした気持ちで、役割を全うしたスマホを握りしめる。
優しいなぁと思う。私は、ありがとうの意味を込めて口端をにこりと上げて彼へと目配せした。高校生の頃より少しだけ感情が豊かになって笑顔を覚えたことを誇ってみる。
山田くんはちょっとだけ目を輝かせて、穏やかに微笑み返してくれた。
「諦めらンなくなっちゃうな」
ぽつり、遠くを見つめた横顔から、小さな呟きが溢れる。その言葉の意味がわからなくて、首を傾げて横顔を見上げると、緑の瞳は困ったように彷徨った。
「ん、とさぁ、俺の気持ち気付いてた?」
何だろう? ラジオのこと?
首を傾けると苦笑が返ってくる。
「やっーぱなぁ。いい、気にしないで」
そんな言い方、気になるじゃない。
眉を寄せて視線を逸らす。
「そりゃ、そうか」
そうだよ、と小さく頷く。
「んー、家この辺?」
久しぶりの、スマホのいらないコミュニケーション。相変わらず不思議とテンポ良く成り立つ会話は、山田くんならではで心地いい。
地図アプリに家の場所を表示して見せると、山田くんはすぐに把握したらしく、OKとウインク一つ飛ばして迷いなくハンドルを切った。
「いいのかァ? 簡単に家の場所教えちゃって」
何か問題でもあるのだろうか。
顎に指を当ててふむんと考えるポーズをする。
「誰にでも教えンなよ?」
それは山田くんだから教えたんだよ。
教えませんよと首を振って、山田くんを覗き見る。彼はちょっとびっくりしたみたいに、ちらりと私に向けた視線をまたすぐ前方に戻した。運転中なんだからそれは当然の動作で。
「そーゆーとこォ!」
なげやりで大きめな声と、複雑な顔で尖った唇。私が目を丸くすると、山田くんは眉毛をへにょりとさせて、なんでもない、と小さくなる。
さっきから何だろう。どうにも私がきちんと把握できてない情報がありそうな気がする。
頭にハテナを浮かべているうちに、車は見慣れた通りに入り、アパートが見えて来る。
夢のような時間は終わるのだ。
ゆったりと停車した車はハザードをつけて、ギアがパーキングに入る。
ありがとう、会えて嬉しかった、とメモアプリに文字を準備していると、私の視界にぬっと派手な柄のカバーのスマホが現れた。
「あのさ、連絡先交換したいンだけど」
パチリと一つ瞬きをする。つまりそれは、連絡を取り合いたい、という事で間違いないのだろうか。私は昔と同じトークアプリを使い続けている。数年前の、卒業おめでとう、のやり取りで止まった交流には納得していた。彼は人気のヒーローになったわけで、プレゼント・マイクとして別の端末を持って、連絡先を厳選するのは当然だ。
もちろん私にとっては身にあまる光栄で、でも、だって、彼はもうプレゼント・マイクなのに。
何か言いたげな緑の瞳は、遠慮がちに私を射抜く。パチパチと花火の幻影が網膜に爆ぜて、山田くんは、ひどく綺麗で。
「次は、デートに誘っていい?」
滑り出した車はすぐに大きな明るい通りに出て、山田くんは慣れた手つきでハンドルを回す。
私は大まかな家の場所を伝えて、助手席でシートベルトを握り締めた。
チラリと運転席を盗み見てはパッと膝へ視線を戻す。すごい、山田くんだ。フロントガラスの向こうの道路標識や信号を落ち着いて確認している姿が、とても大人っぽく見える。いや大人だし、あの、ヒーロープレゼント・マイクなんだ。
その実感が湧くにつれて、こんなに幸せな事があっていいのかと不安になる。伝えたかった感謝を伝えるチャンスなのに。
「たまたま仕事終わったから、あの場所の近くまでと思ってサ。まさか見上げてミョウジサンがいるとはなァ」
楽しそうな声はラジオと比べると幾分か落ち着いていて、プレゼント・マイクのプライベート、という感じがする。
私は急いでスマホに返答を準備して、彼に見せた。
――おめでとう、ラジオ
焦りすぎて簡潔になってしまった文章に、彼は笑いながら眉を下げた。
「アリガト。はっずかしーな、全部聞いてたんだろ?」
――嬉しかったです
「本音だからネ。っつーか敬語はナンセンスだろ!」
前方の赤信号にゆっくりとスピードを落とした車が、気付かぬうちに停車する。
本音、というその言葉に嘘はないように思えて、私は舞い上がってしまう。
都合のいいエピソードだっただけ、なんて驕らないように自分を律していたのに、突然に自己肯定感が満たされて、心がむずむずと暖かくなる。
――もう気軽に山田くんなんて呼べないね。プレゼントマイクさん、かな
「ハァー? やめろって、よそよそしいのはナシ! なんならひざしでいいっての」
眉がぐっと上がって大袈裟に嫌がる様子は面白い。ラジオでもそんな風に、表情をころころ変えながら喋っているのかな。
ひざしなんて、そんな風に呼べるわけない。でも気持ちはなんだか嬉しくて、私はようやく伝えたかったことを頭の中で整理し始めた。
黙ってスマホに文字を打つ間、彼は黙ったまま運転を続けた。
――あの頃、山田くんのおかげで、少ないけど友達できたよ。今は就職して、そこそこうまくやってる。山田くんがラジオに誘ってくれたから、色々な勇気が出せて、あのラジオをやってた私が今に繋がってるって、私も思ってる。
書いて消して、赤信号のたび、どう? って顔する山田くんに首を振って。三回目の停車でまた私へと視線を向けた山田くんに、やっと完成した文を突き出す。
嬉しいけど恥ずかしくて、唇を引き結ぶ。山田くんの視線は文面をなぞり、嬉しそうに笑った。
「んなの、ミョウジサンの努力だろ! 俺はなーんにもしてないよ」
そんな、本当に、山田くんのおかげなのに。首を振って眉を顰めた私に、山田くんは更に笑った。
「けどよかった。元気そうで」
元気元気、とても元気にやってるよ、山田くんのラジオのおかげで。
今度はうんうん頷くと、山田くんは私の考えてることがわかったみたいに「だから俺はなんもしてねーの」って笑った。
伝えたかった感謝をようやくようやく伝えられた達成感で、私はとっても満たされていた。ほくほくした気持ちで、役割を全うしたスマホを握りしめる。
優しいなぁと思う。私は、ありがとうの意味を込めて口端をにこりと上げて彼へと目配せした。高校生の頃より少しだけ感情が豊かになって笑顔を覚えたことを誇ってみる。
山田くんはちょっとだけ目を輝かせて、穏やかに微笑み返してくれた。
「諦めらンなくなっちゃうな」
ぽつり、遠くを見つめた横顔から、小さな呟きが溢れる。その言葉の意味がわからなくて、首を傾げて横顔を見上げると、緑の瞳は困ったように彷徨った。
「ん、とさぁ、俺の気持ち気付いてた?」
何だろう? ラジオのこと?
首を傾けると苦笑が返ってくる。
「やっーぱなぁ。いい、気にしないで」
そんな言い方、気になるじゃない。
眉を寄せて視線を逸らす。
「そりゃ、そうか」
そうだよ、と小さく頷く。
「んー、家この辺?」
久しぶりの、スマホのいらないコミュニケーション。相変わらず不思議とテンポ良く成り立つ会話は、山田くんならではで心地いい。
地図アプリに家の場所を表示して見せると、山田くんはすぐに把握したらしく、OKとウインク一つ飛ばして迷いなくハンドルを切った。
「いいのかァ? 簡単に家の場所教えちゃって」
何か問題でもあるのだろうか。
顎に指を当ててふむんと考えるポーズをする。
「誰にでも教えンなよ?」
それは山田くんだから教えたんだよ。
教えませんよと首を振って、山田くんを覗き見る。彼はちょっとびっくりしたみたいに、ちらりと私に向けた視線をまたすぐ前方に戻した。運転中なんだからそれは当然の動作で。
「そーゆーとこォ!」
なげやりで大きめな声と、複雑な顔で尖った唇。私が目を丸くすると、山田くんは眉毛をへにょりとさせて、なんでもない、と小さくなる。
さっきから何だろう。どうにも私がきちんと把握できてない情報がありそうな気がする。
頭にハテナを浮かべているうちに、車は見慣れた通りに入り、アパートが見えて来る。
夢のような時間は終わるのだ。
ゆったりと停車した車はハザードをつけて、ギアがパーキングに入る。
ありがとう、会えて嬉しかった、とメモアプリに文字を準備していると、私の視界にぬっと派手な柄のカバーのスマホが現れた。
「あのさ、連絡先交換したいンだけど」
パチリと一つ瞬きをする。つまりそれは、連絡を取り合いたい、という事で間違いないのだろうか。私は昔と同じトークアプリを使い続けている。数年前の、卒業おめでとう、のやり取りで止まった交流には納得していた。彼は人気のヒーローになったわけで、プレゼント・マイクとして別の端末を持って、連絡先を厳選するのは当然だ。
もちろん私にとっては身にあまる光栄で、でも、だって、彼はもうプレゼント・マイクなのに。
何か言いたげな緑の瞳は、遠慮がちに私を射抜く。パチパチと花火の幻影が網膜に爆ぜて、山田くんは、ひどく綺麗で。
「次は、デートに誘っていい?」
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