nagareboshi | ナノ
 結局あれから家に帰ったが、ご飯も喉に通らず睡眠もまともに取れなかった。とはいえ体調が悪いわけでもなかったし練習試合には必ず行かなきゃいけない。朝、私は重い体を無理矢理起こして出発の準備をした。

待ち合わせ場所の駅に着くと、そこには観月先輩と木更津先輩と柳沢先輩がいた。
私に気付いた木更津先輩が手を振りながら声をかけてくる。
「おはよう、苗字」
「お、おはようございます木更津先輩」
「! …苗字、何だか…」
「え?なんですか?」
「あ、いや。何でもないよ」
私をじっと見つめて何かを言いかけた木更津先輩だったが、何もなかったかのように薄い笑みを浮かべて私から目を逸らす。すると観月先輩が近づいてきて「おはようございます」と笑った。

「おはようございます、観月先輩」
そう返すと観月先輩はいつもよりいくらか真面目そうな顔で
「今日のスケジュールはいつもの倍以上忙しいと思うのでスケジュールの確認はきちんとしておいて下さいね」
まあ苗字さんなら大丈夫だと思いますが、と付けくわえて観月先輩は私の肩をポンと叩く。それは別にプレッシャーなわけでもないし、きっと観月先輩は私を安心させようとしてくれてるのだろう。叩かれた肩から、それが伝わってきた。
私が少しだけ俯くと、観月先輩は声量を落として言う。
「…財前君に何かされたら、言って下さい」
「え?」
「僕達の大切なマネージャーに危害を与える輩は、許してはおけませんからね」
「…観月先輩……」

真剣な顔でそう言った観月先輩に、申し訳ない気持ちで一杯になる。
私はこんなに大切にされている。それなのに、私は何もできていないという不甲斐さで心が押しつぶされそうだった。

裕太君には嫌われて、観月先輩には何もしてあげられなくて、それでも私はここにいる。もうどうすれば良いのか分からない。昨日、裕太君が私に言った「好き」は本当に本当に嬉しい言葉なはずなのに、素直に喜ぶことなんてできずにいた。
(謙也の代わりになるくらいなら失恋した方がマシだ、なんて、)

 裕太君のことを"謙也の代わり"だなんて一度も思ったことない。それをあの時、真っ直ぐに伝えれば良かったのに。あんな裕太君の顔や怒鳴り声は初めてで、何も言えなくなってしまっていた。

(言えてたら、今頃私は笑えてた、のかな)



「全部、終わらせたって。謙也のためにも、自分のためにも」

「っ、――!」

 不意に蔵ノ介の言葉が頭に浮かんで、私は足を止める。
(分かってる。分かってる、のに)
驚くほどたくさんの"すれ違い"に押しつぶされそうになって、今は、きっと、それどころではない。全て自分のせいなのに。謙也とのことも、光とのことも、裕太君とのことも、全部。「私はどこで間違ってしまったんだろう」そんなことを考える暇すら無く、ただただ目の前を塞ぐ壁を越えられずに、心が恐怖で一杯になる。

「…苗字?」
「!! っあ、かざわ先輩、」
「どうしたんだ?そんなところに突っ立って…具合でも悪いのか?」
「い、いえ!大丈夫、です」

ぶんぶんと首を振って「すみません、すぐに準備を再開します!」と頭を下げた。すると赤澤先輩の大きな手が頭にポンっと乗って、思わず唖然とした顔で赤澤先輩を見上げる。赤澤部長は、歯を見せて笑った。

「今日は精一杯、よろしく頼むぞ!」


(ああ、そうか、)
そんな赤澤先輩の笑顔に、心の中で詰まっていたものが少しだけ弾ける。
(私は…)

「っ、はい…!!」


(決して、一人ではないのだ)



 20131029