nagareboshi | ナノ
 さきほどの休憩が終わってから、裕太君の様子がおかしかった。
私が洗濯機を回してから次の仕事に入ったとき、裕太君は観月先輩と何か話していたから練習メニューか練習試合の作戦のことだと思っていた。だけど私が部室を出たときに中から裕太君の怒鳴るような声が聞こえたから吃驚したが私も仕事があるから中の様子を伺いに行けなかったのだ。
案の定、休憩が終わり練習が再開すると裕太君は機嫌が悪くて練習中も小さなミスが多かったりして観月先輩に注意をされていたのが記憶にある。一体どうしてしまったのだろうと思い声を掛けようにも、裕太君は私の顔を見るたびに目を逸らしてどこかに行ってしまう。(私が…何かしちゃったのかな?)

不安な気持ちのまま練習が終わり、部員達は着替えるためロッカーの方へゾロゾロと歩いて行った。
私はコートの掃除と今日の練習の反省、そして明日の練習試合のプログラムを観月先輩と確認し合う。

「…あの、観月先輩」
掃除と確認が終わり、ロッカーへと向かう観月先輩を思わず引きとめた。
観月先輩は立ち止まり私を見る。
「何ですか?」
その声と言い方からして、裕太君の様子がおかしい理由を知っているとは思えなかった。
「あ、えっと…」

(観月先輩は、知らない)

「な…何でもないです…」

(じゃあ、何で)

私が少し頭を下げて「呼びとめてすみませんでした」と謝ると、観月先輩が私を見つめてから口を開いた。

「…裕太君のことですか?」
「、え」

図星を突かれたものだから慌てて、誤魔化すように結んでいた髪をほどいた。だけどそんなの観月先輩には逆効果だったらしく、「貴女は本当に分かりやすいですね」と笑われてしまう。
「…な、何で裕太君のことって、分かったんですか…」
「何となくですよ。まあ貴女が常に裕太君を気にしているのは僕も知っていますから」
「え?」

一瞬、なんのことだか本気で分からなくなってしまい首を傾げると「いえ何でもありません」と誤魔化された。私が追及しようとすると観月先輩はそれを遮るようにまた口を開く。

「おそらく貴女が僕に聞こうとしたのは、裕太君の様子がおかしかった原因でしょう」
「、そ…そうです」
どうしてそんなことまで分かるのだろうと不思議に思ったが気にしていたらきりがないため観月先輩の言葉に耳を傾ける。

「たまにあるんですよ。裕太君は自分の感情や思い込みに左右されやすいですから。何かがあるとすぐ態度に出る。良いようで悪い癖ですね」
「態度に…出る…?」
「ええ。要するに裕太君は自分の中の感情に馬鹿正直になり、ああやって練習に集中できず小さなミスを多発させるんです。貴女がルドルフに来る前から、今日のようなことが結構あったんですよ」
「…そ、そうだったんですか…」

このルドルフでは、裕太君の機嫌が悪くなり練習に集中できないことがたまにあるらしい。だから観月先輩は裕太君の小さなミスに慣れていたのか。そう分かって少しスッキリした。だけど結局、裕太君が何に悩んでいるのかは観月先輩も知らないようだ。
「じゃあ…あんまり、気にしない方が良いんですね」
心のどこかで納得できずにいながらそう言うと、観月先輩は頷いた。
「そうですね…まあ、おそらく明日には裕太君の機嫌も直っていると思いますよ。……彼の悩んでいる原因が、貴女ではないのなら」
「え?何か言いましたか?」
「いいえ、何でもありません。それじゃあ、貴女も早く帰りの支度をしなさい」
「あ、はい!」

最後に観月先輩が小さな声で言った言葉は聞き取れなかったけれど、あまり気に留めずに私もロッカーへと向かう。
(明日には裕太君の機嫌も直ってる、か…)
私は何だか納得できないまま、制服に着替えて部室を出た。



「!あ、」
帰る前に部室のごみを捨ててしまおうとルドルフの寮の近くにあるごみ捨て場へと向かっている途中、少し向こうに裕太君の背中を見つけた。
私は持っていたごみをすぐにごみ捨て場に置いて裕太君の背中を追いかける。

「裕太君!」
と少し大きな声でその背中に声をかけると、振り向いた裕太君はまだ不機嫌そうな顔をしていた。

「名前…」
「今日も練習お疲れ様。あの、明日は皆でがんば
「お前さ」
「、え…?」

頑張ろうと言い終える前に裕太君のいつもより低い声が私の声を遮った。
ズンと頭上から押しつぶされるようなドス黒いオーラ。裕太君のものだとは思いたくないけれど、きっと今の裕太君は私が知っているどの裕太君よりも怒っているのだろう。思わず顔を強張らせてしまった。

「な、なに…」
「謙也って、元彼?」
「、」

ぴしりと心が割れるような感覚に襲われる。
(なんで、裕太君がそれを……)
私が黙ったまま裕太君を見つめると、冷や汗が頬を伝った。裕太君は眉間に皺をよせて私を睨むように見つめ返す。
「……やっぱ、謙也の話をされると黙りこむんだな。そんなに謙也が怖いのか?お前が謙也を怖がってる理由ってなに?」
「そ、…それ、は…っ」

(私が…中途半端にけじめを付けた、から)
心の声は口に出されることはなく消えていく。私が俯くと強い力で肩を掴まれた。

「ッい、」
「俺に何にも教えてくれねえくせに…っ、俺は…俺は謙也の代わりなんだろ!?」
「――っ、…!」

裕太君のその怒鳴り声に吃驚して目をぎゅっと閉じる。肩を掴んでいた手が離れたかと思いきや、チッと小さな舌打ちが聞こえた。
「名前」
ドスの効いた声。うっすらと目を開けた瞬間、もうすっかり暗くなった空と、素早く伸びてくる裕太君の腕が同時に見えた。途端に私は反射で裕太君から逃げるようにして足を後ろに引く。すると運悪く足の後ろにあった石に躓いてバランスを崩しながら後ろの壁へとよろけてしまった。
しかし裕太君との距離はすぐに縮まり、再び伸びてきた裕太君の手によって私は壁に押し付けられてしまう。

「っゆ、た君…!」
咄嗟に裕太君の顔を見つめれば、すごく睨まれた。

(こわ、い)

強い力で押し付けられた背中がじんじんと痛む。目の前の恐怖に涙が滲んだ。決して逃がさないと言わんばかりに私の肩を壁に押し付ける手と、腰のすぐ隣の壁に当てられた手。隙を見て身体をねじってみても、余計に強い力で押しつけられるだけだった。

「前に言ったよな」
「っ、え……?」
「ビビってるの見てると苛々する、って」
「!」

「前の学校で何があったのか知らないけど、"何か"を隠してその"何か"にビビってるお前見てると苛々する」

 あの時痛いくらい私の胸に突き刺さった言葉が、また突き刺さる。
覚えてるよ、という意味で小さく頷くと裕太君は続けた。

「俺は別に名前にとってはただの友達だし、首突っ込まないでほしいのも分かる。けど俺は、」
「あの、さ…」
「、?」

私が小さく口を開くと、裕太君の言葉が止まった。

「じゃあ聞くけど…なんで、裕太君はそんなに突っかかってくるの?」
「!」

勇気を出してそう問うと、裕太君の手が私の言葉に反応してびくりと震えた。それを不可解に思った私はただじっと裕太君を見つめる。
少し間が開いて、裕太君が口を開いた。

「……一回しか、言わねえけど、」

また間が開く。


「好きだ」


(え、?)
 突然のその言葉に驚いて目を見開けば、気まずそうに目を逸らした裕太君。
何か、何か言わないと。裕太君の気持ちに、ちゃんと答えないと。そう思ってみたものの、口を開いても出てくるのは言葉にならない息だけ。うまく呼吸ができない。

「あ、の…裕太く
「でも」
「、」

言葉を遮られて口を閉じればただ暗い目をした裕太君が薄く笑ってこう言った。

「謙也の代わりになるくらいなら、失恋した方がマシだよ」
「っ、裕太君、それは違
「なにが違うんだよ!結局お前は謙也のこと忘れられなくてその穴を俺で埋めようとしてるだけだろ!!」

(違う、違うのに、)
うまく言葉が出てこなくて。ただ涙声でそう叫ぶ裕太君の気持ちが、痛いほど伝わってきて、違うよ違うんだよって心の中で何回言っても裕太君には届かない。ぼろぼろと涙を零す裕太君を見て、もうショックで何もできなくなってしまった。
ばっと壁から手を離して乱暴に涙を拭く裕太君に声をかけようとしても、その涙を私が拭おうとしても、何もしてあげられる気がしなかった。ただそんな裕太君をじっと見つめたまま、閉じない口をどうすることもできず。気付けば私の瞳からもぼろぼろと涙がこぼれた。

 裕太君は私の涙を見て焦ったように何かを言おうとしていたけれど、結局何も言わずに走って寮に入って行ってしまった。
一人残された私は、ただその場にへたり込み膝を抱える。

「っ…う、っあ、ああ、」


(どうか、どうか聞いてほしかった)

整理できていない心のまま、何が正しいのか、何をすべきなのか分からず迷ってしまっていたんだ。

(私が裕太君を一人のテニスプレイヤーとして大切に想っていることと、もうひとつ、)
(裕太君を、一人の男の子として大切に想っていること)


謙也に会いたい気持ちと、裕太君と一緒にいたい気持ち。
その中で今は、裕太君と一緒にいたい気持ちの方が大きいということを。


(どうか貴方に、聞いてほしかった。分かってほしかった)



 20130804