nagareboshi | ナノ
 人生で一番早く感じた、一週間だった。

毎日休みなく練習を重ねて一歩ずつ確実に強くなっていくルドルフの皆を、私は必死に応援した。今まで以上に皆の体や練習内容を気遣って、疲労は酷く家に帰るとすぐに眠りに落ち、朝はぎりぎりに起きて走って学校に向かう。そんな日々を続けていたら、よくクラスの友達に「痩せたでしょ」とか「無理してるんじゃないの?」と言われるようになった。だけど私はそれを別に後悔するわけでもなく、嫌になるわけでもなく、むしろ生き甲斐を感じていた。
 テニスが好き。ルドルフが好き。それだけが、私の体を動かした。

カレンダーのある日付に書かれた大きなマルは、私がけじめを付ける日。
気付けばその日まで、残りあと一日になっていた。



「名前」
今日もいつものようにマネージャーの仕事をこなしていると、後ろから裕太君の手が伸びてきて洗濯しようとしていたタオルを奪われた。
「裕太君?」
「ちょっとくらい休めよ。ちょうど休憩入ったし、俺がやっとくから」
「だ、大丈夫!裕太君だって練習で疲れてるんだから、私がやるよ」
マネージャーだもん、と自信満々に言えば裕太君は苦笑して「そうだったな。でもあんまり無理はすんなよ?」と言いタオルを渡してくれた。

私が洗濯機にタオルを入れて次の仕事に入ろうとすると、裕太君はそんな私を見て優しく笑う。



※裕太視点

 名前はルドルフに転校してきた時に比べて、痩せたと思う。
元から細い手足はまた一回りくらい細くなって、蹴ったらすぐに折れてしまうのではないかと不安に思ったりする。それでも、名前はいつだって笑顔でいてくれた。俺達の練習が終わると真っ先に駆け寄ってきて素早くドリンクとタオルを配っていく。四天宝寺にいた頃もマネージャーをやっていたと言っていたけど、それがなくても十分すぎる身のこなしと観察力、そして洞察力。気遣いもそうだけど、名前はマネージャーとして本当によくやってくれている。
(それなのに、俺は、)

 洗濯機にタオルを入れている名前を見つめていると、気付けば自然に口元が緩んだ。それに自分で気付き、慌てて口元を手で隠す。(俺、なに笑って……)
名前は洗濯機のボタンを押して次の作業へと走っていた。そんな後ろ姿を見つめていると、胸が苦しくなる。
(俺は、支えられてばかりで、)

「裕太君」
「!…観月、さん…」
ポンと肩に乗った手にびっくりして顔を上げると、そこには観月さんが立っていた。
「大丈夫ですか?体調が悪いのなら無理はせずに…」
「そう、じゃないです」
「…何か、悩みごとですか」
「、」

その問いかけに俺は何も答えられなかった。
 観月さんは元から勝ちにこだわる性格だったけど、今は何かにつけて「勝ちたい」「勝つ」と口にするようになった。その理由を、俺は何となく察していた。観月さんもきっと、名前を救いたいんだと思う。少し前に観月さんは名前と二人で四天宝寺に行った。それを聞いた時に俺は観月さんに聞きたくて、だけどずっと聞けなかったことがある。きっと、観月さんは俺の知りたい答えを知っていて、だけど俺はそれが悔しくて。どうして俺じゃない。観月さんの方が名前を知っている事実を、俺は認めたくないだけだった。
どうしてこんな感情を持っているのか分からないけど、だけど俺は、

「…謙也、って…」
「え…?」
「謙也って、誰なんですか」
「!」

口から零れたその疑問が、観月さんの目を丸く開かせた。(観月さんのこんな顔、はじめて見た…)
その観月さんの顔を見て、俺は確信した。この人は、知ってる。謙也のことを。謙也と名前の間にある俺の知らない何かを、この人は少なからず知っているだろうと。

 悔しくなって俯けば、べつに意識してるわけじゃないのに自然と手が震える。

――『謙也のことはもうええの?』

「っ、…」
あの時みたその言葉が、ずっと頭の中をぐるぐるしてて、だけどそんなメールを俺が気にする立場じゃないと思ってた。自分にそう思い込ませてた。名前はただのマネージャーで、しかもあの時は知り合ったばかりでお互いに何も知らなくて、だけどあのメールが気になるわけを、自分でも気付いてたのに隠してた。
(だけど、)

「教えて下さい…」

(俺はきっと、名前を、)

「謙也って、誰なんですか…?名前は何に悩んでるんですか?謙也と名前の間に、何があるんですか!?」

 自分でも気付かないうちに、俺はまるで怒鳴るような口調になっていた。
疲れているわけでもないのに汗が伝う。心なしか、苦しい気もする。それでも俺は、観月さんの肩を掴んで必死に叫んだ。

「教えて下さい、観月さん…!俺も名前を助けたい、救いたいって思ってます!!」
俺が最後にそう叫ぶと、観月さんは少しばかり焦ったように、けれども俺を落ち着かせるような口調で言った。
「…裕太君、落ち着いて下さい。」
ぽんぽんと背中を優しく叩かれて、俺は唇をかみしめて感情を抑え込んだ。
 観月さんはそんな俺を見てから、小さな声で言う。

「苗字さんのことが、好きなんですね」
「っ、え……?」
観月さんのその言葉に、心臓が止まるかと思った。
だけどしっかりと観月さんの目を見れば、自分が今まで逃げていたのだと実感させられる。
「おや。自分でも気付いていたはずでしょう?」

(俺はきっと、名前を、)
その先をずっと、殺してきた。きっと自分の気持ちに気付いてしまうと、苦しいことばかりが待っていると知っていたから。だからずっと、逃げてきた。本当はこんなにも、

(名前のことが、好き)


「…こういうことを本人の許可も得ずに話すのは気が引けますが、裕太君なら良いでしょう」
観月さんは声のトーンを少し落として、続けた。
「謙也というのは、四天宝寺高校テニス部二年生の忍足謙也のことですね。おそらく名前の元恋人です」
「…え…?」

頭に衝撃が走った。
まあ、そうだろうとは思っていた。名前と謙也がそういった関係であることは、察していたから。俺はそれにショックを受けたけど、今の名前と謙也は決して良い仲ではないような気がした。名前は明らかに謙也からの連絡におびえていてるような素振りを見せていたし、だけどそれは何でか分からない。俺は、それが知りたかった。

「僕も詳しくは分かりませんが、まあおそらく名前は何も言わずに四天宝寺を去って忍足君に別れを告げた。けれど諦めきれない忍足君は今でも名前に連絡をしているんでしょう。前に僕と名前が四天宝寺に行った時に分かったことは、名前も少なからず、いえ、大いに忍足君に未練を持っています。でも早く忘れようと必死に逃げている……そういった感じだと思いますよ」

僕の推測が正しいかは分かりませんが、と観月さんはそう続けた。
(いや、きっと…)
 ――観月さんの言っていることは、正しいだろう。


「でも今は、変わりつつあるんじゃないですか?」
「、変わりつつ、ある…?」
「名前も裕太君を意識している、ということですよ」
「!?」

ぐらりと、視界が揺れた気がした。(だってそれは、)

「…裕太君?大丈夫ですか?」
「は、い…」

そう返すと観月さんは安心したように「明日は、勝ちますよ」と行って練習に戻った。


(大丈夫なわけがない。だってそれは、)
(俺が謙也の代わりってことじゃないのか?)


 行き場のない不安と怒りだけが募っていく中で、もう自分でも何が正しいのか分からなくなっていた。ただ名前が好きという気持ちが溢れて、苦しくなっていくばかり。


 20130708