nagareboshi | ナノ
 あれから私は、部室の裏でうずくまって泣いた。
こうなる事なんてわかっていたハズなのにどうして私は四天宝寺に来たのだろうか。そんなの、ただ謙也を忘れられなくて自分に甘えていただけだ。そんな事ばかりがぐるぐると頭を巡って、巡って巡って巡って。涙が止まらなかった。まるでそれは洪水のように溢れてくる。

「っひ、ぐ…ううっ、…」
どんなに拭いても溢れて止まらない洪水に呆れていた時の事。ジャリッと鳴った砂の音に、肩を揺らした。この地面と足をこすらせて歩くような癖のある足音は、知ってる。

「…アンタ何で来たんや」
「っ、ひ、光…」

 顔を上げると、そこにいたのは仏頂面の光だった。私は思わず視線をずらして、唇を震わせる。光はこちらに一歩近づいて、その場に座り込んだ。きっと私と目線を合わせようとしているのだろう。私は余計に気まずくなって、膝に顔を埋める。

「こっち見ろや。ぎょーさんメールしたっちゅーんに全部無視して。言い訳聞かせてもらおか」
「…ご、ごめ、ん……」
「俺が聞きたいんは謝罪やない。言い訳や。はよ言えや、なあ名前」

強い力で腕を掴まれた。私はハッと光に焦点を合わせる。ガタガタと足が震えている気がした。

「俺、言うたやろ。謙也さんと別れたらすぐ俺んとこ来いって」
「…そ、それは…光が勝手に…!」
「あの日の事覚えとらんのか?罪滅ぼしやろ?」
「っ…!」

掴まれた腕が、ミシリと音を立てる。光の鋭い視線が私を逃がしてくれない。目尻に涙が浮かんだ気がした。そう、それは私が謙也と付き合ってから二日目の放課後の事。


二日前の今、謙也に告白をされた。中学の時から誰よりも仲が良かった私と謙也。皆からは早く付き合えだの両想いだの冷やかされていたが、実際にこうやって付き合う事になってみると、何も変わらない。謙也といるのはすごく楽しいし、時間も忘れるようだった。

だけど謙也と私が付き合う事になったのを知っているはずの光が、どういう訳か私に告白してきたのだ。

「ずっと好きやったんやけど、付き合うてみないか?」
「え?」
最初は何を言われたのかよく分からなくて、聞き返した。するとまた同じ言葉が返ってきて、心臓が止まりそうになる。嘘、嘘だと信じたかった。だけど次の瞬間、光は私を睨むようにして見つめながら強く抱きしめた。

「っちょ、光…!な、何して、っ」
「浮気してしまえ」
「…え?」

目を見開いた。光は今、何を言った?浮気?誰が…?

「ひ、ひか…」
「そんで、別れてしまえばええんや」

目の前が真っ暗になった気がした。同い年の光をこんなに怖いと思ったことはなくて。その瞳が何を考えているのか、光は私に何を求めているのかさえ。それがとても怖くて、だけど男女の差を思い知らされる。思いきり突き放そうと力を踏ん張っても、どうにもならない。光がニヤリと口角を上げて笑った。

「なあ、ここで俺が名前にキスしたら…浮気になるんやで」
「!っ…は、離して光!やだ、やめて!!」

喉が痛くなる程、叫んだ。嫌だ。嫌だ、謙也に嫌われたくない。きっと私は、ここで光に抵抗をしなかったら謙也に嫌われてしまう。最低な女になってしまう。それが嫌で、何度もやめてと叫んだ。だけど光は笑うだけ。
 ふと気付けば、光が私の首筋に唇を寄せた。

「っや、やだ、光…っ痛、!」
「あーあアンタ浮気してもうたわ」
「!?」
「それ、誰につけられたか俺が謙也さんに言うたろか」
「!?っやめて…お願い光、やめて!」

思わず光の頬を叩いた。乾いた音が響く。ああやってしまった、と。後悔したと同時に深く乱暴にキスをされた。

「謙也さんと別れたら絶対俺んとこ来いや」
こんなの光じゃないと思いたかったのに、弱虫な私は泣きじゃくりながら頷いた。



「あの日の事、忘れたとは言わせへんで」
「っちゃんと…覚えてる」
「だったら何で目合わせてくれんのや、名前」
「…っ、そ、それは、」
「まだ謙也さんの事忘れられへんのやろ」
「!」

違う。そう言いたいのに、口が動かない。どうして、どうして私はこんなにも、

「……忘れたいのに、忘れられないの…」

最低なのだろう。

「分かりやすすぎやっちゅーねん」
「…光、ごめん」
「、それで許してもらおうとか思っとらんよな?まさか」
「……何で、そこまでして、」
「愛故に、っちゅー話や」
「!」

光は正直すぎるんだ。それでいて、素直じゃない。だから余計に考えている事が分からなくて。また、顔を膝に埋めた。もう、彼の顔を見たくない。恐怖に飲み込まれてしまうから。

「……ちゃんと、愛せないよ」
「許さへん」
「え…?」

ガシリ。今度は反対の腕も掴まれて、そのまま後ろの壁に押し付けられる。目を大きく開いて、光を見た。光は私を睨んで、口を開く。

「アイツ、何やねん」
「アイツって…?」
「さっき一緒にいた男や。こないな真夏に長袖なんか着とった暑苦しいヤツ」
「…観月先輩は、ただの部活の先輩だよ」
「ほんまにそれだけか?」
「光、痛いよ…離して。顧問の先生に挨拶に行かなくちゃいけないの」
「期待しとったんやろ」
「…え…?」

押さえつけられた腕が、壁と擦れて少し痛い。光の鋭い鷹のような瞳が、まるでブラックホールのように私を飲み込んだような気がした。光が視界から消えない。怖くて、真っ暗で涙が零れる。

「顧問の先生に挨拶っちゅー理由でここに来れば、謙也さんに会える。そう思って期待しとったんやろ」
「…!そ、そんな、こと…」
「ふざけんな」
「っ痛、痛い…やめて離して!痛いよ光…!!」

ついにボロボロと流れ出した涙。それと同時に、聞き慣れた声が響いた。

「大切なマネージャーを荒く扱うのはやめて頂けませんか」
「!?」

それは観月先輩の声だった。きっと顧問の先生への挨拶はとっくに終わったのだろう。観月先輩は髪をいじりながら光を睨んでいる。光も負けじと睨み返しているようだったが、観月先輩の目つきはそれ以上に鋭かった。

「…何や、部外者は首突っ込まんでくれます?」
「部外者ではありませんよ。彼女は僕達の大切なマネージャーです」
「チッ…アンタ、名前と…どないな関係なんですか」
「ひ、光…!もうやめ、っ」

光の手によって乱暴に口を塞がれた。未だに掴まれている腕がミシッと音を立てたような気がする。観月先輩は一歩ずつ私達に近づいてきた。

「彼女を離して下さい」
「それは無理なお願いっスわ。名前は今日から俺のモンなんで」
「…そんなの、この僕が許しませんよ」
「!」

観月先輩は光の腕を掴み、そのまま上に引き上げる。それによって私から離れた光は盛大に舌打ちをして、観月先輩を睨む。こんな光は初めて見た。

「ホンマに邪魔な男っスわ…アンタ」
「邪魔なのは君の方ですよ」
「…アンタ、名前のこと好きなんとちゃいます?」
「愚問ですね」

勝気に笑う観月先輩と目が合った瞬間、光はまた舌打ちをして観月先輩の手を振り払った。

「ムカつきますわ…」
捨て台詞を吐いて、不機嫌そうに去っていく光を追いかける気力なんてなくて。私はその場でただ彼の後ろ姿を見つめた。

また一つ、不安が積もってゆく。

 20120919