nagareboshi | ナノ
 ついに今日がやってきてしまった。冷や汗でも溢れてきそうな胸の奥の不安。新幹線に乗っている時、隣に座る観月先輩はまるで私の不安を取り除くかのように、楽しい話題を持ち掛けてくれた。

「苗字さんは、関西弁で喋れるんですか?」
「はい、喋れますよ」
「そうでしたか。それにしても最近、柳沢が貴女の事ばかり話題に入れるんですよ」
「あ…あはは、そうなんですか」

しかし楽しい時間はすぐに過ぎる。何時間もあった筈なのに、感覚的には何分かしか経ってないような気分だ。
 新幹線を降りると、ざわめくホームがあの日の記憶と重なる。泣きながら新幹線に乗り込んで、全てを忘れようとしたあの日。

「大丈夫ですか?苗字さん」
「は、はい!大丈夫です」

駅からしばらく歩くと、四天宝寺高校が見えてくる。懐かしい校門をくぐると涙が出てきそうだった。

「名前?…名前やないか!!」
「わっ!」

勢いよく抱き着いてきたのは、紛れもない金ちゃんだった。私は久しぶりの金ちゃんボイスに思わず鼻の奥をツンとさせる。
まだ中学三年生の金ちゃんは、こうしてたまに四天宝寺高校に遊びにきている。(部活の時間帯だけだけど)しかし今日いるなんて、何てタイミングが悪いんだろうか。

「そっちの兄ちゃんは名前の友達かいな?」
「あ、うん。聖ルドルフ学院高校の観月さんだよ。私が今通ってる高校の先輩で、部活の先輩でもあるの」
「ふぅーん、よろしゅうな観月はん!」
「ええ、よろしくお願いします」

金ちゃんと観月先輩が挨拶を終えると金ちゃんが私の腕を引っ張り、部室の方まで走った。しかし部室がすぐそこになった時、私の足はピタリと止まる。

「名前?」
「金ちゃ…ごめ、」

ガタガタと足が震えた。会うのが怖い。もう忘れようと、二度と会わないと誓った。それなのに私はここにいる。自分をフッておいて、ノコノコと現れる女なんて、謙也はきっと嫌うだろう。

「…謙也、泣いてたで」
「え…?」
「毎日毎日、名前に会いたい名前と話したい言うて…」

金ちゃんは悲しそうだった。
私は金ちゃんの頭に手を置いて、ごめんねと呟く。観月先輩は先に顧問の先生に挨拶してくると言って、部室に入っていった。きっと気を使ってくれたんだろう。
 すると、聞きたくない声が、後ろからハッキリと私を呼んだ。

「名前…?」

私が恐れた時が、やってきた。

「っけ、んや…」

振り返ると、そこには並んで立ち尽くす謙也と光の姿があった。光は珍しく目を丸くさせて私を見ている。謙也が一歩、こちらに近付いた。

「ほんまに…名前か?」
「っ…」

俯けば、謙也が強く抱き締めてきた。温かい謙也の香りが、いっぱいに広がる。謙也、謙也謙也謙也謙也。ずっと忘れたくて、必死に忘れようとしたけれど、それでも会いたくてたまらなかった人。

「名前、名前…!!夢やない、ほんまに名前や!」

いっぱいいっぱい私の名を呼ぶ謙也。嬉しいのに、切なかった。また私は、忘れられなくなってしまう。
あの日も、あの時も、ずっと毎日。私の携帯は謙也からの着信を私に知らせていた。それなのに私は、ずっと無視をし続けた。早く忘れないと、なんて。そんな思いがずっと心を締め付けて逃がしてくれない日々。久しぶりに見た謙也の顔。目には涙さえ浮かんでいる。

「謙也…苦し、…よ」
「あ、ああ…すまん…せやけど、嬉しゅうて…名前、俺な、」
「謙也、」
「!」

冷たく彼の名を呼んだ。
その言葉の先を、聞いてはいけない気がして。遮るようにして、口を開く。謙也の顔が少し曇った。どうやら私が気付いている、ということに気付いたのだろう。私を見て、また視線をずらして。そしてまた、私を見る。痛い空気だった。息が苦しくなっていく。
言いたくないのに、言わなければならない。私は、自分がまだ彼を愛しているという事実に気付きたくないだけだった。それでも必死に掠れそうな声で精一杯の言葉を放つ。

「ごめん」

涙が溢れる前に、その場から走って逃げ出した。
こうなる事なんて、とっくに分かっていた。だからこそ辛くて苦しい。涙が溢れた頃には、また私は一人ぼっちになっていた。

 20120902