sketch | ナノ
「名前ってさ、好きなモンとかないの?」

幼馴染からのそんな質問が、ふと頭をよぎった。入学して一週間。部活は決まらない、やりたいこともない、友達も少ない、私に何を足したら「青春」になるんだろう。とにかく私にはやりたいことがなかったのだ。幼馴染の田島君は野球が好きだった。野球をしている時の田島君は、今まで見てきたどの田島君よりも輝いている。そんな幼馴染の姿を、私は今日もフェンスの向こうから眺めるだけだったんだ

 カシャンと音を立てて、フェンスにしがみ付いて泣いた。ひどく切ない青春だった。いや、それはもはや青春でもなんでもなかった。ただの虚しい空っぽな人生。なんてつまらない、なんて悲しいなんて苦しい。やることがなければ、何もやらなくて良い。何もしなければ、つらくない。部活で先生に怒られる事もない、部活のみんなに付いていけなくて苦労する事もない、それなりに勉強さえしておけば先生にも怒られない。とにかく私は傷つくのが嫌だった

「あのさあアンタ」

いきなり声をかけられて、私は涙でぐしゃぐしゃになった顔を控えめに振り返らせた。そこに立っていたのは、呆れた顔の…野球部の人。(確か、キャッチャーの人…だよね)

「な、なに?」

カラカラに枯れた喉から無理矢理に声を絞り出した。するとその人は私の顔を見てからバツの悪そうな顔をして、視線を逸らす。「…なんで泣いてんの」それは意外な質問だった。

「べつに…なんでもない」

私は嘘をつくのが下手だ。それと同じ事を、きっと彼も思っただろう。彼はまた呆れたような顔で溜め息をつく。そして私の目を見て、ハッキリと言いきった

「泣くのは自由だ。別に悪いとかそういうのを言いたんじゃねえ。ただよ、野球部の練習見ながら泣くのはやめてほしい」
「! あ、ごめ、」

ぐしゃ、と腕を使って無理に涙をふき取った。「誰か待ってんのか?」…なんて返したら良いんだろうか。私はワンテンポ置いて、消えそうな声で答えた

「…田島君」
「! 田島?…なんだ、彼女か?」
「ちっ、違う!ただ待ってるだけ」
「…何かよく分かんねーけど、田島呼んで来てやろうか?」

その方が早ェだろ、と彼は言う。…どうしよう。呼んでもらった方が良いかな、でも…。別にそんな大した用じゃない。むしろどうでも良い用事だ。(…顔が見たいだけ、なんて言ったら怒られるかな) 私は唇を固く結んで俯いた。…と、その時、

「阿部ー!何してんの?…って名前!?」
「っ田島君!」
「あー田島、コイツが何かお前に用らしいから後はよろしく」
「えっ、俺に用事?」
「つーわけで俺は練習に戻るわ。お前も早く戻んねえとモモカンにしばかれっぞ」
「おう!サンキューな 阿部!」

阿部君(って言うのかな…)と田島君の会話が終わり、阿部君は頭をかきながらグラウンドへと走って行った。田島君はニコニコと笑いながら「名前が俺に用事って珍しーじゃん!」と言いながら私に近づいてくる。どうやら私が泣いていた事には気づいていないらしい

「あ、あのね、別に用事ってわけでもない、んだけど…」
「んー?」
「田島君の顔が見たくて」
「!」

 ぼふん。田島君から返事は無かったけど、その代わりに視界が真っ暗になった。何が起きたのか理解できていない私に、田島君は「名前可愛いー!」と叫ぶ。そこでようやく理解できた。私は田島君の腕の中に居るということに

「た、田島君…!何して、!」
「パワー充電させて!!」

それから田島君はなかなか離れてくれなくて、様子を見に来た同じクラスの花井君が窒息死しそうな私に気付き、慌てて引きはがしてくれた。



(お前って確か同じクラスの苗字だよな?)
(うん。そうだよ)
(俺、花井。よろしくな)
(う うん!よろしく!)