sketch | ナノ
 三橋君の声が痛いくらいに頭に響く。私は、三橋君の言葉をうまく理解できずに目を見開いた。

「み、はし…くん?」
「っあ、え、えっと…!」

――好き、って、

「三橋君、いま…」
「苗字、さん…お、おお、おれっ その…!」
掴まれた腕に力がこもる。ちょっとだけ痛いけど、それさえも気にならない。私はただ三橋君を唖然と見つめて、薄く口を開いた。

「す、きって…」
「お 俺、ずっと前から…その、苗字さ、んのこと…す、好き、で!」
いつも以上につっかえながら三橋君は顔を真っ赤にした。それを見た途端、どうしてか切ない気持ちでいっぱいになって、涙が滲む。三橋君は真っ赤な顔を私に近づけて、そっと頬に手を添えた。今までたくさん見てきた三橋君の顔が、今だけは、どうしてかまるで別人のように見えた。

「ど、こか…痛…!?」
「う…ううん、平気。ご、ごめんね、こんなの…見せちゃって、」
ごしごしと涙を乱暴に拭ってうつむく。
 ――駄目だ。うまく言えない。
どうしたらいいのか自分ではわかっているはずなのに、何も言えない。言ったら三橋君がどんな顔をするのかとか、そんなことが頭に浮かんで怖気づいてしまう。それにしてもどうして私はこんなにもタイミングの悪い女なのだろうか。阿部君のことが好きだと気付いた矢先、こんな、

「苗字、さん」
「、っ」
自分の世界に入り込んでしまっていたから三橋君の声にびっくりしてハッと目を合わせた。三橋君はそんな私を見て、何か言おうとしたのか息を吸った。しかしその酸素は吐かれることなく、三橋君は口を閉じる。それからワンテンポ置いて、また三橋君が口を開いた。
「へ、んじ…聞かせて、ほしい」
「…み、三橋君……」

恐る恐る三橋君を見れば、三橋君は不安でいっぱいな顔をしていて、三橋君のそんな顔を見た途端、まるで栓が抜けたかのようにして涙が溢れだす。ぼろぼろと不規則に、大粒の涙が頬を伝った。
 三橋君は、びくりと肩を上げて私の涙を不器用に拭う。
「な、なん、で…泣いてっ…」
「ごめ、ごめんね三橋君、ごめ、なさっ…」
「!」
三橋君の目が見開かれた。
「私…す、好きな人、いて…それ、で…」
「あ、べ君?」
「、…え?」
ふと零した三橋君の言葉に、図星な表情を向けてしまう。すると三橋君はハッと口に手をやって「しまった」とでも言うかのように目を逸らした。私がただ黙ったまま唇をかみしめると三橋君は何となく悟ったかのように俯いた。私は三橋君に何も言えずに、三橋君の髪に触れる。
 ずっと、ずっとこうなればいいって思ってた。私が三橋君を好きで、三橋君も私を好きになってくれて、ずっと憧れてたこの髪も、三橋君自身も、いつか私にとってかけがえのないものになればいいな、なんて。私はそれを望んでいて、今まさに、そうなるチャンスが来たのに。

気付けば三橋君が大粒の涙をこぼした。

「お、れ…っ頑張る、から…!苗字さんが、望むもの、とか っそ それに、もっと俺、強くなる…!だから、そしたら、っ」
「っ…」
私の涙も止まらない。
 三橋君お願いだから泣かないで。もう、好きな人の涙なんて見たくない。なんて、言えなくて。
私が阿部君を好きになったことで、私の好きな人が二人も泣いた。私が二人を泣かせてしまった。千代ちゃんの涙も三橋君の涙も、私は見たくない。

「ごめ…っごめん、ね…三橋く、」
「好き、だ…」
「、」
「苗字さ、っ俺…ずっと、苗字さん のことっ…す、き…好き、好きだ、苗字さん…っ」
こんなにも人から愛されたことは、きっとなかったと思う。私はいつだって人に愛されたい好かれたいと思って、そうなれるように頑張ってだけどそれはいつも空回りして人に嫌われてきた。それからは人に嫌われるのが怖くなって、だから余計に好かれようとして、それさえも受け入れられなくて、結局イジメを受けたり無視されたり、ロクな人生じゃなかった。それが今、目の前に私を好きになってくれた人がいるのに、私はそれに答えることすらできない。

「っ……もうちょっと、早かったら、なあ…」
そうしたら私も三橋君を心から愛せたかもしれないのに。

 そんな不安定な気持ちさえも涙でかき消されて、まだ朝だっていうのに私は三橋君が去った後も馬鹿みたいに大泣きした。必死に声を殺して、蹲って。
三橋君は顔を洗ってから朝練に参加した。私は野球部の朝練が終わるまでずっと、ただ動かずに泣いていた。


(何もかもが今じゃ遅くて、ただ三橋君の泣き顔が頭に残ったまま、阿部君に想いを伝える自信なんてなくなっていた)

 20130316