sketch | ナノ
「阿部!」
その騒がしい声は、まさに俺が今一番会いたくない人物、
「た…、」
――田島だった。

「お前、何で二日も練習休んでんだよ」
「…体調不良だっての」
田島は不機嫌そうな顔をしていた。俺はそんな田島の顔を見るのが余計に気まずくて田島に背を向ける。
「あのさ」
その続きは、あまり耳にしたくはなかった。だって、
「この前のこと、ちゃんと説明しろ」
――ほらな。俺が一番避けたい会話になっちまうから。




「あれ、名前ちゃん?」
「えっ?あ、あ!ち、千代ちゃん…」
「どうしたの?そんなところで」
「い、いやこれは…その、」

 朝。私はいつもよりいくらか早く学校に到着し、なぜかグラウンドの方まで来ていた。
 あの騒動から二日が経ったけど、阿部君を校内で見かけることはなかった。多分学校には来ていたんだろうけど、完全に避けられている。昨日も少しだけグラウンドを覗きに来たけどやっぱり阿部君はいなかった。私は田島君と話すのさえも気まずくて、昨日は結局誰にも声を掛けずにグラウンドを去ったし、それに学校でもなるべく田島君と接触しないようにしていた。
 しかし今日、なぜか私はグラウンドに来ていて。だけど千代ちゃんの姿を見ると逃げるように建物の裏に隠れた。何で私は千代ちゃんまで避けているんだろうか。何だか申し訳なくなって頭を抱えていたら千代ちゃんに見つかってしまって冒頭に戻る。

「こ、この前は迷惑かけて…本当にごめんなさい!」
「え?」
私がバッと頭を下げて謝ると、千代ちゃんはキョトンとして首を傾げた。
「この前って…もしかして阿部君と田島君が喧嘩した時のこと?」
「う、うん…」
「あはは。私は別に気にしてないし、それに皆も迷惑だなんて思ってないと思うよ?」
そう言って笑う千代ちゃんにますます申し訳なくなる。どうしても、絶対気を使わせてると思い込んでしまってどうしようもなくなった。すると黙り込む私を見た千代ちゃんが、ふっと優しく笑う。

「私、名前ちゃんの恋ちゃんと応援してるよ」
「…え…?」
千代ちゃんの顔は、どこか悲しそうだった。それでも優しく笑うものだから私はもう何も言えなくなって、ただ「ごめん」と呟く。こんな時、どう返せばいいのかなんて分からない。

「あの…千代ちゃん、」
「なに?」
私はずっと聞きたかった事を、ついに決心して千代ちゃんに尋ねた。

「あの日、倒れた私を保健室に運んでくれたのって…」

そう言い終える前に、私は黙った。だって、千代ちゃんが今にも泣きそうな顔をしているから。
私が唖然と千代ちゃんを見つめると、冷や汗が顔の輪郭に沿って流れ落ちる。どうしよう、どうしよう。涙を堪えて唇を噛み締める千代ちゃんの顔を見た途端、私はもう、あの日私を運んでくれたのが誰なのか分かってしまった。

「ごめん……」
何度目かの謝罪に、もう意味なんてなくなってしまった。謝ったって意味がない。それなのに私は謝ることしかできなくて、

「なんで、って、思った…」
「、」
小さく口を開いた千代ちゃんを、ただ見つめる。

「なんで私じゃ、ないんだろうって…なんで、名前ちゃんなの、て……阿部君と名前ちゃんを見るたびに、ずっと、思ってた…」

千代ちゃんの頬に涙が伝った。ああ、泣かせるつもりなんて、これっぽちも無いのに、どうして、私は人を苦しめてばかりなんだろう、
 ひくひくと声を零して涙を抑え込もうとする千代ちゃんが、少しばかり大きな声で、私に訴えた。

「名前ちゃんばっかりずるいって…そんなことばっかり思って、わたし、っ…どんどん、自分が嫌な女になっていくの、ずっと苦しくて…つらくて…!」
「っ―――千代ちゃん、」
「!!」

私は千代ちゃんに駆け寄って、強く抱きしめた。私はただ、千代ちゃんの恋を素直に応援したいだけだったのに。どうして傷つける羽目になったんだろう。どうして私が、どうして…

「わた、しはっ…」

―――どうして、

「阿部君が、好き…!!」

私が、阿部君を好きになってしまった。

 きっと真っ赤になっているであろう顔を千代ちゃんの肩に埋めて、私は叫んだ。阿部君が好きだと。千代ちゃんは何も言わずにただ私を抱きしめ返して、拒もうとしなかった。それが妙に苦しくて、私の背中にある千代ちゃんの手が震えているのが分かったと同時に千代ちゃんは声を上げて泣いた。

「ずるい、ずるい…っ名前ちゃんばっかりずるいよ!!私だって、っこんな、に…阿部君のこと…っひ、ぐ…うぅ…」

 私はただ泣きじゃくる千代ちゃんを抱きしめながら、きっと今までため込んできたのであろう千代ちゃんの本音から逃げずに、受け止めた。
千代ちゃんは強い。私なんかよりも、ずっと、ずっとずっと強くて。私がどんなにずるい女だとしても、それを恨むような事は絶対にしようとしなかった。だから私は、千代ちゃんが優しすぎるからその優しさに甘えて千代ちゃんを苦しめてたんだ。それを全部知った時、恋がこんなに苦しいものなのだと初めて知る。

「名前ちゃんの、馬鹿…!!」
千代ちゃんは赤くなった目で私を真っ直ぐに見つめ、そして言い放った。

「阿部君と幸せにならなかったら、許さないから」
だから頑張って。千代ちゃんは最後にそう呟いて、顔を洗いに行ってしまう。残された私は、ただ茫然と立ち尽くしてグラウンドを見つめた。そこには何かを話している田島君と阿部君の姿があって。
私は意を決して阿部君と向き合おうとグラウンドへの入り口に手を掛けた。すると同時に、後ろから声がして。

「苗字さん!」

 ――声の主が三橋君だというのには、すぐに分かった。だけど、こんなにハッキリした三橋君の声は聞いたことがなくて。驚いて振り向けばいきなり腕を掴まれてそのまま引っ張られる。

「っみ、三橋く、
「好きだ!!」

時が、止まってしまったかと思った。


 20130306