sketch | ナノ
※阿部視点

 最悪だ、と。自分でも思った。田島と取っ組み合いになったあの日から、二日が過ぎた。俺はあれから体調が悪く、しょっちゅう保健室に行っては教室に戻り、そして屋上でサボりを繰り返した。たった二日だけど、田島にも苗字にも会わずに、ただ俺の時間だけが長く感じる。
俺が本調子じゃなかった二日間は部活に行かず、朝はいつもより遅く出て放課後になると誰よりも先に帰宅した。苗字や田島、そして他の部活の連中にも会いたくなかったから。
 ――つーか、どんな顔して会えば良いのか分かんねーし。

わしゃわしゃと頭をかきまぜて悩み込む。あれから三日目の朝がやってきた。もう二日も連続で練習さぼってんだから、さすがに今日は行かないとまずいな。俺は重い足取りで家を出た。
 苗字には全力でフラれ(つーか告白さえしてねえけど)、田島にはサイテーだと言われる始末。まあ全部俺が招いた種…というより、ただ、三橋に苗字を取られたくなかった。

「私は三橋君が好き」
ハッキリと言われた言葉は、案外俺の胸に突き刺さった。真剣な苗字の顔も、俺があんなことしたから今にも泣きそうになった顔も、ぜんぶ、納得いかない。苗字が三橋のこと好きなのはずっと知ってたし、苗字から何度も聞かされたから知ってた。だけど改めて真剣に三橋が好きと言われると、これ以上になく傷つく。俺だって強いわけじゃない。


「お、阿部じゃん」
グラウンドに入ると話し掛けてきたのは花井だった。花井はあの日の騒動をあまりよく知らないから(田島とかから聞いたのかもしんねーけど)田島と話すよりはいくらか…いや、だいぶマシだ。
 花井は俺に駆け寄り、この前は大丈夫だったか?なんて聞いてきた。

「なんつーか、その、迷惑かけて…悪かったな」
「は?別に良いって。つか田島は大丈夫だったのかよ?」
「…聞いてないのか?」
「あ、いや。俺あの後すぐ用事で帰ったんだよ。だからお前と田島が喧嘩してたって位しか知らなくて…」
「そうか」
「まあ別に、俺が首つっこむような事でもねえと思うし詳しくは聞かねえけど…一応、部活に関係あることなら主将として聞いておきたい、っつか…その、」
「?なんだよ」

花井は少し視線をずらして何か言いたげに口を開く。そんな花井を見つめていれば、花井は小さな声で言った。

「…苗字、泣いてたからよ」
「は?」
「だからっ…あん時、喧嘩してるお前ら見て苗字が泣いてたから…!」
「何でお前がそれ気にしてんの」
「べ、別に、阿部には関係ねえだろ」
「お前、苗字のこと好きなの?」
ふいに俺がそう問うと、花井は真っ赤になって固まった。(おいおいマジかよ…)
いつまでたっても花井が否定しないもんだから、俺はついムキになって、「あいつお前のこと好きじゃねえよ」と言ってしまう。いや、別に俺のことも好きじゃねえけど。何言ってんだよ俺は…!

「知ってる。本人から、聞いた、し…」
だんだん語尾が小さくなる花井に俺は首を傾げた。
「いつ?」
「んなのいつだって良いだろ!つか早く準備はじめろよ!」
「まだ皆来てねーからヘイキだって」
俺はそう言いつつも準備に入った。花井もそれを見て準備を再開させる。すると、今度は泉がグラウンドに入ってきた。

「おーっす」
「よ、泉。眠そうだな」
「いや、なーんか寝付けなくてさあ」
「何かあったのか?」
「いや、別になんもねーけど」
「今日は早く寝ろよー」
「わぁってるって」

泉と花井の会話を聞きながら俺はユニフォームに着替える。すると泉が俺の鞄の隣に自分の鞄を置いて、俺に言った。

「田島と何モメたんだよ」
「…大したことじゃねーって」
「じゃあ教えてくれても良いだろ?」
「お前には関係ねえ話だよ」
冷たく返してベンチからグラウンドへ行こうと足を踏み出せば、泉がやけに真剣な声で「阿部」と呼んだ。なんだよ、と思いつつ目線だけ泉に向ける。

「お前、もっと素直になれよ」
「…は?」
なに言ってんだ。

「田島とモメた原因、苗字だろ」
「!」
「あの時倒れたあいつのことわざわざ保健室まで運んだり、いっつもあいつのこと気に掛けたり、そんぐらいできるなら自分の気持ちも言えんだろ?何でしねーの?」
「…いきなり何だよ、わけ分かんねーぞ」
「苗字はお前のこと好きだよ」
「!!」

いきなりな泉の発言に眩暈がした。こいつの言ってる意味が分からない。だって苗字は、あいつは…

「あいつが好きなのは三橋だよ」
そうに決まってる。それなのに泉はただ首を振って「ちげーよ」と言った。何でお前がそんな事知ってんだよ、何でお前、そんな事言えんだよ。
 考えれば考えるほどムシャクシャしてきて、俺は舌打ちを零す。
 
「…三橋だって、あいつのこと…」
「、」
「ほんと、あんな奴の…どこが良いんだか」
そんなの俺が、一番よく知ってる。苗字はいつだって表情豊かで優しくて、皆を気遣って、悪口なんて言わない奴だ。よく野球部の練習を見に来ては篠岡の手伝いをして、皆からも好かれてる。現に花井も三橋も俺も、あいつのことが好きだ。他のやつらにだって、ただ俺が知らないだけで、あいつのこと好きな奴がいるかもしれない。
そんな人気者な苗字のいいところなんて、俺はよく知ってる。なのにいつだって素直になれなくて。いっちょ前に田島に言い張ったくせして、結局あいつを傷つけた。最低だと言われても文句は言えないことをした。

「阿部?」
いつまでも黙ったままの俺を、泉は心配したように声を掛けてきた。
「わり、ちょっと顔洗って
「阿部!」
そんな俺の言葉を遮ったのは、今一番会いたくない奴だった。



 20130304