sketch | ナノ
 泉君の言葉はしばらく頭から離れずにいた。三橋君に期待させるな、なんて。その言葉はまるで私が阿部君を好きみたいな前提だったことに悩まされる。
保健の先生はいないし、もう日も暮れてるし、私は帰ろうと思い鞄を手にした。泉君が持ってきてくれたのだろうか、グラウンドのベンチにあったはずの荷物がちゃんと保健室にあった。私を運んでくれたのは誰なんだろう。きちんとお礼を言いたい。なのに、泉君の真剣な顔を思い出すだけで手が震えた。
――期待させるな、って…なに?

 不安と不満が生まれていく。泉君の言っていることは、理解できた。だけど、私が好きなのは三橋君なのにどうしてあんな事を言われなくちゃいけないのか。頭で分かっていても心が受け付けようとはしなかた。

「……そうだ、」
阿部君と田島君とのことを思い出して私は急いで保健室を出ようとする。しかしそれは保健室のドアを開けたところで呆気なく阻止されてしまった。

「!!」
「っあ……」
「み…三橋、君…」
ドアを開けたらそこには三橋君が立っていて、目が合った途端びくっと肩を上げた三橋君に私まで戸惑ってしまう。しばらく沈黙が流れて、三橋君の手に携帯が握られている事に気付いた。

「あ…!み、三橋君!さっきごめんね、メール…!」
「え?あ、い、良いんだ!た たいした用事じゃ、なかったし…」

良いんだ、良いんだと何回か繰り返した三橋君に思わず胸が苦しくなった。

「三橋の気持ち、考えてやってくれ」

また浮かぶのは泉君の言葉。(考えるって、どういうこと?)三橋君の気持ちを考えるというのが、どういうことなのか分からなくて、私はただ無言で三橋君を見つめる。三橋君は私の視線に気付いて戸惑ったように口を動かしたけど、しばらくして落ち着いたのか肩を下ろして力なく言った。

「…あ…えと、阿部 く…と、た 田島君…さっき 帰ってった…あ、の…苗字さんに、伝言…頼まれたんだ けど」
「…伝言?」
「た 田島君が、ごめんねって」
「、」

思わず目を見開いた。
――ごめんね、って…?
それは一体何に対しての「ごめんね」なんだろう。阿部君と喧嘩になったこと?浮かぶのがそれしかなくて、ああ、阿部君と喧嘩したことを言ってるのかなって自己完結。私が「ありがとう、三橋君」とだけ言うと三橋君はそれ以上何も言わなかった。それなのに唇は震えていて、今にも何かを叫びたいと言わんばかり。私が首を傾げて見上げると、三橋君は口を開いた。

「あ、あの!」
「?」
「俺…さ っきの、メール!い、言いたいこと あって、い 今、言って…良い?」
「え?あ…えっと…」
何となく、先ほどの泉君の言葉のせいで察してしまった。三橋君の好きな人が私だなんてふざけてるように聞こえたけど、それがもし本当だったなら。信じても良い言葉なら。この状況で私はどうしたら良いんだろう。
(っていうか、そもそも私が好きなのは…三橋君、だし…)

「…苗字さ ん?あ、あの、」
「っ、!」
気付けば三橋君の手が私の腕を掴んだ。悩んでいるうちにしばらく時間が進んだようだ。私は思わず三橋君から目を逸らしてしまう。嫌な汗が溢れそうな気がした。掴まれた腕が少し震える。それに気付いた三橋君は少し肩を上げて私を見た。

「あ、えと…あ、の」
「…三橋、君」

ちらりと三橋君を見れば、三橋君の顔は緊張からくるものなのか真っ赤になっていた。そんな三橋君の顔を見て私はもう一度、よく考える。
――もし三橋君が私に好きだと言ったら、私は……何て返す?
それはもちろんハイと答えるだろう。そう、前の私だったら。
 今は、三橋君の顔を見ているのに阿部君の顔が浮かんで、掴まれた腕にだってときめかない。何度も自分の好きな人は三橋君だと思い込ませていた。だけどそれは、それは、

「っご、ごめん…!」
「、え」
「わ、私…帰らなきゃ…」
「…そ、そっか!それ なら…い、良いんだ た、たいした事じゃ ないし…」
(それ、さっきも言ったよ。たいしたことじゃない、って。)そう心の中で呟いて、私は鞄を握りしめる。
 ふっと離れていった三橋君の手。離れた体温が、やけに遠く感じる。三橋君が、遠い。あんなに近かったはずなのに。
私は溢れてきそうな涙をこらえて、最後に三橋君に笑った。

「ごめん、ね…三橋君、」
「、」
「ありが、とう」

三橋君は何も言わずに、ただ私に笑い返してくれた。だけど三橋君、三橋君は今、ちゃんと笑えてないよ。私が傷付けたから。泉君の言った意味がはじめて分かった。心がちゃんと理解した。

(私の好きな人は、三橋君じゃない)
それはあまりにも切なくて悲しい事実。


 20130219