sketch | ナノ
 時間は七時を回っていた。空はだんだんと暗くなってきて、私はタオルを準備する千代ちゃんの手伝いをしながら時間を確認する。携帯を開いてみればメールが一件来ている事に気がついた。差出人は三橋君。私はその文字を見た途端に固まった。

「…、え」
普段、三橋君からメールをよこす事はなかった。大体は私が三橋君にメールを送り、三橋君がそれに返信してくれる程度だったから。だから、こんな、三橋君からメールが来るだなんて嬉しくて嬉しくて、素早くメールの内容を確認する。そしてまた固まる羽目になった。
――話したい事があるから今から教室に来て。
三橋君にしては積極的なメール。しかも話したい事って、何だろう。私は首を傾げてから携帯を閉じて鞄を持つ。するとそれに気付いた千代ちゃんが「どーしたの?」と問いかけてきた。

「あ、えっとね…ちょっと教室に忘れ物したの思い出しちゃって」
「そっか。また戻ってくる?」
「うん、そのつもりだよ」
「良かった。じゃあ待ってるね」
「うん」
私はグラウンドから出ようと出口まで走った。すると、ふと近くにいた阿部君と目が合う。私が急いで視線を逸らすと阿部君がズカズカと近づいてきた。

「お前、どこ行くの」
「ち、ちょっと教室に忘れ物しちゃって…えっと、」
私が戸惑いながら答えようとしたら阿部君はスッと私の手に握られた携帯を奪って、流れるような作業で画面を開いたのだ。私はびっくりして携帯に手を伸ばす。「見ないで」なんて言葉は、焦りすぎて出てこなかった。

「あ、阿部君…!」
「…これ三橋から?」
「!?」
み、見られた。最悪だ。阿部君の鋭い視線が向けられて思わず肩を上げる。早く三橋君のところに行きたいのに阿部君は一向に携帯を返してくれない。それにわざと出口の前に立って私を通さないようにしている。どういうつもりなんだろうこの男は。

「…と、通してよ、行かなきゃ…」
「無理だ」
「、え……」

きっぱりと言い放たれた言葉に頭が真っ白になって阿部君を見上げた。

「な、何言って…」
「自分でもわかってんじゃねえの?三橋とお前がつり合うわけないだろ」
「……そ、それは…確かにそうかもしれないけど…」

――でもそんなの…

「あ、阿部君には関係…ない、でしょ?ね、通して…」
「行くなよ」
「、え?」

いきなりグイッと腕を引っ張られて阿部君に抱きしめられる。ここはグラウンドからは死角になっていることだけが不幸中の幸いだった。しばらく時間が止まったように感じて、ようやく脳が機能したと同時に私は阿部君の腕から逃げようと身を捩った。

「っや、やだ、離して…っ、!?」
無理矢理腕を振り払って逃げようとすれば今度は肩を掴まれてそのまま壁に押さえつけられる。ドンと鈍い音が鳴って背中とコンクリートの壁が擦れた。

「いっ、た…!」
私が顔を歪めると阿部君は一瞬だけ腕の力を弱めた。だけどすぐに私を壁に強いくらい押し付けて上から見つめる。もはや、見下しているような目つきだった。私はそれを睨み返して、また「離して」と口にした。阿部君の目が少しだけ冷たくなる。

「無理だってわかってんのに期待すんの?」
「、」
「お前だってこの前俺に同じ事したよな」
「……っ、そ、それは…」

阿部君が言ったことを頭で復唱した。ああそうだ、私だってまるで千代ちゃんの告白を邪魔するかのように阿部君を引きとめた。そして、そこでさっきみたいに阿部君に抱きしめられたんだ。

「っ…阿部君は、好きでもない女の子をこうやって抱きしめるの…?二回も」
「だまれよ」
「私は三橋君が好き」
「無駄だ」
「っ!か…可能性だってある!」
「ねーよ」
「な、何で……何でいっつも、そんなことばっかり言うの…」
「、」

阿部君の唇が一瞬だけ震えた。それに気付いた私はまた抵抗する。必死に阿部君の胸を押すけど鍛えられた阿部君の体はそう簡単には離れてくれない。目の前が真っ暗になる気がした。男女の力の差を痛感させられる。擦れた背中が痛い。
―――――怖い、阿部君が、こわい。

「あ、あべく―――んっ、!?」
胸を突き離そうとする腕は簡単に掴まれてそのまま壁に押し付けて固定された。それと同時に阿部君の唇が私の唇を塞いで離れない。目を見開きすぎて目玉が出てきてしまいそうだった。

「っん、んんー!う、んン、はぁっ…」
「…苗字、」
ジンと甘く痺れる手先。阿部君とのキスは熱かった。じんわりと口内を確かめるかのように舌が入り込んできて、私の舌を吸ったり歯茎を舐めたりされて涙が滲む。阿部君が一瞬だけ唇を離してもう一度キスをしようと近づいてきた時だった。

「っや、やめて、離して!!」
やっと出た声は震えていて、だけど目一杯に叫べば、私達の近くでガタンと音がした。私と阿部君は驚いて音がした方向へ視線をずらす。するとそこには、

「…た、じま君……」
ただ、ひたすらに阿部君を睨みつけて動かない田島君が立っていた。



 20130213