yasumonoNIHAgotyuiwo | ナノ
「…あ、」
水道に行ってみれば、そこにはテニス部のユニフォームを着た人がいた。その人も丸井先輩と同じ三年生だと思う。私は目立たないように水道に近づき、さっさと顔を洗って帰ろうと思い蛇口をひねる。…すると、

「あれ、君は確か赤也と仲が良いって噂の子だよね?」
「え?」

いきなり声を掛けられたものだから、少し肩を上げて先輩を見る。(うわ、女の人みたい)綺麗に整った顔立ちに、大人びた少し長い髪。額にバンダナをしていた。私は目を丸くして先輩を見つめる。すると先輩は苦笑して言った。

「俺の顔に、何か付いてるかい?」
「へ?いいえ!何も…」
「そうか」
「あ、えっと…私と赤也って、そんなに仲が良く見えますか?校内でもあまり話したりはしてないと思うんですけど…」
「そうかい?赤也は部活でいつも君の事を話していたよ」
「!」
(赤也が私の事を…?)
「君は一年かい?」
「…に、二年です」
「あれ?そうだったんだ、てっきり一年かと思っていたよ」
「それは私の背が低いという事ですか…?」
「あはは、そうじゃないよ。幼い顔をしていたからね、てっきり…それより君は確かバスケ部だったよね?」
「あ、はい。そうです」

 ふわりと笑う先輩は、とても穏やかな人だ。さりげなく顔が幼いと言われてしまったが、それはこの際気にしない事にする。私はさっさと顔を洗い、「それじゃあ失礼しますね」と残して先輩に背を向けた。

「…名前、」
「!……え?」

パシッ、勢いよく掴まれた腕。何が起きたのか理解できずに、私はそのまま先輩に引き寄せられていた。ガシリと腰を掴まれて動けない。ぱちくりと瞬きをして、先輩を見る。その真っ直ぐな瞳に捕えられて、逃がしてくれない。「せ、先輩……?」震えた声で問いかけてみれば、先輩は目を少し歪めた。

「俺を、覚えてないの?」
「…え?」
「幸村精市」
「ゆき…むら?」

 頭が状況についていけない。(覚えてないの?、って…)私は前にこの先輩と会った事があるってこと?私が唖然とした顔で先輩を見ていると、先輩はため息をついて私にキスをした。視界が真っ暗になって、明るくなったと思ったら先輩は笑顔で「忘れているなら、早く思い出して?」とそれだけ言って去って行った。
一人残された私は、その場に呆然と立ち尽くす。幸村…精市?そんな人、知らない、はず。よく分からないけど、あの人が私を知っているのは確かだった。だって私はまだ先輩に自分の名前を言っていない。たとえ赤也が私の名前を先輩に教えていたとしても、初めて会っていきなり名前呼びなんて、そんなことはありえないだろう。(別にありえなくもないけど…)とにかく私は、自分の記憶をたどった。いつ、いつ私は彼に会ったんだろう。そして彼は、なぜ私をあんな歪んだ悲しそうな目で見ていたんだろう。

「…どういうこと…?」



帰宅すると、既に赤也の靴があった。私は不思議に思いながらもリビングへ向かう。するとそこにはソファに他折れ込んだような赤也の姿があった。

「赤也?」
呼んでも返事がない。寝ているのだろうと思い込み、赤也の肩を叩く。すると、ある異変に気付いた。

「…熱い」
まるで火照ったかのような体温。そしてこの体勢。もしかしてこの男、熱を出したんじゃないだろうか。私は確認するべく赤也の額に触れてみた。(…あー完全に熱だ……)

「赤也、赤也大丈夫?」
「んー…」

再度、肩を叩いてみる。返事はしたものの、かなり辛そうな声。うっすらと開かれた瞳には、少し涙が浮かんでいた。これは…もしかして重症なんじゃないか…?

「分かる?私だけど」
「名前…」
「あんた熱あるでしょ。熱計った?」
「計った…38度7分…」
「うわ、高熱じゃん。薬は?」
「飲んでない…」
「何で飲まないのよ…。薬どこにあるの?」
「キッチンの棚の上から三番目の引き出しだった気がする…つーか頭痛え…」

赤也は頭を押さえて頭痛を訴える。しかし薬を飲まないと何も変わらないから、私はキッチンへ向かった。引き出しから薬を取り、赤也の方へ戻る。水の入ったコップと薬を赤也に渡すと、赤也は素直に薬を飲んだ。

「辛い?」
「…かなり」
「いつから具合悪かったの?」
「放課後…急に頭痛くなって、保健室で熱計ったら38度あったから部活休んで帰ってきた…」
「そっか、とりあえず寝てれば治るよ」
「うわ、他人事だな」
「これでも心配してますよ」

笑って言ってやれば、赤也の熱い手が私の腕を掴んだ。そしてそのままキスをされる。ねっとりとしたキスだった。私は突然のことに目をぱちくりさせて赤也を見る。角度を変えて何度もキスしてくる赤也。やっと状況を理解した私は、赤也の腕を振り払って赤也から離れた。

「っな、病人のくせに何してんの!」
「…名前、可愛い」
「え…?」

今、何て言った?可愛い?いや、ありえない。だってこいつはいつも私を貧相だの貧乳だの下僕だの言って嫌がらせしてくる奴だ。

「赤也?今何て…」
「お前さ…何だかんだ言って可愛いよな…」
「熱で頭やられた?」
「うっせ、褒めてやってんのに…」
「……いつもは貧相だとか言うくせに」
「ほんと可愛いな、お前」
「!」

ぎゅう。強く抱き締められて、思わず顔に熱が集まる。何で、何こいつ。絶対熱のせいだ、こんなの赤也じゃない。しかもこのままじゃ…

「熱…移るんですけど…」
「俺の愛だと思っとけよ」
「非常に受け取りたくないんですけど」
「…好きな先輩の苗字のだったら受け取んのかよ」
「!」

小さく呟いた赤也の声は、とても悲しそうで。

「…好きな先輩の苗字先輩は関係ないでしょ」
「何で、アイツなんだよ」
「え?」
「名前…」

するり。滑り込むようにして私の制服の中に入ってきた赤也の手。(熱い…)じんわりと感じる熱を帯びた体温。触っただけで火傷しそうな、赤也の手。私はその手を拒めなかった。

「…抵抗、しないの?」
「……熱いよ」
「今すぐ…襲うかもよ?」
「できないよ、今の赤也は」
「…お前、調子狂う……」
「今日はもう寝よう?」

そう言って立ち上がると、赤也は私のスカートを掴んで引き留めた。「…何?」ソファに寝ている赤也を見下ろすと、赤也は「一緒に寝たい」と呟く。

「子供じゃ、ないんだから…」
「名前がいないと、寝れない」
「……今日だけだからね」
「さん、きゅ…」

私はまたその場に座って、赤也の手を握る。全身が熱くなっている赤也を見つめながら、私も夢の世界へと入っていった。

20120806