yasumonoNIHAgotyuiwo | ナノ
 ブン太先輩に表面だけの笑顔を浮かべ、その場を去った。やけに長い昼休み。そう感じるのは、私だけなんだろうか。
ちょうど渡り廊下を小走りで歩いていた時。急に後ろから声を掛けられた。

「苗字名前さん」
「、え…?」

後ろに立っていたのは、この前のあの人。綺麗な茶髪と化粧が印象的な、三年生。先輩は私を見ると薄く笑って、「ちょっと良いかしら?」なんてわざとらしく優しい口調で言った。
嫌な予感は、した。だけどここで逃げても、ただ辛くなるだけ。どうせなら、もう、どうなってもいいや。壊れかけた心のまま、私は先輩に付いて行った。


ドサリ。思いきり床に叩き付けられた身体がじんじんと痛む。腰を強く打った。痛みに堪え、唇を噛み締めると西条香苗と名乗った先輩は、下品な笑いを零して私をキツく睨んだ。

「っあの手紙…西条先輩が、書いたんですよね」
「そうに決まってるじゃない。貴方むかつくのよね、私の赤也に色目でも使ったんだか知らないけど…馴れ馴れしすぎるのよ」

ぐりぐりと手を踏まれて、詰まった声が漏れる。

「いっ…!」
「ねえ自覚してるの?傍から見たら男好きのタラシ女よ。貴方って」
「な、何で私が…!そもそも、っ私は別にテニス部の人達なんて、き、興味ないです!」
「テニス部なんてどうでも良いのよ。私は赤也の事を言ってるの」
「あ、か…っ切原の事なんて何とも思ってません!!」

声を枯らして叫んだ。ひどく痛々しい叫び声は、きっと誰にも届いてない。そう、西条先輩にだって、届かない。叫んでも意味がないのに、喉が痛くなるだけなのに。ただ私は、傷つきたくなかった。誤解だって、分かってほしかった。

「嘘にしか聞こえないわ。いつもいつも一緒に登校して、貴方が赤也を好きだって噂も、赤也が貴方を好きだって噂も聞いたわ。貴方みたいに"普通"で"可愛くもない"…そう、"ただの女"が赤也と両想いになんてなれるわけないでしょ?」

 ごもっともな意見に胸が痛くなった。
確かに私は"普通"で"可愛くもない"…本当に、"ただの女"だ。この先輩はよく私を知っている。その通りだ。間違っている事なんて一つもなかった。だいたい私が好きなのは好きな先輩の苗字先輩なわけですし、赤也なんてどうでも良い。それなのに、何でこんなに胸が痛むの?何でこんなに涙が溢れてきそうなの?

「いい加減、消えてちょうだい」
「……え?」

目の前で光った反射的な輝き。眩しいほどに光ったそれは、カッターの刃。目の前が真っ暗になりそうだった。

これ以上赤也に近づいたら殺す

ああ私、殺されるのか。そう確信した。
一歩一歩とじれったく私に近づいてくる西条先輩。怖いなんて感情を感じる暇もなかった。ただ、どうして私はこんな事になっているのか。それを必死に考えて、答えを求めていた。
 普通の日常だったはずだ。そう、赤也に会うまでは。父が海外に転勤なんかしなければ、私は赤也と暮らす羽目になんてならなかった。元を辿って、さらのその元を辿って。色んな事を考える時間は、やけに長く感じる。目の前でチカチカと光るカッターの刃は、私を逃がさず捉え続ける。

「生きてるのも辛いって顔ね」
「、」

答えを返す気力もなくなった。きっと私は、先輩の言う通り生きる意味を失った人間の顔をしているだろう。

「痛いのを我慢すれば、楽になれるわよ。丁度良いわ、自分で言ってみなさい。私にどうしてほしいのか」

生気を失った瞳から、涙がこぼれた。やけに冷たい涙。ああ、わたし、なんで、

「殺して」

刃がギラリと私を捉えた。西条先輩の楽しそうな顔。狂ってる。私も、先輩も。最後に赤也の顔が見たい、そう思った。何でかも分からないけれど。

パシッ。目の前にあった影が、二つになった。ぼたぼたを涙を零す目の焦点を必死に合わせた。そこには、手の平から真っ赤な血を流しながらも、カッターの刃を掴んで離さないブン太先輩の姿があった。

「……、ブン太、先輩…?」

どうしてここにいるの?視界が真っ暗になってもう何も見えなくなった。

 20120901
 西条香苗と書いて
 さいじょうかなえ、と読みます。
 まあザコキャラなので適当です