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 返されたテストに赤ペンで書かれた0点の文字。そんな当たり前の結果に溜め息をつく暇もなく、先生の冷たい声が耳に突き刺さる。

「みょうじ、お前はまたこんな点数を…。いい加減にしっかり勉強をしろ」

怒り気味の先生の顔すら見ずに席に戻った。すると隣の席からも冷たい声が聞こえる。

「また0点ですか」
「…柳生には関係ないでしょ」
「確かにそうですが、学級委員の私としては見逃せません」
「はあ……うるさいな」

溜め息を吐いて睨むようにして見つめる。隣の席の馬鹿馬鹿しいくらい頭の良い優秀な男は柳生比呂士。いつもテストで100点を取るくらい頭が良くて、先生たちからの信頼も厚い。私とは正反対の男。

「みょうじさん、今日の放課後は空いていますか?」
「は?何で」
「勉強に決まってるでしょう」
「わけわかんない、何で柳生が私に勉強教えるのよ」
「もちろん学級委員だからです」
「……わけわかんない」


そうは言ったものの、放課後は暇だったから付き合ってやることにした。別に理由があるわけでもなく(勉強したくない理由はあるが)ただ暇だったから。
しばらくすると生徒はちらほらと教室を出ていく。
最終的に私は柳生と二人きりになった。

「さあ始めましょうか」
「言っとくけど私やる気ないからね」
「やる気を出させるのが私の役目ですよ」

なぁに先生みたいなこと言ってんだか。
 思わず呆れて息を溢す。律儀に教科書とノートとワークまで開いたら柳生。こいつやる気満々だなオイ。

「まずは数学からです」
「二次方程式とかわけわかんない」
「あんなの簡単ですよ。公式さえ覚えればすぐに…」
「ねえ柳生」
「何ですか?」
「私、文字式できないよ」
「…はい?」

その真面目そうな眼鏡の奥にある瞳は、確かに私を絶望の目で見た気がした。
 少しの間固まっていた柳生の氷が溶けたのか、ペンケースからペンを取り出して中二のワークを開く。何でこいつ中二のワーク持ってんの。

「じゃあ、文字式からやりますよ」
「柳生さ…今私のこと馬鹿だと思ったでしょ、呆れたでしょ!」

このやろう!と本音をぶつけてみたものの、そんなの昔からですよと流されてしまった。(何か悔しい…)

「柳生、」
「何ですか?」
「むかつく」
「私も貴女がむかつきますよ」
「じゃあ何で勉強なんか、」
「それは貴女に――」
「え?」
「…いえ、何でもないです」

そう言って、止めていた手を再度動かし始める柳生。そんな奴をぼうっと見つめていれば、ふいに眼鏡の向こうの瞳と目が合う。はっきりと瞳が見えた。

「、あ」
「みょうじさん、手を動かして下さい」
「…うっさい」

何だかむかついたから、教科書に猫ちゃんの落書きをしてやった。

「本当にやる気がないですね」
「だから言ったでしょ」

 窓の外を見つめると綺麗な夕焼け。(うわ、真っ赤だ)今まさに沈んでいこうとする太陽を見つめていると、ふとペンを握っていた手が何かに包まれた。

「柳生…?」
「みょうじさん、」

それは柳生の手。私はぱちくりと数回瞬きをして柳生を見る。こいつ、何してんの。
 ふと、校庭から聞こえた高らかな笑い声。運動部が騒いでいるんだろうか。しかしそんな笑い声さえも脳まで届かず、ただ目の前の男をじっと見つめていた。

「ちょっと…手、何してんの」
「貴女が、好きです」
「え?」

ガタン。思わず大きな音を立てて椅子から立ち上がり柳生と距離をとる。どくんどくん、握られた手が体温を高めていく。もう一方の手で、その熱を冷ますように握った。今こいつは、何て言った?

「や、ぎゅ、」
「みょうじさんのような馬鹿な女性を好きになるとは思ってもいませんでしたが…」

カタン。今度は柳生が静かに椅子から立ち上がる。一歩一歩と近付いてくるその足音がひどく不気味に感じた。どきどきどき、鳴りやまない鼓動。苦しいくらいの締め付けが胸の奥を襲う。

「…貴女が愛おしくてたまりません」
「っ、!」

優しく、後ろの壁に追い詰められる。ひんやりとした壁が背中と擦れて、気持ち良い。ってそうじゃなくて。
 私の顔の両サイドに手をついて私の逃げ場を奪った柳生は、その眼鏡の奥の瞳厭らしく歪ませてニヤリと微笑む。

「逃がしませんよ」

耳元で囁くようにそう言われて、柳生の吐息に身体が震える。柳生はまるで壊れ物でも扱うかのように優しく、丁寧に私の頬をなぞった。

「っ、やぎゅ、」
「好きにさせてやるよ」

いつもの柳生とは違う、低い声。直接耳に入り込んでくる柳生の声が甘い痺れへと変わって私を襲う。やばい、やば、いって。

「待って、柳生…!」
「待てません」

ぎゅう。片方の手を腰に回して、もう片方の手は私の頭を押さえつける。そしてそのまま唇を吸うようにして噛みつかれた。

「っんン!やっ、や、ぎゅ…ッ」
「黙って下さい」

強く抱き締められて、呼吸が止まりそう。荒いようで優しいキスが何度も何度も角度を変えて降ってくる。じんじんと身体を痺れさせる柳生の唇。
酸素を求めるために薄く開いた唇に、舌が入り込んできた。

「ッ!?ん、んーっ、」
「はっ…なまえ、ん…」
「や、ぎゅう…柳生、ぁ」

口内を激しく攻められて、脚ががくがくと震える。苦しくて気持ち悪いのに、止めたくない。柳生が、柳生がほしい、なんて。

「やっ柳生…っん、す、すき…!」
「なまえ…なまえ、なまえ。好きです…愛していますよ、なまえ」

気付けば離された唇と唇が細い銀の糸を引く。どちらかの物かも分からない唾液が、私たちの顔を酷く汚した。
柳生はクスリと厭らしく笑って、私の手に自分の手を絡ませて深く握る。

「私とお付き合いしてくれませんか?」

そんなの、そんなの、

「断るわけ、っないでしょ」

柳生は真っ赤になった私の顔を見て笑った。気付けば放置されていたワークやらが夕焼けに照らされて赤く染まる。教室には、私と柳生だけ。

「折角ですし、続きをしましょうか」

柳生の指が私の身体のラインをなぞるようにして滑り落ちる。私が理性をなくすまで、あと何秒持つかの持久戦の始まりだ。

20120828
柳生仁王柳生の日ですね