bookshelf | ナノ
※性描写はありませんが白石がヤリ逃げ?する話ですので苦手な方は注意してください。


「先輩はアホちゃいます?」
財前君の冷たい言葉が私の胸に突き刺さる。びしょ濡れのシャワー室にへたりこんで俯く私を、また上から目線で見つめているのだろうか。財前君を見るのが怖かった。

 私は、幼なじみの蔵ノ介が好きだった。告白したことはある。フラれたのが結果だったが、蔵ノ介は身体だけならそういう関係になっても良いと言った。怖かったけど、それでもやっぱり私は蔵ノ介が好きだった。好きだから身体を渡した。
放課後になると、蔵ノ介が私の教室に来ていた。私の顔を見たとたんに、ニヒルな笑みで約束忘れてへんやろな、ほな行こかと腕を引っ張った。
連れて来られた場所はプールのシャワー室。湿っぽい空気の中、私は蔵ノ介に身体をあげた。

 行為が終わると蔵ノ介は幸せそうにしていた。また明日もよろしゅうな、と笑顔で言われて、使い物にならなくなった足が苦笑した気がした。痛かった。みんな、はじめては痛いのかな。蔵ノ介をはじめて絶望的な目で見てしまった。目があって、私が逸らす。蔵ノ介は何も言わなくて。びしょ濡れになったシャワー室の床を、びちゃびちゃと音を立てながら蔵ノ介はシャワー室を出ていった。
そして一人残された私の前に現れたのが、財前君だった。

「先輩、何しとったんですか」
「財前君には関係ないわよ」
「関係ありまくりですわ、良いから教えたって下さいよ」
「関係ないって言ってるでしょ!」

 叫んだと同時に、思わず右手を振り上げた。水浸しになった床に付いていた手は当然びしょ濡れなわけで、僅かな水滴が宙を舞う。私の右手が財前君の右手に捕らえられた。

「…ここ、赤くなっとるやん」
「!」

財前君の指が、赤くなった私の手首をつうっとなぞる。思わず身震いした。
手を引っ込めようとしたら財前君の強い力に止められて、とてもじゃないけど敵わなかった。悔しくて、涙が溢れる。

「これ、白石部長がやったん?」
「……」
「黙らんと、教えたって下さい」
「…し、知らない」
「ほんま先輩は何言っとるんですか。質問に答えるのが先っすわ」

 歯を噛み締めることさえ、財前君は見逃さなかった。

「身体売ったんやろ」
「…お金は、もらってないわよ」
「そんなん関係あらへん、白石部長に身体差し出したんは本間なんやろ?」
「っ、」

財前君の声が必死に私の脳に入ってくる。それを拒むこともできず、喉を詰まらした。反論できないなんて当たり前だ。なんで、財前君はこんなに怒ってるんだろう。
 すると私が俯いたまま顔を上げようとしないのに気付いたのか、財前君君は私の頬を掌で包み込むようにして無理矢理顔を上げさせた。
私の顔を見て、酷く顔を歪ませた財前君。その瞳は悲しそうに私を見た。薄く開いた財前君の唇から消えてしまいそうな小さく細い声が漏れた。

「…白石部長の、かかってしもとるやないですか」
「!」

私の顔に付いた精液の事を言ったのだろう。財前君の指先が、私の頬を流れ落ちる精液の線を撫でるようにして触った。小さく肩が揺れる。財前君の手は汚れてしまった。

「とにかく、こんな水浸しなシャワー室に居ったら風邪引きますわ。服も、乾かさなアカン」
「帰って」
「何を言うとるんですか」
「何でこういう時ばっかり優しいのよ、財前君」
「……理由なんてあらへんわ」
「!え…」
「せやけど強いて言うなら、先輩のことが好きっちゅー話やな」

 財前君の瞳が私を捕まえた。信じられない言葉に体が震える。ひやりと冷たい風が頬を撫でた。すると財前君の温かい体が私を包んだ。詰まったような財前君の息が肩にかかる。ぱちくりと目を瞬かせた。財前君が、私を好き?

「ずっと好きやったんに、どないして白石部長のとこに行ってしもたん」

財前君の声は震えていた。こんなに弱々しい彼を見たのは初めてだ。私は財前君の背中に手を回す。好きだったなんて、知らなかった。財前君が私を想ってくれてたなんて、知らなかった。

「先輩、好きや」
「汚い私でも好きなの?」
「ちゃう。あんたは汚いとちゃうわ」
「汚いわよ!こ、こんな、ことして…!」

思わず財前君から距離をとった。嫌だ、私は汚い。すごく汚くて、哀れで。なのに財前君は「汚くなんてあらへん」の一点張りで、私は目を見開いて彼をみた。

「好きでいてくれるの?」
「せやから好きや言うとるやないですか」

 ふと、蔵ノ介の顔が頭を過った。私が好きなのは、財前君じゃなくて、

「白石部長はあんたの事、好きやない」
「!」

財前君のその言葉に、呼吸が止まった気がした。好きじゃないのは、とっくに知っていたことだ。告白した時だってフラレたし、そもそも付き合いたいとかそういうのではなかった。ただ好きで、テニスを頑張るその背中を見つめるだけで良かったんだ。それなのに私は、なんで告白なんてしたんだろう。なんで身体なんて売ったんだろう。こうして惨めになるなんて最初から分かってたことなのに。

「なんで、そんなこと分かるのよ」
「見とったからや。白石部長のことも、アンタのことも」

 気付けば、涙が溢れてきた。なんで、私はこんなに馬鹿なんだ。私の馬鹿げた思考回路さえ、涙と一緒に流れてしまえば良いのに。そうすれば私は、笑顔で財前君を好きと言えたのに。
俯いた顔を上げることができなかった。身体を売ったことに対する遅い羞恥心が頬を染めた。恥ずかしい、恥ずかしい。蔵ノ介の精液で汚れた顔も髪も、処女を失った性器も、こんな所に踞る姿も。自分の全てに恥を感じて、もう財前君なんて見れなかった。

「顔上げたって下さいよ」
「嫌」
「なんでやの」
「こんなの、私じゃない」
「現実逃避とか今頃しても意味ないやろ」

先輩は本間にアホやな、財前君の言葉はリアルに胸に突き刺さった。冷たい目も、声も、財前君だから受け入れられるんだ。私は蔵ノ介が好きなんじゃない。財前君を好きになりたい。またこうやって私は、一時の感情に身を任せて失敗するんだ。後悔するんだ。

「先輩、いま何考えとったんですか」
「……後悔は、もう嫌なの」
「はい?」
「一時の感情に身を任せて、失敗したくないの!」

 ぐい。強い力で胸ぐらを引き寄せられる。もちろんそれをできるのは財前君しかいなくて。私はぱちくりなんてする暇もなく、唇を奪われた。

「っん、え…?」
「一時やなくて一生の感情にしましょうよ。ほんなら先輩は、後悔も失敗もしないんやろ?」
「……っ、でも」
「ごちゃごちゃうるさいっちゅーねん」
「!」

ぎゅっと強く抱き締められて、涙腺は一気に崩壊した。ぼろぼろと規則正しくない涙が溢れでて、既に濡れた衣服の上に落ちる。財前君は温かい。私の冷えきった体を抱き締めながら、優しく彼らしくない口調で言った。

「先輩は今日から俺のモンですわ」

 20120723