bookshelf | ナノ
 私の好きな人はいつだって私を妹みたいに扱った。
それは中学の時に仲良くなった小湊君のお兄さんで二つ上の先輩。入学して初めての席替えで春市君と席が隣になってからやけに仲良くなって、たまたま野球部の練習を見に行った時に声を掛けられた。初めて投げかけられた言葉を私は今でも覚えている。
春市の彼女ですか?って。
わざと使われた敬語に最初は少し混乱してしまったけど、周りとは違う桃色の明るい髪に咥えて声のトーンがどことなく小湊君に似ていたからすぐ確信した。兄弟そろって同じ野球部なんて知らなかったからその時はとにかく吃驚して凝視してしまったんだっけ。見れば見る程ああこの人小湊君のお兄さんだって実感したけれど、からかうような笑顔と顔がちゃんと見えるように分けられた前髪はあまり小湊君に似ていなくて新鮮だった。
彼女じゃないですよ、それじゃあ友達?、はいそうです。そうしてしばらく言葉を交わせば私たちはすぐに打ち解けることができて。
私は小湊君のお兄さんを、小湊先輩と呼ぶようになった。その日から小湊先輩はよく私に声を掛けてくれるようになって、仲の良い男子といえば小湊君くらいだった私の日々に小湊先輩との時間が増えていった。
それをただただ不満そうに見つめる一人の視線になんて、気付かずに。





「あ、小湊君!」

廊下を歩いていたら小湊君を見かけたから私はすぐに駆け寄った。華奢な方をぽんっと叩けば小湊君も私に気付いて笑顔を浮かべる。どこか行くの?と聞いてみると、行ってきたんだよと言って小湊君は缶のりんごジュースを見せてきた。

「のど乾いたから買ってきたんだ」
「あ、それ好きだよね小湊君」
「えっ、何で知ってるの?」
「何度かそれ飲んでるとこ見たから」

笑いながらそう言うと小湊君は少し照れたように笑って近くの壁に寄りかかる。私も足を止めて彼を見つめた。
「教室戻らなくていいの?」
「うん。ここの方が静かだし」
「…そっか」

じゃあ私もここにいようっと。そう呟きながら小湊君の隣に立ち同じように壁と背中をくっ付ける。ひんやりとした壁の温度がすぐに伝わってきて、なんだか気持ちが良い。プシュッと小さく音を立てて缶を開けた小湊君に目をやれば美味しそうにりんごジュースを飲んでいた。その横顔をじっと見つめながら、やっぱり小湊先輩とは少ししか似てないんだななんて思った。
するとぼんやり見つめていた私の視線に気付いたのか小湊君もこちらを見やり、缶を持った手を差し出して言う。

「みょうじさんも飲みたい?」
「!」

あまりに自然に言われたものだから無意識に頷いてしまいそうになったけど、私はフッと顔を逸らして返す。
「それ、間接キスだよ」
我ながら恥ずかしい台詞だと思った。小湊君がそんなつもりで言ったんじゃなかったらとんだ勘違いだなと思いながら返事を待てば、少し黙りこんだ後に小湊君が控えめな声を零す。

「…じゃあ、いらない?」
「い、今は喉乾いてないから、大丈夫」
「そっか。残念だなぁ」
「こ…小湊君、あんまり平然と女の子にそういうこと言っちゃ駄目だよ」
「…僕、みょうじさんだから言ったんだけど」
「えっ…?」

思わぬ言葉に少し驚いてまた目を向ければ思いきり目が合ってどきりとた。前髪の隙間から覗く瞳は薄く開かれ、じっと私を見つめている。今の、どういう意味だろう。私だから?私だから勇気出したって、なんで?
ぎこちなく小湊君から目を逸らして床を見れば薄く笑う小湊君の息遣いが聞こえた。

「結構勇気出したんだよ、今の」
「…な、…」
「みょうじさん…僕さ」
「あっ、そ、そろそろ教室戻らないと…!」

ただの友達同士の会話とは言い難い妙な空気に耐えられず、私は咄嗟に小湊君の言葉を遮って壁から背中をバッと離した。焦る顔を見られないように小湊君の手を引いて教室へ戻ろうと一歩踏み出せば、向こうから歩いてくる人物が目に入って私は思わず足を止める。

「……あ………」

ぽつりと漏れた声に続いて、後ろで小湊君も短く声を漏らした。それもそのはず、私たちの視線の先にいたのは私たちのよく知る人物。小湊先輩だった。
小湊先輩もこちらに気付くと笑顔を崩さぬまま少し驚いたように私達の手元へと目をやる。私は掴んでいた小湊君の腕から手を離し、咄嗟に小湊先輩に笑顔を向けた。

「こ、こんにちは、小湊先輩」
「ああみょうじさん、奇遇だねこんな所で。それに春市も」
「……」

突然出くわしたお兄さんに戸惑っているのか、小湊君は口を閉じて黙ったままだ。私と小湊君の間に流れる微妙な空気を察したのかそうでないのか、小湊先輩は意味深な笑顔を浮かべてからまた口を開く。

「そうだ。ねえみょうじさん、今日の放課後って用事ある?」
「えっ?あ、いえ、特には」
「今日の部活、調整で休みになったんだ。もし良かったら一緒に帰ろうよ」
「!!」

その言葉に驚いた私はバッと顔を上げて小湊先輩を見上げた。目の前には好きな人の笑顔と、夢みたいなお誘い。何だか信じられなくて唖然と頬を緩ませれば小湊先輩は可笑しそうに笑って「やだ?」なんて言う。私はぶんぶんと首を横に振り、満面の笑みで返した。

「そんなことないです、ぜひ!!」
「良かった、それじゃあホームルーム終わったら
「兄貴」
「……何?春市」

私に向けられていた優しい笑顔は、小湊君の声により少し冷めたものに変わる。その視線が私から小湊君へと映されたからそれに釣られて私も小湊君を見た。前髪で隠れた瞳はきっと、小湊先輩に向けられているのだろう。ぎっと噛みしめた唇が痛そうで、私は少し顔を顰めた。
重たい沈黙のあと、すぐに小湊君が私の腕を掴んでずかずかと廊下を進んでいく。途中でりんごジュースの缶が床に落ちる音が聞こえた。だけどそれを拾うこともできぬまま私は小湊君に引っ張られてしまう。
小湊先輩だけをあの場に一人、取り残して。

「行こうみょうじさん」
「ち、ちょっと小湊君…!先輩がまだ
「先に話してたのは僕だ」
「!っえ……」

掴まれた腕に痛みが走って、そこで初めて小湊君が怒っていることに気付いた。荒々しくこちらを向いたせいで乱れた前髪の隙間から、私を睨み付ける瞳が覗く。心臓が嫌な音を立てた。初めて見た表情に焦りが湧き上がってくる。だけど睨まれるなんて思ってなくて、ましてや小湊君が怒る理由も分からずに私は黙ったまま小湊君を見つめるしかない。足音を響かせていた廊下に少しずつ生徒の声が響いてきて、教室が近いのだと気付いた私はグッと足を踏ん張って教室に戻ろうとする小湊君を止めた。

「…ま、待って、小湊君」
「………」
「何で怒ってるの?…私がさっき、小湊君との会話を止めたから?」
「…違う」
「じゃあ何で……小湊先輩が会話に入ってき
「違うってば!!」
「!ッ……」

いつも穏やかな小湊君の怒鳴り声に、肩がびくりと震える。前髪が両方に分かれて、初めてちゃんと小湊君の顔を見た。こんな形で見たくなかった。
怖い。
一体どうしたのか、どうしたら良いのか分からない。不安が胸一杯に広がって、涙が出そうになる。今までこんなことなかったから小湊君のことが心配で仕方がなかった。心配だっただけなのに。

「こ、小湊君…」
「……いいよねみょうじさんは気楽だから」
「え…?」
「僕の気持ちなんか知らないくせに」
「き、気持ちって、何が」
「嫌いだ」
「!!」

それだけ言うと小湊君は私から手を離してすたすたと先に行ってしまった。私は掴まれていた腕を見つめてから、混乱した気持ちのまま小湊君の背中に目をやる。いつも当たり前のように笑い掛けてくれていた小湊君はもう、見えなくなっていた。


「良かった、それじゃあホームルーム終わったら――」


(……終わったら…どうしたら良いんだろう)
結局最後まで聞けなかった小湊先輩の声を思い出して、どうしようもなく切なくなる。胸が締め付けられるような痛みに襲われた。嬉しいことと、悲しいこと。どちらを優先するべきか、それは突然のことすぎてただただ私に重く圧し掛かるだけだった。


20150313
僕が嫌いになった世界