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「僕、なまえのことすごい可愛いと思う」


 放課後、いつものように二人で電車を待っていたら和人が急に自慢げな口調でそう言った。五分後に来る電車を待ちながら座った青いベンチがひんやりと膝裏を冷やす。しかしそんなことより五秒前の和人の発言にびっくりして、私は隣に座る和人の横顔に視線を向けた。

「……いきなり、何言うのかと思ったら」

びっくりするし、可愛くないし。少し拗ねるようにそう返すと、和人は笑いながら「ほら、そうやってすぐ照れちゃうところとか」なんて言ってきた。照れ隠しを簡単に見破られてしまうのはいつものことで少し悔しいけど、でも和人の素直な言葉に内心嬉しくなる自分もいて何だか複雑な気持ちだ。

「ねえ、手繋いでいい?」
「…ここ、駅だよ」
「少しだけだから、ね」
「でも、人いるし…」
「少しだけ」

半ば無理矢理、だけど優しく私の手を握った和人の手は私よりも一回りだけ大きくて。
和人と付き合ってしばらく経つけど、まだ一緒に帰ったりどこか寄り道したりしただけで他には何もしていない。恋人繋ぎとか、キスとか、その先とか。和人は優しくて紳士的だからそういうのを強要してこないし私も言わないから、きっとこの先も友達の延長線みたいな関係が続くのだと思っていたんだけど。

「…珍しいね。和人がこういうこと、したいって言うの」
「そうかな」
「そうだよ」
「うーん、まあ、言わなかったから」

その言い方が、まるで"ホントはこういうことしたいって思ってた"みたいに聞こえてしまって胸が熱くなる。もしかしてこういう雰囲気、初めてかもしれない。そんなことを考えていると、和人が私に視線をやった。

「なまえ」
「…うん」
「好きだよ」
「……うん」
「…あれ、あんまり嬉しくない?」
「、そ……」

(そういうわけじゃ、ない…けど)
だってすごい恥ずかしいじゃん、こんなの。少し向こうに人がいるのに、手なんか繋いじゃって、好きとか言っちゃって。そう心の中で呟きながら私は視線を泳がせる。
自分がこういう甘い空気に慣れていないせいか、和人がやけに慣れているように感じてしまった。だからどうした、って感じだけど、やっぱり簡単に好きとか言われると不安にもなるわけで。面倒な自分に呆れつつも話題を逸らそうと空を見る。

「……寒いね」

電車、あとどれくらいで来るかな。
小さな声で呟いてから、足元に目をやる。どきどきと心臓が音を立てた。これも全部、和人がいきなり可愛いだとか手を繋ぎたいとか好きとか言い出したせいである。責めるつもりで和人に視線を移すと思いきり目が合ってしまって思わず肩に力が入った。

「っ、…あ……」
「…ねえなまえ」

いつもより低くて、優しい声。

「な、なに」
「あんまり、幸せそうじゃないから」
「え…」
「だから、心配になるんだ」
「…心配……?」

和人の言っていることがよく分からなくて首を傾げると、和人は大きな目で私を見つめたまま少しだけ弱弱しい表情を見せた。

「僕の気のせいかもしれない、けど…ちゃんとなまえのこと幸せにできてるか、本当に僕で良いのか……心配になる」

繋いでいる和人の手が、微かに震える。私はその手を強く握って和人の体温を確認した。(……あった、かい…)手袋をしていないから冷えてしまっているものの、まだほのかに手に残る熱に愛しさすら感じてしまう。

「私だって、心配になるよ」

和人は誰にでも優しいし頭も良いから、私が和人の彼女になるまでは狙っていた女の子だってたくさんいた。和人はそれでも私を選んでいつも一緒にいてくれるけど、あからさますぎる好意には少し不安を感じてしまう時がある。例えばさっきみたいに、あっさり「好き」と口にされたり、とか。私のことを好きでいてくれていることは嬉しいしそれを口にしてくれるのも嬉しいけど、身勝手な不安を感じてしまうのも事実だ。

「…めんどくさいって思う…よね」

肩を落としながらそう言うと、今度は和人が私の手を強く握った。

「僕はそうは思わないよ」
「!」
「…でも、なまえはちょっと、勘違いしてるかな」
「え…?」

和人はいつもみたいな笑顔を浮かべて、だけど少し困ったように口を開く。

「僕はなまえといる時、いつだってドキドキするし…そう簡単に好きだなんて言えないよ」
「っ、で、でも…」
「このタイミングで、変に思われないかな。どんな顔するんだろう。また恥ずかしがって俯いちゃうかも。でも、……やっぱり今、伝えたいや」
「…!」
「頭の中ではそんなことばっかり考えてる」
「…和人……」
「どう?まだ信じてくれない?」

小恥かしそうな顔で首を傾げた和人に、私は思わず俯いてしまう。するとそんな私の頭を、和人はゆっくりと優しく撫でた。また心臓が音を立てる。さっきまであんなに寒かったのに、今では顔が火照って熱いくらいだ。

「……好き」
「、」
「私も、ちゃんと、幸せだよ」
「なまえ…」
「だから、大丈夫」

和人を見つめながらはっきりとそう伝えると、和人の顔が少しだけ赤くなったような気がした。(気のせい…かな)
でも少し…ううん、すごく、心があったかくなった。幸せがこみ上げてきて泣きそうになる。和人にはいつだって幸せと、ほんの少しの不安をもらっていたんだよ。だけど今は、幸せで心がいっぱいだ。だからもう大丈夫。


「和人、」


愛しくてたまらない恋人の名前を呼ぶと、また、幸せな気持ちになった。

「…電車、もう来るね」
「そう…だね」
「明日も会えるのに、ちょっとだけ寂しいや」
「…私も、だよ」
「なまえ」
「…うん」

和人も私の名前を呼ぶ度に、少しでも幸せになってくれているのかな。そんなことを考えながら、静かに立ち上がった和人の背中を追って私も立ち上がる。電車の風圧で揺れる髪を押さえながら、その背中に軽く頬を寄せた。
 ――…これからも、ずっと、


「これからもずっと、なまえと一緒にいたい」


車輪の音に掻き消されてしまいそうな声を聞き取った時、嬉しくて鼻の奥がツンとした。



「私も、同じこと考えてた」


 20141119