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 一つ前の席のみょうじとかいう女子は、とても華奢で細い背中をしていた。高校に入ってこのクラスメイトたちの顔をそこそこ覚えてきた時、はじめて俺に声をかけてきたのがこのみょうじ。俺が落としたジャージを拾いあげたみょうじが笑顔で言った言葉を、俺はふとした時に思い出してしまうのだ。

「鏑木くんのジャージ、大きくてなんか男の子って感じだね」

あの言葉と、声と、笑顔。俺は全部覚えてる。
女子から話しかけられるのは得意ではなくて、ついお礼も言わずにジャージを受け取ってしまったけど。
(…ありがとうくらい言えただろ、俺)
今更自分を叱ったところでもう遅いんだよなぁ、と柄にもなく溜め息を吐いてみる。冷え切った冬の風が吹き、窓から見える木が少し揺れていた。そういえばあの日以来、みょうじと話すことは一度もなかったっけ。



 ――男の子って感じ。
みょうじに言われた言葉が、また授業中の俺の頭に流れてきた。
自分の背が高くないことくらい自覚していたし、周りからチビだの何だのからかわれたことだって沢山ある。そんな中で、あんな風に言われたのはほぼ初めてだったかもしれない。男の子、つまり男らしい。勝手な解釈かもしれないが俺にとっては嬉しいものだった。

(もうこいつは、覚えてないんだろうけど)

俺は頬杖をつきながらちらりとみょうじの背中に目をやる。初めて話した時よりも伸びてストンと垂れた髪。顔付きも、入学当初に比べると大人っぽくなったかもしれない。そんなことを思うけど、やっぱり華奢な背中や狭い肩幅は変わっていなくて。

(……ん?)
別にこいつの背中を授業中ずっと眺めているわけではないが、その時はたまたま少し長く見つめていたから。目の前にあるみょうじの背中が少しばかり縮こまっていることに気付いた。どうかしたんだろうか。俺はそれがやけに気になってしまい、授業そっちのけでみょうじの背中を見つめ続ける。傍から見たらすげえ変な奴だなコレ。

時折もそりと動いて、微かに体を震わせる。気付けば今日はいつもより寒くて、皆ジャージを着ているのにみょうじは着ていなかった。ああそうか、こいつジャージ忘れたんだ。
俺はふと自分が着ているジャージに目をやる。

(…これ貸したら、使うかな)
……いやいや。彼氏でもないんだしジャージを貸すなんて図々しいにもほどがあるだろ。しかも、女子に。(ヘンだろ……)そう自分にツッコミを入れてシャーペンを持ち直した。俺はまた黒板に視線を戻し、授業に集中した。


 ちょうどチャイムが鳴ったと同時に、みょうじは寒そうに体を丸めて机に顔を伏せてしまった。それが自分の目の前で行われたものだからいよいよ放っておけなくなって、半ばヤケクソな手つきでジャージを脱ぐ。
(あー、もう!!)

俺はそのひどく見慣れてしまった背中に、荒々しく自分のジャージを被せた。
すると驚いたように目を見開いたみょうじが顔を上げて俺を見る。

「っ、え……」
久しぶりに俺に向けられたその声が、あまりに懐かしくて何だか変な気分になった。

「…か、鏑木くん、これ」

少しばかり戸惑いながら俺のジャージに触れたみょうじ。雑に肩にかけられたジャージを取ろうと伸ばした小さな手を、俺は咄嗟に掴んで言った。

「さ、寒いんだろ。…ジャージ、忘れたなら貸してやる」
「!」

みょうじは大きな目をぱちくりさせて俺を見つめる。と、すぐに顔を赤くして唇を噛んだ。そんなみょうじに釣られて俺の頬も熱くなる。
(な、な、何だよその反応…)
俺はみょうじの手を掴んだまま視線を逸らした。さっきまで真正面から見ていたみょうじの顔が瞼の裏に残っている。やっぱり少し、大人っぽくなった、と思う。もともと童顔ではなかったから対して変わりはないんだろうけど…って何考えてんだよふざけんな!

 自分に一括した後、俺は小さな声でみょうじに言った。

「い、いらねえなら良いよ、返し
「ありがとう」
「…!!」

俺の言葉に上乗せしてきた優しい声。俺は思わず逸らしていた視線を戻し、目を丸くさせる。

「え、…」
「なんか久しぶりだね。鏑木くんのジャージ」
「!…覚えてたのか?」
「うん、だってあの時、鏑木くん私の顔見るなりジャージだけ受け取って離れて行っちゃうんだもん」
「あ、いや、それは」
「てっきり嫌われてるのかと思ってた」

そんなことない。俺は部活の時みたく大きな声でそう言った。するとみょうじは驚いたように笑って「よかった」と俺のジャージに袖を通す。その仕草になぜか心臓が音を立てたけど、きっと、普段女子と話さないから緊張しているだけだろう。
(そう、…そうだ、)

「みょうじ」

俺は大きく息を吸い込んで、吐く。それを二度繰り返したあとに、ずっと掴んでいた手を離して軽く頭を下げた。


「悪かった、…あと……ジャージ、拾ってくれてありがと、な」
「!」

みょうじはまた目を丸くしたけど、すぐにあの日のように笑って俺を見る。

「どういたしまして」


 また心臓が、音を立てた。


 20141006