bookshelf | ナノ
 なまえはミハイルのことが好きだった。いつもミハイルを目で追って、ミハイルと話している時はいかにも恋する乙女ですと言わんばかりの顔をする。そんななまえに対し、周りの皆は自分のことのようになまえを応援していた。しかし俺だけは、その恋が実らなければ良いのにと思っていたのだ。

 ある日の昼休み、ミハイルとなまえが廊下の隅で話しているのが目に入った。小柄で可愛らしいなまえに、とても顔立ちの良いミハイル。そんな二人はひどくお似合いに見えた。俺はなまえのことが好きだった。
あの優しく明るい笑顔も細い身体も、なまえの声も髪も想いも全てが自分のものになれば良いと何度願ったことだろう。俺は、なまえの恋を応援などする気になれないのだ。なまえの恋が実ることは、俺の恋が実らなくなるということ。確かにミハイルは良い奴で、大切な仲間だ。きっとなまえのことを幸せにできるのだろう。だが人には少なからず"譲れないもの"というのがある。まさにこれが、俺の"譲れないもの"だ。

真剣な顔で何かを話している二人を見て、俺は心臓が痛むのを感じる。もやもやと黒い何かが俺の胸の奥底から込み上げてきた。つまり嫉妬という奴だろう。こんなのは自分らしくない。俺はもうこれ以上二人を見るまいと教室に入る。どうやら酷い顔をしていたのだろう、カゲトが心配そうに駆け寄ってきて俺は我に返った。





 学校が終わり寮に戻ると、寮の裏の方から誰かが泣いているような声が聞こえて俺は寮に入ろうとしていた足を止める。よく耳をすましてみるとその声の主は女子のようだ。俺は様子を見に行った方がいいのか、そっとしておいた方がいいのか悩んだものの不意にハッキリと聞こえた泣き声に目を丸くして寮の裏へと走った。
(今のは、)
きっと……いや、間違いない、なまえの声。
俺が走り着いたそこには、やはりなまえがいた。しかしそこにいたなまえはいつもの明るいなまえではない。小さな身体を更に丸めてその場に蹲って泣いているなまえの髪は、無残にも切り落とされていたのだ。俺は慌ててなまえのすぐ目の前で腰を下ろす。

「なまえ…どうしたんだ!」
「ッ、! ムラク……っ」

俺に気付いたなまえは、顔を上げずに俺の名を呼んだ。俺はそれに答えるように優しくなまえの頭を撫でる。しかしそれは震えたなまえの手によって振り払われてしまった。ショックで言葉が詰まる。なまえはカラカラに掠れた声で言った。

「………ミハイルに…好き、じゃな…っ、て……言われちゃっ、た、」
「!」
「っわ、わたし、わけ、わからなくて…っ、か、なしくて、っうぁあ、う…」

 ぎゅっと自分の身体を強く抱きしめたなまえの爪が、痛々しく腕にめり込んでいた。
俺は思わぬ事実に唖然とする。(ミハイルが…なまえを、フッた…?)なまえが声を殺して泣き続けるのを見つめながら、俺はどうしようもない気持ちに襲われた。なまえがこんなに泣きじゃくって傷ついているというのに、心のどこかでそれを望んでいたと言わんばかりの安心感。俺はそもそもなまえの恋を応援などしていなかった。酷い話だが、振られてしまえば良いとさえ思っていたのだ。
 それが今、思い通りになった。俺にとっては良い結果ではないか。そうは思いつつも、息苦しさを感じてしまう。

「なまえ、」

未だに泣きやまないなまえをあやすようにして名前を呼んでも、まともな返事は返ってこなかった。なまえは苦しそうに声を抑えて蹲る。
 俺は耐えきれずに、少し乱暴になまえの顔を上げさせた。
唖然とした顔で俺を見つめるなまえの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっている。

「ム、ラク…」
「好きだ」
「、っ…え……?」

真ん丸く見開かれたなまえの目には、俺だけが映っていた。
無残に切り刻まれた髪が足元に散らばっているのを見て、俺はなまえの髪を名残惜しく撫でる。(こんなにも、綺麗だというのに)
 女の考えることはよく分からない。失恋をして髪を切っても、結局は何も変わらないのに。どうしてこんなに綺麗な髪を、いとも容易く切り落としてしまうのだろう。

「…なまえは、綺麗だ。優しくて、明るくて…俺はそんななまえのことがずっと好きだった」
「ッわたし、は…っ綺麗なんかじゃないよ……!」

ひどく痛々しい声に俺まで顔を歪めてしまった。
 そんな顔は、してほしくない。なまえには笑っていてほしい。それを伝えてもなまえはずっと泣いていた。そんなにもミハイルのことが好きだったのだろう。俺は、きっとミハイルには敵わない。
(だが、それでも…)

 俺はなまえが好きなのだ。


「っむら、…く、ムラクの気持ちは、嬉し、けど…っ」
「分かっている」
「!っ、」

だからせめて、その涙の理由を分かった上で、一からなまえに恋をすることは許されるだろうか。

「今すぐじゃなくて良い…いつか、俺のものになってくれ」

小さくて柔らかいなまえを抱きしめながら、俺はそう言った。その声は、自分の声とは思えないほどに、震えていた。
今は死んでしまいそうなほどにミハイルが羨ましいが、いつか、いつかきっと、そんな気持ちが消えてなくなると俺は信じている。そしてその時は、俺の隣でなまえが笑っていてはくれないだろうか。


「愛している、なまえ」


Please love someday


 20140128