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 同じクラスの皆帆君は、少し変わった人だった。
私が初めて皆帆君と話したのは放課後の教室でのこと。その日は四月一日、つまりエイプリルフール。いつものように学校が終わった後、私が課題のプリントを忘れて大慌てで教室まで戻るとそこには教室の窓越しにグラウンドを見つめる皆帆君の姿があったのだ。あまりにも真剣な表情でグラウンドを凝視している皆帆君に、どうしよう、声を掛けた方が良いのかななんて迷っていると私に気付いた皆帆君が笑って言った。

「みょうじさん、さては課題のプリントを取りに戻って来たのかい?」
「えっ、」
あまりに的確な皆帆君の予想に私が驚いていると、皆帆君は私の席を指差して自慢げに笑う。

「さっき、友達とのお喋りに夢中でプリントを鞄にしまうの忘れてたでしょ」

そう言った皆帆君は何だか少しだけ子供っぽくて、いつも一人で分厚い小説を読んでいる姿からは想像もできなかった彼の顔に私は思わず笑ってしまう。
「見てたなら教えてくれれば良かったのに」
「…それは、笑いながら言う台詞じゃなくて怒りながら言う台詞だと思うけど」

ちょっと不思議そうに首を傾げた皆帆君は、いつの間にかグラウンドではなく私をじっと見つめていた。何だろう、皆帆君の瞳はちょっとだけ、探偵が持っている虫眼鏡みたいだ。見られているだけなのに観察されているような気分になる。あまり良くは思わないけど、別に、嫌いじゃない。
 私は机からプリントを取り出して鞄にしまった。

「皆帆君は帰らないの?」
「僕はまだ良いかな。もう少しだけ見ていたいものがあるから」
「…見たいもの?」
「うん。ほら、ここからはグラウンドがよく見える」

皆帆君は楽しそうな顔でまたグラウンドに目を向ける。そんな彼の視線を追うように、私も窓の近くまで寄ってグラウンドを見下ろしてみた。
しかし見下ろしたものの中に、それほど面白そうなものは無い。(……まあ、うん、普通…だよね?)グラウンドではサッカー部と野球部が練習をしていて、先生の大きな声やたまに聞こえてくるボールを蹴る音や打つ音ばかり。強いていうなら、今日は天気が良いから私的には下より上を見た方が面白いと思うのだけれど。

「…こんなの見て何が面白いんだ、って顔だね」
「! えっ…あ、いや、別にそういうわけじゃ」
「僕の将来の夢は探偵だから、何となく、人を観察するのが好きなんだ」
皆帆君はグラウンドを見つめたままそう言った。その横顔をちらりと盗み見て、私は「そうなんだ」と小さく零す。すると皆帆君はくるりと体を回し、窓に寄りかかる体制へと変えた。

「興味無いかもしれないけど、一応ね」
「……なれる、気がするなぁ」
「!」
「何か、皆帆君なら、きっと探偵になれる気がする」

素直に思ったことを言ったつもりが、何故か笑われてしまった。皆帆君はクスクスと小さな笑いを零しながら「みょうじさんにそう言ってもらえると嬉しいよ」と言う。何で笑っているのかよく分からなかったけど、頬を緩ませている皆帆君がちょっと新鮮で私も笑った。

「もしかして皆帆君、ずっとここでグラウンド見てたの?」
「うーん、それはちょっと違うかな」
皆帆君はそう言うと、フッと私から視線を逸らす。私がそんな皆帆君を見ながら、じゃあ何してたの?と聞くよりも先に、皆帆君はまた口を開いた。
「人を待ってたんだ」
「……人?」
「うん。今僕が一番、気になってる人」
「…それって、皆帆君の好きな人、ってこと?」

思わず気になってそう聞いてみると、皆帆君は「率直だね」と言って少し困ったような顔をする。

「そうだよ。僕の好きな人」
「!」

 正直、皆帆君は良い意味の"変わってる"じゃなくて、悪い意味の"変わってる"だと思っていた。あまり人とつるんだり群れようとしない皆帆君は、周りから嫌われているわけじゃなかったけど、でもやっぱり好かれてはいないように見えたから。年頃のクラスメイトたちが恋バナで盛り上がってる時に誰かがふざけて皆帆君に好きな人がいるのか聞いていたことがあったけど、それさえもスルリとかわして表情ひとつ変えていない皆帆君は、余裕があるというか、大人っぽくて。近寄りがたいイメージがあった。だけど今こうして話してみると、皆帆君は私たちとそこまで変わらない男の子なんだと分かる。やっぱりちょっと、変わってるけれど。

「好きな人、いたんだ」
「まあね。とても可愛い人だよ。見れば見るほど面白くて、でも少し不思議で」
「……なんかその子、ちょっと皆帆君に似てるね」
「! そうかい?」
「うん、私はそう思う。…告白とかは、しないの?」
「……そうだなあ」

すると皆帆君は私に優しい視線を向けて、首を傾げた。

「して良いの?」
「………え……?」

皆帆君の言っている意味がよく分からなかった私は、何回か瞬きをしてから苦笑する。
「う、うん。良いんじゃないかな?だって告白されて嬉しくない人なんて、きっとほとんどいないと思うし…それに
「みょうじさん」
「!」

ふわり。皆帆君はそっと私の手を取って、優しく握った。

「君が好きだよ」
「っ、!……」

まさかそんなことを言われるなんて思っていなかったから私はぴしりと固まって皆帆君を見つめる。じわじわと顔が熱くなって、ついには間抜けな声が口から漏れた。

「…み、なほく…ん…」
「本当はもう少し時間を置こうと思ってたんだけど。みょうじさんが、良いって言うから」

だから言っちゃった、と言わんばかりの顔をして、皆帆君は私の返事を待った。こ、こんなの何かの間違いだ。だってさっき皆帆君は、好きな人のことを可愛いって言ったんだ。それに不思議だって。そんなの私にはこれっぽちも当てはまらない。私は頭の中で色んなことをぐるぐると考えた。そして行き着いた一つの可能性に、ハッと顔を上げて皆帆君を見つめる。(そういえば、今日は確か…)

「…皆帆、君」
「何だい?」
「え、エイプリルフールの嘘にしては、ちょっと…その、やりすぎだと思う、よ」
「………ああ…そういえば今日はエイプリルフールだったね」
「えっ」
「別に君に振られるくらいなら、嘘ってことにしても良いよ」

皆帆君はそう言うと控えめな笑顔を見せて、私の手を握っていた手を離した。少しの沈黙が続き、私は緊張のせいで掠れた声を絞り出す。

「…み、皆帆、くん…」
「うん。何だい、みょうじさん」
「そ…その、私……」

心臓がどくどくと音を立てる。掌にはじわりと汗が滲んで、さっきまでの自分の落ち着きが嘘みたいだ。私はにこりと笑う皆帆君から目を逸らして、言った。

「…今はまだ、よく分からない、けど…」
「…うん」
「す、好きに…なりたいって、思う」
「!」
「皆帆君と話してるの、す、すごい、好き…だから」
「っ……、みょうじ、さん」

皆帆君は驚いたように目を見開いたかと思いきや珍しく顔を赤くして私の腕を引っ張る。そして強く引き寄せて、そのまま私を抱き締めた。
「!!っ、み、みな、」
「好き。大好きだよ」
伝えて良かった、と小さく言った皆帆君の体はきっと、私と同じくらい熱くて。でも、すごく…あったかい。私はゆっくりと目を閉じて、皆帆君の優しい匂いと体温を感じた。もう、少しだけ彼のことを好きになっているのかもしれない。だって……

「…っ、ありがとう、皆帆君」

このままずっと、こうしていたい。心からそう強く思った。
皆帆君は私の頭を撫でながら、その手をそっと頬に持っていく。皆帆君の手は、熱かった。

「"エイプリルフールの嘘"にならなくて、良かったよ」



嘘にもできたかな
(それは甘い嘘なんかではなくて、幸せな本当でした)


 20140402