bookshelf | ナノ
俺の夏休みはまるで風のように過ぎ去って行った。
まだ猛烈な残暑が残る中、俺は久しぶりの制服に袖を通して学校へと向かう。また空白ばかりで何の充実感もない日々が始まるのだ。みょうじはどうしているだろうとか、そんなことを考えながら校内履きに履き替える。何だか久しぶりすぎて自分の靴じゃないような感覚だったが、俺はそのまま一人で教室のドアを開けた。
「…おはよ、瞬木」
「! あ、ああ…おはよ」
教室を入った途端に近くにいたクラスメイトが控えめな挨拶をしてきたから俺も同じように控えめに返す。
(…そんな引き気味な顔して挨拶するくらいだったら声なんか掛けるなよ)
そんな愚痴を心の中で呟きながら俺は自分の席に座った。ちらりとみょうじの席を見る。まだみょうじは来ていないようだ。
ホームルームが始まっても、みょうじは来なかった。風邪でも引いたのだろうか。俺はなるべく気にしないようにしていたが、それは無理なことだった。
今日は終業式だけだからお昼前には帰宅して、俺はまた弟たちの「おかえり」という声で現実に戻される。みょうじのことを考えている時だけは自分の今の状況など忘れて気が楽になるような気がした。
(…自分で"他人だ"とか言ったくせに…おかしい、だろ)
翌日。またみょうじは来なかった。
その次の日も、またその次の日も。ただの体調不良にしては少し休みすぎじゃないか。そう思った俺は、担任に声をかけてみょうじの欠席理由を聞いてみた。
「何度かみょうじの自宅に電話をしてみたんだが、全く連絡がつかないんだ」
「え…?」
「親御さんは仕事が忙しくてほとんど家にいないらしい。先生も心配だから様子を見に家まで行こうかと思ってたんだが…瞬木、みょうじと仲が良いなら見舞いに行ってやってくれないか」
「…別に俺は…」
「頼んだぞ、瞬木」
「………」
頼むだけ頼んで担任は教室を出て行ってしまった。
(くそ…なんでこんなことに…)
俺は仕方なく担任の後を追って教室を出る。すると担任は何かを思い出したように俺を見た。
「みょうじの家はすぐそこのマンションの203号室だ」
この近くのマンションと言えば思い浮ぶのは一つだけだった。俺はとりあえず「分かりました」と返してみょうじが住んでいるであろうマンションへと向かった。
「…203号室……」
203号室のインターホンの上には、確かに"みょうじ"と書かれていた。俺は小さく深呼吸をして、インターホンを鳴らす。
(…今更、どんな顔して会ったら良いんだよ……)
親が仕事で忙しくてほとんど家にいないということはつまり、今きっとこのドアの向こうにはみょうじしかいないのだろう。それを考えると何だか緊張してしまって、俺は思わずその場から立ち去ろうとドアに背を向けた。しかし、それは突然聞こえた静かな声によって止められてしまう。
「ピンポンダッシュしに来たの?瞬木君」
「!!」
その声は紛れもないみょうじのものだった。
「みょうじ……」
「…久しぶりだね」
みょうじの表情は、俺を1ミリも責めようとしていない。あの時と変わらない、懐かしい笑顔だった。
髪、ちょっと伸びたな。何だか疲れた顔をしている。みょうじってこんな顔してたっけ。あれ、少し痩せた?元から細いのにそれ以上細くなってどうすんだよ。ああ本当に久しぶりだ。
俺は色んなことを考えたけど、結局何を言えば良いのか分からずにみょうじから目を逸らす。
「……先生、心配してたぞ」
やっと出た声はすごくぶっきら棒だと自分でも思った。だけどみょうじはそんなの気にもせずに笑って返す。
「先生に頼まれて来てくれたの?」
「…頼まれただけだ」
「ありがとう。瞬木君」
「……」
「……」
「………」
「…ちょっと…背、伸びた?」
「……みょうじは、痩せただろ」
「…そう、かな」
「…髪、伸びたな」
「…うん。切ろうかなって思ったんだけど、やめたの」
「…ずっと家にいたのか」
「…コンビニとかには、行ったよ」
「…友達は?」
「………どう、かなぁ」
みょうじは少しだけ気まずそうに俺から目を逸らした。それが何だか不可解で、俺は思わず一歩ずつゆっくりとみょうじに近づく。近くで見るとますます元気そうには見えなかった。
「………瞬木君…あの、ね」
「…なに」
「……ごめん、なさい」
みょうじが俺に謝る理由が分からなかった。
「…なんで?」
するとみょうじは俯きながら答える。
「……やっぱり、他人じゃ、なくて…………、…好き」
「!」
「…もう、どんな顔して会ったら良いか分かんなくて…ずっとずっと夏休みが続けば良いのにって思って、…で、そんなこと、思ってるうちに…夏休み…終わっちゃ、って」
だんだんと涙混じりになっていくみょうじの声に、俺はどうしようもなくなってしまった。目の前で小さく震えながら涙を我慢しているみょうじを見て、きつく唇を噛み締める。(みょうじ、みょうじ…)
みょうじは夏休みの前と何も変わっていなかった。
「ごめ、んなさい…好きで、…好きに、なっちゃって…ごめんなさい」
ついに泣きだしてしまったみょうじを見て、俺は深いため息を吐く。
苦しそうな声を漏らしながら泣きじゃくるなまえは、まるで瞬や雄太とさして歳の変わらない子供みたいに見えた。みょうじもこんな風に泣くんだ。みょうじもこんな風に悩んでどうしようもなくなったりするんだ。目の前の大きくて小さい子供を見つめながら、俺はそんなことを考える。
あの日みたいに力任せにみょうじを抱き寄せると、みょうじはまた俺の胸に顔を押しつけて泣き続けた。
「……ごめん」
俺の目線よりいくらか下の方にあるみょうじの頭をぽんぽんと撫でながら、俺は口を開く。声が掠れていることなんか気にもならなかった。
「…ずっと、みょうじのことばっか考えてたよ」
「…っ え……」
「後悔、してた」
「!……」
目を丸くして俺を見つめるみょうじの顔は、俺が初めてみょうじと話した時の顔とは違って別人のようだ。顔を真っ赤にしながら、きらきらで大きい目から次々に涙を零している。俺はそれを、可愛いくて綺麗だと思った。
みょうじはこんなにも、素直で、優しくて。だからこそ傷つけたくなかった。俺のせいで、みょうじの学校生活を壊したくなかった。(だけど……それでも俺は、)
「好きだ」
(この想いを、捨てたりなんかできないんだ)
「……わた、し…他人じゃなくて、瞬木君の恋人になれるかな」
「なれるに決まってるだろ」
そっとみょうじの頬に手を添えて、優しくみょうじの頬にキスをする。
「…どんなに傷ついても良い。周りに何て言われようと何をされようと、みょうじが傍にいないと俺、無理だ」
「私も、同じだったよ。ずっと前から」
みょうじはいつもの綺麗な笑顔を浮かべながら言った。
「私と付き合って下さい」
その言葉に俺が大きく頷くまであと一秒。大好きと言ってまた抱きしめるまであと二秒。…… もう二度と付き離さないと誓うまで、あと三秒。
となりの夏にはかのじょがいた
20140211