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 中学一年生の初夏、俺には好きなやつがいた。それはみょうじなまえという女で、みょうじはいつも教室の隅で本でも読んでそうなタイプなのに、いつだってみょうじの周りには俺にはいない"友達"がいる。それが最初は何か気に食わなくて、生意気だと思った。だけどある日、俺は初めてみょうじと話した。その時のみょうじの笑顔は今でも覚えている。すごく、綺麗な笑顔だと思ったんだ。



「瞬木君は、なんか、他の人と違うね」

 普段の俺の対応や性格は上辺のものだから、他のやつらと何ら変わりはないはずなのだ。それなのにみょうじは俺の顔を見つめたまま「たまに泣きそうな顔してる」と言う。それが俺はとてつもなくショックで、悔しくて顔を逸らした。
「みょうじは俺が他のやつと違うって言うけど、」自分の口から出た声が冷え切っているのに気付く暇もなく俺はみょうじを睨んだ。

「同じ人間なんかいないだろ」

わりと、正論を言ったつもりで俺は口を閉じる。みょうじの顔から笑顔が消えた。(どうせ、俺がこんな冷たいやつだって知って傷ついたんだろう)だけど、違った。みょうじは少しだけ俺から視線を外して、また笑う。

「そんな性格だろうと思ったよ」
「!」

それはあまりにも、楽しそうな笑顔で。俺は呆然とその笑顔を見つめた。(こいつは…何を、言ってるんだ)よく分からない。みょうじのペースに巻き込まれてしまう。

「そっちの方が私好きだよ」

みょうじはそれだけ言うと笑顔のままどこかへ行ってしまった。残された俺は、ただ一人で何も言えずに立ちつくす。みょうじ、みょうじ。初めて俺の中で、特別な存在ができた。鳴りやまない鼓動が腹立たしくて床を蹴れば、ふと窓に映った自分の顔が真っ赤になっていることに気付く。
 俺は初めて、人を好きになった。

 それからはみょうじが頻繁に声を掛けてくるようになって、だけど盗みをしたという事件があってからどこか周りから嫌われている俺と仲良くするせいでみょうじまで避けられるのは嫌だったから何度も冷たくあしらった。それでもしつこく構ってくるみょうじに、しつこいと思いながらも本当は心から嬉しかったんだ。
(このまま、ずっと)



 夏休みの少し前に、みょうじが俺を好きだという噂が立ち、俺は絶望した。
教室にいると周りの視線が妙に鋭くて、俺は自分の考えが間違っていたことに気付く。みょうじが俺と仲良くするせいで避けられるんじゃなくて、俺がみょうじと仲良くするせいで更に嫌われているんだ。
別にそんなのは構わない。だけど、みょうじは違った。


「瞬木君」

 夏休みの前日、みょうじが俺に頭を下げた。
「ごめんね、ごめん…本当に、ごめんなさい」
その謝罪の意味が分からなくて俺はみょうじの肩に初めて触れる。小さくて、温かいその肩に俺はその場の空気など忘れて勝手にときめいた。しかしみょうじは顔を上げることはなく、何度も俺に謝り続ける。

「…もうやめろよ」

遂に出た声は、あの時と同じ。やけに冷たくて、だけどあの時と違うことが一つ。みょうじがどんな顔をしているのか分からなかった。俺の顔を見ようともせずに頭を下げたまま、みょうじはまたごめんと言った。俺はそれが今までで一番気に食わなくて、思わずみょうじを睨みつける。
 違うんだ。みょうじは悪くない。あいつらが、クラスのやつらが悪いんだ。そして、きっと俺も悪い。

「瞬木君のこと、傷付けたよね」

ふと目に入ったみょうじの小さな手が、これでもかというくらいに震えていることに気付いた。俺はみょうじの肩から手を離して、言う。

「別に。クラスのやつらに嫌われようと所詮他人なんだから俺は気にしない」
「…!」

その時、初めてみょうじが顔を上げた。
みょうじは今にも泣きそうな顔で俺を見ていて、そんな顔に胸が締め付けられる。こいつは馬鹿だ。俺とみょうじは他人なのに。その他人のことを気にして泣くなんて、俺にとっては信じられないことだった。
 しかし次の瞬間みょうじはそれよりもっと信じられないことを口にする。

「…私にとっても、他人だよ」
「は…?」
「私が瞬木君と仲良くしてるからって瞬木君のことを嫌う人たちなんか、本当の友達じゃない」

俺には、みょうじがどういう意味でそれを言っているのかが分からなかった。
こいつはどこまで他人に対して優しいのだろうと、どこまでお人好しなのだろうと思っていたから。俺はみょうじをどこか馬鹿にでもするように笑って言う。

「みょうじは本当に、変わってる」
「瞬木君も相当だよ」
「…ああそうだな俺も相当だ。まさかお前のこと好きになるなんて思ってもみなかっ
「私も好きです」
「……は…?」
「だから瞬木君が嫌な思いするの、嫌だよ」

つい口走ってしまった言葉に対する返事に、俺は目を丸くしてみょうじを見つめた。みょうじはあの日みたく綺麗な笑顔を浮かべている。
突然のことに頭がついて行けずにいるとみょうじは少しだけ照れ臭そうに顔を赤くして俺を見た。不覚にもこっちまで頬が熱くなる。(嘘だ、みょうじが俺のこと好きなんてそんな、)そんなことがあるわけない。だけどみょうじの顔はどう見ても嘘を付いているようには思えなかった。

「やっぱり瞬木君、他の人と違うよね」
「!」

また言われたその台詞に俺は舌打ちをする。

「…だから、」

力任せにみょうじの肩を掴んでそのまま自分の胸へと引き寄せる。突然のことに反応できなかったのだろう、みょうじは無抵抗のまま俺の胸に飛び込んできた。みょうじの小さな体はまるで自分とは違う生き物なんじゃないかと思うくらい柔らかくて温かくて、ひどく愛おしく感じてしまう。離したいない。離れていってほしくない。そんな我儘さえ浮かんだ。

「同じ人間なんて、いない。所詮他人は分かり合えないんだ」
「…瞬木君の嘘つき」

吐き捨てるようにして言った俺の言葉を、みょうじは笑った。

「言ってることとやってること、矛盾してるよ」
「うるさい黙ってろ」
「私は瞬木君と他人じゃないって思ってるけど」
「……」
「だって、好きだもん。分かり合いたいって思うもん」

みょうじは必死に俺の顔を見ながらそう告げる。
(…俺だって、そうだ)本当はみょうじの隣でずっと笑っていたいしみょうじと分かり合いたい。みょうじの一番になりたい。他の奴らなんて気にしない、ただみょうじだけを見ていたい。だけどもしそうなったら、みょうじは自分の周りの人間からどんな目で見られてしまうだろう。きっと、みょうじは傷つくんだ。だったら俺は自分の恋なんて実らなくても良い。みょうじが今までと同じように笑っていられるならと思い、俺はゆっくりとみょうじから離れた。

「…瞬木君……?」
「俺はみょうじとは違う」

みょうじの目が見開かれる。ひどく胸が痛んだ。

「もうやめてくれ。俺に関わるな」

みょうじと目を合わせないようにしてそう言うと、みょうじは少しだけ黙り込んでしまった。自分勝手だと思う。本当に俺は最低だと思う。
(だけどこうするしか…)
ぎゅっと両手を握りしめて、体の底から沸騰した液体みたいに沸き上がってくる感情を抑え込む。俺はみょうじへの最後の言葉を口にした。


「俺とみょうじは、他人だ」




 明日から夏休みが始まる。
きっと陸上部の練習やら弟の世話やらで潰れるであろう夏休みを、俺は全くもって楽しみにしてなんかいなかった。


かのじょのいない夏をまつ



 20140211