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 みょうじは、いつだって笑っていた。
付き合ってほしいと言ったのは俺なのに、みょうじには悲しい思いをさせてばかりで、だけど俺はみょうじの悲しそうな顔なんて見たことがなかった。

 夏休みが終わったある日、俺はずっと前から好きだったみょうじに思いを伝えた。みょうじは誰からも好かれるような性格で人当たりが良く、だからこそこんな俺とも仲良くなってくれたのだろう。俺のことだけを真正面から応援してくれたのはみょうじが初めてだったから、俺はみょうじを好きになったのだ。
好きだと伝えた時のみょうじの嬉しそうな顔は、今でもはっきりと覚えている。こんな俺の言葉を、素直に喜んでくれたあの笑顔。俺は、あの笑顔を守りたいと強く思った。それなのに。
全ては、他校との練習試合の前日に俺が掛けた電話を合図に壊れていったのだ。


「みょうじ…悪いな、こんな時間に」
「ううん、大丈夫だよ」

みょうじの優しい声を久しぶりに聞いて、電話越しだがすごく安心する。
今までハードな練習続きだったため、みょうじとまともに話すのは一週間ぶりだった。

「一週間ぶり、くらいだね」
「ああ」
「練習してるとこ、観に行きたかったんだけど私も忙しくて」
「そうか。気にするな」
「ありがとう。…怪我とか、してない?体調はどう?いい感じ?」
「ああ、明日のために体調管理もちゃんとしてたからな」

明日の試合は絶対に勝てる、と俺が自信満々にそう言うと、みょうじの詰まったような声が聞こえた気がした。それを不審に思い、俺はついサッカーについて語ろうとした口を閉じる。少し、沈黙が続いた。

「…みょうじ、」
「剣城は、サッカーが好きなんだね、ほんとうに」
「!」

俺は思わぬ言葉に一瞬驚いたものの、ハッキリと肯定する。

「ああ、好きだ」
「……あのさ」
「…どうした?」
「……ううん、何でもないよ」

 ひどく、悲しそうな声。
俺はどう返して良いのか分からず黙り込んだ。みょうじもしばらく何も言わなくて、理由は分からないが気まずすぎる沈黙が続いた。ふと、俺は時計を見る。時間はもう12時を過ぎていた。

「…もうこんな時間だ、な」
「…うん、そうだね」
「寝なくて、大丈夫か?」
「…うん、大丈夫だよ」
「じゃあ、もう少し
「でも剣城は、明日に備えてちゃんと寝なきゃ」
「!」

もう少しだけ、話がしたい。そんな俺の言葉は、あっさりと遮られてしまった。
(…今日のみょうじは、おかしい)
一体どうしたのだろう。しかしそれが分からない。俺は少し悩んだが、さすがに明日の試合を寝不足という状態で臨むことはできないと思い、小さく頷く。携帯を握る手が、無意識に強くなった。

「…そうだな、じゃあ、おやすみ」
「……うん、おやすみ、剣城」

俺はもやもやとした気持ちのまま携帯を耳から話して、電源ボタンを押そうとする。しかし、ふとカレンダーに目をやった時俺はそのもやもやの正体に気付いた。
(…そうだ、今日は……!)

「っまて、みょうじ!」

荒々しい声でみょうじを呼ぶと、どうやらみょうじはまだ電話を切っていなかったらしく、「どうしたの?」とまた悲しい声が聞こえた。
俺は携帯を握りしめ、言う。
(今日、今日は……)

「お前…今日、誕生日…だろ…」

今の今まで忘れてしまっていた罪悪感と、焦りと、不安。そんなものを抱えながら必死に絞り出した声は、まるで自分の声ではないように聞こえた。俺の言葉を聞いたみょうじが、また黙り込む。どんな言葉が返ってくるのか、俺はただジッと待った。


「…やっと、思い出してくれたね」
「! …っ、すまない、本当に」

こんなことをしてもみょうじには見えっこないのに、俺は深く頭を下げる。
するとみょうじはさっきと変わらない悲しそうな声で、今までで一番小さく言った。

「……剣城は、サッカーのことしか頭にないんだ…ね、」

その言葉に、俺はどうしてみょうじがこんなに悲しそうなのかやっと理由が分かった。それと同時に、悔しくて、何も言い返せない。
(みょうじの、言う通りだ…)

「…私ね、剣城が告白してくれた時、すごく、嬉しかった。こんな私のこと、好きって言ってくれて、付き合ってくれて、本当に本当に、毎日が楽しみだったんだよ」
「、みょうじ……っ」
「でも…今は違うよね、剣城も、私も」
「、」
「…私…サッカーには、勝てないよ」
「!!」

 それは、俺たちの恋が壊れる瞬間だった。
電話越しに、みょうじが泣いているのが分かる。それなのに俺はその涙を拭うことすらできない。どんなに手を伸ばしても、決して届くことはない。俺は、これでもかというくらいみょうじを傷つけたんだ。みょうじに、決して消えない傷を負わせてしまった。
 みょうじの悲しそうな声が聞こえるたびに、俺はどうしようもない罪悪感で一杯になった。俺はいつからみょうじに我慢をさせていたのだろう。いつから、こんなに悲しい思いをさせていたのだろう。俺がみょうじの悲しそうな顔を見たことがなかったのは、みょうじがいつも笑っていたからではない。(俺が…気付くことすら、できなかった、から)


「もう……別れよう…?」

俺はその言葉に、ただ、何も言えず頷いた。
 気付けば悔しさに涙が出そうになって、最後に「ごめんな」とみょうじに言う。みょうじは少しだけ強がったような声で、
「大好きだったよ、剣城。わたし……後悔してない、から」
そう言った。
(だけど、俺は…)

 好きになんて、なるんじゃなかった。そうすればみょうじは傷つかなくて済んだのに。俺が、みょうじを好きになったせいでみょうじはこんなに傷ついた。
いつかのみょうじの嬉しそうな顔が頭に浮かんで、俺はゆっくりと携帯を持っている腕を下ろす。
(終わりは、呆気ない)
恋の重さを、俺は知った。まだ自分が子供だったことを知った。好きな人を失うくらいなら、恋なんてしない方が良かったのかもしれない。



愛は罪だった
(後悔ばかりが、俺を埋めてゆく)


 20140102