bookshelf | ナノ
「井吹君、また痣増えたね」
「ああ、まあキーパーだからな」
「でもすごく痛そうだよ」
「そりゃいてえけど、そんなこと言ってちゃキーパーなんてできねーよ」


 井吹君はいつだって強気で積極的で、腕や足そしてお腹にいくつ痣ができようとも弱音を吐いたりしなかった。キーパーなんだから痣ができるのは当たり前だとか、私が心配する度に井吹君はそう言って笑う。そんな井吹君を私は心から尊敬していた。私には無いものを、井吹君は持ってる。それが羨ましくて、だから何となく井吹君は遠い存在に感じた。

「お疲れ様、さくらちゃん」
今日の練習が終わり、ドリンクを取りに来たさくらちゃんに声を掛ける。いつもと同じく疲れ切った顔のさくらちゃんは私を見ると笑顔で言った。
「ありがとう。…あれ、その腕どうしたの?」
「え?」
さくらちゃんが私の右腕を指差して心配そうに首を傾げる。その視線を追って自分の右腕に目をやると、確かにそこには身に覚えのない切り傷ができていた。

「あ…多分なにかで切っちゃったのかな」
「私、消毒してあげよっか?」
「ありがとう、でも大丈夫だよ。これでもマネージャーだからね」
「そう?それなら良いんだけど…」

ドリンクを飲み終えたさくらちゃんがタオルを持って合宿所へと向かう。その後ろ姿を見届けてから、私は傷口を洗いに水道へ向かった。するとそこには見慣れた姿があって、
「井吹君?」
思わずそう声を掛けると、井吹君はこちらを見た。
「なまえ、何か洗いに来たのか?」
タオルで顔を拭きながらそう言った井吹君に気付かれないよう腕を隠し、「うん、手を洗いに来たの」と返す。どうやら鈍感な井吹君は気付いていないようだ。「そうか」とだけ返して私が使うための場所を開けてくれた。

「ありがとう」
そう言って井吹君が立ち去るのを待ったのだが、どうにも井吹君は立ち去ることなく私を見つめている。これでは傷口が洗えない。
「…あ、あの、井吹君?」
「何だ?」
「部屋戻らないの?」
「ん…?そりゃ戻るに決まってんだろ」
「じ、じゃあほら、早く戻った方が良いんじゃない?」
遠まわしに早く行けと急かすと井吹君は眉間に皺を寄せて私に近づいた。

「、え、な、何…」
「ちょっと腕見せろ」
「!!待っ、」
怒ったような口調で私の腕を引っ張った井吹君は、右腕の傷を見てため息を吐いた。
「…これ、どうしたんだ?」
「あ…た、たぶん何かで切っちゃったんだと思うの。でも大丈夫だよ、洗って消毒すればすぐに治るから」
「そういう問題じゃねえよ」
「え?――っひ!ちょ、ちょっと…!」
井吹君が訳の分からない事を言ったかと思えばいきなり傷口を舐められ全身に鳥肌が立つ。まるで犬のように私の傷口を舐め上げ、それを止めることなく繰り返されるせいで変な声が出てしまった。
「やっ、ひぁ…!」
最後にべろりと舌を這わせて私を見つめた井吹君。その顔はどこか怒っているようで、それともただ単に不機嫌なだけなのか分からずに私は井吹君を見つめ返すことをかできない。


「お前、キーパーとマネージャーは違ぇだろ…」
「え?な、何のこと…?」

本当に分からなかったから聞いただけなのに井吹君は余計に眉間の皺を深くさせた。

「別にキーパーの俺はいくら傷ができたって良いけどよ、お前はマネージャーとはいえ女だろ。傷残ったらどうすんだよ」
「あ……べ、別に私だって怪我することくらい承知でマネージャーやってるんだから、井吹君がそんなに怒るようなことじゃな
「ふざけんな!」
「っ、」

いきなり怒鳴られて肩が上がる。井吹君は少しばかり荒くなった息を吐いてからもう一度私を見つめた。少しの間があって、そして井吹君が優しい手つきで私の腕を取る。

「…自分の体、大事にしろよ」
「!」
「ほら、早く傷洗っとけ」
「あ、う、うん…」

そう言うと井吹君は蛇口を捻り出た水で私の傷口を洗ってくれた。たまにぴりぴりと傷が痛んだけど、それよりもなぜか心臓がバクバクしていて、すごく距離も近くて、井吹君の優しさに頭痛までしてくる。
「い、井吹君、もう自分でできるから…」
「良いから黙ってろ」
「……う、ん」

いつもとは違う井吹君の落ち着いた声がまるで脳を解かすように耳に響いて、何だか意識がぼんやりとした。すると洗い終えたのか井吹君は水を止めて私の腕から手を離す。
「ちゃんと絆創膏貼っとけ。分かったな?」
「わ、分かった」
「……なまえ、お前熱でもあんのか?」
「っえ、え、あ、いや」
そんな問いに慌てて首を横に振る。かなり挙動不審になってしまったが井吹君は騙されてくれたみたいで、「そうか」と呟いた。しかしそれと同時に何故か私の腕は引っ張られて、井吹君の顔が近づいてきて、終いには鼻と鼻がくっつくほどの距離になってしまう。

「い、っ井吹君…?」
焦ってうまく声が出なかった。それでも必死に井吹君に問いかけると井吹君はニヤリと黒い笑みを見せて言う。
「じゃあ何でそんなに真っ赤になってんだよ」
「!!」

何も言い返せない。
目の前には井吹君の顔があって緊張するし、ドキドキする。別に井吹君のこと恋愛感情として見てなかったはずなのに。こんなことされただけで、もう、心臓が爆発してしまいそうだ。

「べ、べつに…きょ、今日ほら、暑いから!」
そう言いきって井吹君から目を逸らしたのに、次の瞬間私の唇は井吹君の唇と重なった。

「っ――ん、う」
ちゅっと小さな音を立ててから、井吹君はまた犬のように私の唇を舐め上げる。それにビクリと私の肩が揺れたことに気付いた井吹君は少しばかり嬉しそうに、自慢げに笑って私の耳元で囁いた。


「お前、俺のこと好きになってんだろ」



きらり輝く水とKISS
(何も言い返せなかった理由はひとつしかない)


 20130913