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 私にとっての悲劇は試合中に起きた。


「俺はお前が好きだ!」

久坂君の大声がグラウンド中に響き渡る。マッハタイガーとの試合が始まってからも元気が無くプレーも思うようにいかない様子の好葉ちゃんに、久坂君が告白をした。
 突然の告白にもちろん皆も吃驚していた。おそらく観客まで聞こえているんじゃないだろうか。唖然と久坂君を見つめる好葉ちゃんの顔が、少しずつ赤くなる。
「お前はあったかいし、顔もかわいい!」
私が立っている場所より少しだけ向こうの方で、まるで試合を忘れているかのような雰囲気を醸し出している二人を見つめた私は心臓が痛いくらい締め付けられる感覚を感じて目を逸らした。

「俺の彼女にしてやるから、元気出せ!」
「、」
その言葉に私はハッと目を見開いて、また久坂君に視線をやる。
(ああ、なんで)
どうしてあそこにいるのが、私じゃなくて好葉ちゃんなんだろう。そう心の中で呟いた。べつに良いじゃないか、だって好葉ちゃんは私より何倍もあったかくて可愛い、今までずっとそう思っていたはずなのに、思わず零れた本音に涙が溢れそうだ。

「っ、」
必死に涙を押し込めて、私は二人を視界から消す。好葉ちゃんがどのように答えたのかここからじゃ聞こえないけど、きっと、どうせ、
(二人は付き合うんだろう、な)
そう思うと割り切ったはずの気持ちがぼろぼろのぐちゃぐちゃになって崩れていくようで、怖かった。だからもう何も見ない、何も感じないようにしてただただ試合だけに集中する。その後の好葉ちゃんのプレーは、すごく輝いてた。私は、ひどくどうしようもないプレーしかできない。

(この差は、どうしてなんだろう、)






「ごめん」
試合が終わって真っ先に私の耳に届いたのは、皆帆君の声だった。

「…なんで謝るの?」
「僕が嘘をついたから」
「、」
視線が地面をとらえる。確かに皆帆君は嘘をついた。
「君にも可能性はあるって…僕は本当にそう思っていたよ、でもその推理は間違ってて、結果的に僕は君に嘘を…」
「じゃあ何ができるの」
「…え?」
歪んだ目元を、涙が伝う。皆帆君はそれを見てすごく慌てたような顔をした。皆帆君のこんな顔は始めて見る。

「謝っても、どうにもならないから、良いよべつに」
謝らなくて良い。皆帆君は何も悪くない。そう付け加えると、皆帆君は少しだけ唇を噛み締めていた。それがどういった意味なのか私には分からないけど、きっと皆帆君は悔しいのだろう、自分の推理が外れて。そう思ったけど、違った。

「…ずっと、我慢してたでしょ」
「え…?」
「久坂君と森村さんを見て、ずっと、泣きそうな顔をしてたのに」
「…!」

(見られ、てた…?)
私は情けなくて恥ずかしくて、思わず顔を逸らす。今は久坂君が好葉ちゃんに告白したことより、皆帆君に泣きそうな顔を見られたことがショックだった。(情け、ない)
 だけどそんな私とは裏腹に、皆帆君は優しく笑う。そして、
「みょうじさんは、強いよ」
そう言った。
「っ…私は、強くなんか、」

そうだ、私はいつだって自分の気持ちすらハッキリさせられずに、押し込めて、逃げて、目を逸らしてた。私が弱いせいで、こんなことになった。私がもっと強ければ久坂君だって私を見てくれたかもしれないのに。
 皆帆君の言葉を否定するように首を横に振れば、皆帆君は眉間に皺を寄せて私の腕を掴む。驚いて皆帆君を見ると、真っ直ぐに私を見つめているその視線にびくりと身体が震えた。
(私は、本当に、)

「強くなんか…ない……」
「それは違うよ」
あまりにハッキリとしたその声に、私は吃驚して目を見開く。

「だ、って…わ、っわた、し、久坂君に…っ」
堪えた涙が、まるで栓が抜けたかのように溢れだす。みっともないくらいに頬をぼろぼろと伝って、地面に落ちた。声を出そうとすればするほど涙の量は増えて、皆帆君も思わず焦ったような顔になる。私はからからになった喉から、必死に声を絞り出した。

「くさ、か、君にっ…何も、い、いえ、言えなかっ、た、ッ…う、あぁ、あ」
思わず皆帆君に掴まれていない方の手を彼の肩に伸ばす。力加減などできずに、抉るほどに強く、男の子にしては少し華奢な肩を掴んだ。
「っす、きって…好き、って、言えたら…そ、したらっわた、し、もっと、ッし、しあ、幸せだった、のにっ…!」
「…っ、みょうじさ
「変え、てよ…!わたし、と、好葉ちゃ、っか、変えて、わ、たし、私の方、がっ…ずっと、ずっ、と、」
「ッ――みょうじさん!!」
「!」
始めて聞いた皆帆君の大声と同時に、私は皆帆君に抱きしめられた。
溢れ続ける涙が皆帆君のユニフォームを濡らす。喉をしゃくり上げながら、小さく「ずっと、久坂君のこと、好きなのに」とこぼした。その声は消えてしまいそうなほどに小さく弱いものだったのに、全て聞こえていたのか分かっていたのか皆帆君は優しい声で「わかってるよ、全部」と私の髪を撫でる。

「それで良い。もう我慢しないで良いんだよ」
「っみな、ほ君、」
「みょうじさんは強い。他の誰よりも強くて、優しい」

まるで私を慰めるようにぽんぽんと背中を叩きながら、皆帆君はそう言った。そんな彼の声が優しくて、でもどうして、こんなことまでしてくれるのか、あんなことまで言ってくれるのか、それが分からなくて。だけど皆帆君はハッキリと言った。私が不思議に思ったこと全部、解決してくれるような言葉を。

「僕は、君が好きだよ」
「っ、え……?」
「君は以前、僕に言ったよね。"皆帆君は恋なんてしたことないだろうから"って」
「!」
私が小さく頷くと、皆帆君はまた笑う。
「僕には分かるよ。人がどんなに強い意志でどれだけ一途にその人のことを想うのか、全部分かる。だって、僕がそうだから。僕が君を強い意志で、一途に想ってるから」
「、」
「僕じゃ駄目かな」

皆帆君は少し眉を下げてそう言った。
(知らな、かった…)
私は驚きのあまり何も返せずに固まる。今まで、気付きもしなかった。皆帆君のことは普段から凄いと思っていたし、その推理力はチームの皆からも頼られて羨ましいと思ってたけど、ただそれだけで、まさか皆帆君が私を好きだったなんて。
 しばらくしても口を開けない私を見た皆帆君が、少し困ったように言う。

「君は森村さんを羨ましいと、森村さんと代わりたいと言ったけど、それは僕も同じだ。僕だって久坂君が羨ましいし久坂君と代わりたい。どうして久坂君なんだろう、僕の方がずっと、」
「!」
「…ずっと、君のことを好きなのに」

皆帆君の視線が私から外れて、自信の無さそうな表情を見せる。
 私は皆帆君の気持ちを何も分かっていなかった。皆帆君の表情を見て、自分が憶測だけで彼を傷つけたか不快な思いをさせたのだと自覚した。皆帆君が恋をしたことないなんて、どうして決めつけた?彼が恋心を分かってないなんて、どうして思った?全部、私の憶測なのに。自分が久坂君に想いを伝えられないからって皆帆君に八つ当たりして、自分勝手に傷ついてたのは私だ。それなのに皆帆君は、私を心配してくれた。彼は何ひとつ悪くないのに、わざわざ謝りにきてくれた。そして、私が久坂君のことを好きと知っていながら、恐れずに自分の気持ちを伝えてくれた。

「わ…私は、」

 私なんか、強くない。強いのは皆帆君の方だ。

「皆帆君が思ってるほど、強くない…自分勝手で、すぐに決めつけて、一人で傷ついては皆帆君に八つ当たりして、それに」
「八つ当たりでも僕は嬉しかったよ」
「、え…?」
皆帆君は気付けば笑顔で口を開く。
「君は僕に本音をぶつけてくれた。君の悪いところ、他の皆は知らないかもしれないけど僕は知ってる。それは君にとっては嬉しくないかもしれないけど僕にとってはすごく嬉しいことなんだ」

そして自慢げに笑って、皆帆君は最後にこう言った。

「僕は君の悪いところをもっと知りたいし、もっとたくさん傷付けてくれて構わない。八つ当たりしたって、さっきみたいに思いきり泣いて僕の肩に爪を立てても、どんなに汚い本音を自分勝手に僕に投げかけても良い。それで君が笑顔になれるなら、僕は何だって嬉しいよ」
「っ、!」

言い終えた皆帆君が一歩ずつ私に近づき、私の手を優しく握った。それに私は吃驚したけど、不思議と嫌じゃない。ただ唖然と皆帆君を見つめて、目が合うと少しだけ心が温かくなる。皆帆君は、不思議だ。

「でもね」
ちょっと苦笑気味にまた口を開く皆帆君は、案外よく喋る子だなと思った。私の知らない皆帆君の性格が、少しずつ私の脳に記憶されていく。不意に、もっと知りたいと願った。

「僕だって人間だから、君の恋が実るのは嫌だ。たとえそれで君が笑顔になるとしても、僕はそれを受け入れたくない」
すごいわがままだけど、と小さく呟いて私を見つめる皆帆君が何だか少し可愛くて、思わず笑みが零れた。

「っはは、」
「!」
「皆帆君、私もちょっとだけ、嬉しいよ」
「…みょうじさん、」
「っえ、!?」

ぐい。思いきり引っ張られてそのまま皆帆君に抱きしめられる。ふと視界に映った皆帆君の頬は赤く染まっていた。
私はまた笑いを零して皆帆君の背中に腕を回す。この温かくて優しい皆帆君を、愛しく思った。

「…やっと、笑ってくれたね」
皆帆君はそう言って嬉しそうに笑った。その笑顔は抱きしめられているせいで見えなかったけれど、何だか嬉しくなってしまって私は皆帆君を強く抱きしめ返す。「みょうじさん」と名前を呼ばれて少しだけ顔を上げると、照れくさそうに笑う皆帆君が優しい声で言った。

「いつだってこうして、君のそばに居ても良いかな?」
「――!」

そんな顔でそんなことを言われるとこっちまで恥ずかしくなってしまって、真っ赤に染まった顔で私は満面の笑みを浮かべた。

「私が何て答えるかなんて、聞かなくても分かってるくせに」

すると皆帆君も笑って「そうだね」と私にキスをした。これ以上にない幸せなファーストキス。私たちは笑い合って、もう一度キスをする。好きになってくれてありがとうと、心の中でそう呟いた。


(正義も悪も分からない私に、ちゃんとした愛を教えてね)


 20130903