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「ああ、もうそんな時期だったか」

 季節は夏。もうすぐ夏休み。
そんな話題が出た時に、私の想い人である彼、緑川はそう言った。

「サッカーばかりやっていて、全然気に留めなかったよ」
「緑川はサッカーばっかりだもんね」
椅子に座って背筋を伸ばしながらそう言った緑川に皮肉っぽく言ってやるとそれに気付いた緑川が苦笑して言い返す。
「そういうみょうじだって、何か一生懸命になるものひとつくらいあるでしょ?」
「緑川に比べたら私なんかまだまだだよ」
「あ、今俺のこと馬鹿にしたでしょ」
「どうかなあ」

そんな楽しげな会話をしつつも、私は少しばかり苦しい思いをしていた。
緑川はいつだって明るいし優しいし、たまにデリカシーのないことを言うけれどこまめに気遣いをしてくれる。だから周りの女子からの人気も高いし、なんたって整った顔立ちをしているからそんな顔でフレンドリーに話しかけられたら誰だって少しは気が入ってしまうだろう。
しかし緑川はそれに全く気付きもしない鈍感野郎なのだ。きっとこんなちっぽけな私の想いなんて、届くはずもない。
そもそも私は周りの女子に比べたら緑川と仲が良い方だと思うし、緑川から積極的に声をかけてくることが多い。けれどもそれは、たとえ周りからは緑川に近い存在と見られてても緑川本人からしてみれば所詮"友達"としか認識されないだろう。

 私が少し肩を落としてため息を吐くと、不意に緑川が問いかけてきた。
「なあみょうじ、夏休みは何するの?」
「私?私は…夏休みずっと暇かもしれない」
「はは、みょうじらしい」
「そーいう緑川だってどうせサッカーばっかりなんでしょ?」

ちょっと馬鹿にされたように笑われたから、わざと憎らしく返した。
そしたら一瞬ムッとした緑川。(か、可愛いかもしれない今の顔。)そんな事を思っていると、緑川は強気に言った。

「俺だって、好きな人と過ごしたいと思う時間くらいあるさ」
「えっ?」

たった今ムッとしていた緑川だが、すぐにいつもの強気というか自信満々みたいな顔になって「地球にはこんな言葉がある…」と言いだした。しかし私は緑川の言葉を最後まで聞かずに、むしろそれを遮って口を開く。

「好きな人いるんだ」
「ん?…ああ、まあね」
「可愛い子?」
「もちろん」
「へえ、緑川にはもったいない」
「辛辣だなあ。俺にだって、水魚の交わり、というものがあるんだ」
「す、いぎょのまじ、わ……?」

緑川に好きな人がいたなんて思いもしなかったから少しだけショックを受け混乱していると、いきなりよく分からないことを言いだすものだから余計に混乱してしまう。しかし緑川はそんな私をよそに今度こそ自慢げに言いきった。

「地球にはこんな言葉がある。水魚の交わりってね。」
「何それどういう意味?」
そういって私が小首をかしげると、急に視界が暗くなった。その原因は誰かに目をふさがれたからということに気づくまでに約3秒。
 突然の状況に慌てていると、今度は唇までふさがれた。(、え?)

「み、ど、緑川…!?」
思わず緑川を呼んでしまう。
だって、今の今まで私の目の前にいたのは緑川だ。だからこんなことができるのも緑川くらいであろう。けれど、それを推理した時にはすでに私の顔は真っ赤になっていた。
私が慌てて手を振り払い緑川の顔を見ると、緑川はクスリと笑って意地悪くこう言った。

「水魚の交わり。水と魚の関係のように、非常に親密な友情や交際の事を言うんだ。って事で、みょうじ。俺と水魚の交わりをしよう」
「え…あ、あの…?」
「まだ意味が分からない?みょうじの事好きって事だよ」

そう言って、薄く笑いながら髪をいじる緑川はとても愛らしく見えた。
ああ、夢にも思ってなかったなんて想いが湧いてきて、次の瞬間、緑川に抱き着く。ゆらりと揺れた憧れの緑色の髪が、こんなにも近くにある。



水魚の交わり
(ええ、喜んで!)


 20130807