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 隣のクラスの新開くんと知り合ったのは、ウサ吉がきっかけだった。飼育小屋の前にしゃがみ込んで何やら怪しい箱を覗き込んでいる新開くんを見かけた時は、まだ彼が"新開隼人"だとは知らなかった。そういえば隣のクラスにあんな人がいたような、とぼやけた記憶を掘り起こしながらその姿を見つめているうちに箱からちらりと顔をのぞかせた可愛いうさぎ。そのあまりに愛らしい顔がこちらに向けられた時、私は思わず声を漏らしてしまったのだ。

「可愛い」

どうやら地獄耳らしい彼は私の声に気付き、驚いたような表情で私を見た。その途端に私はハッと我に返り、「あ、いや、その」と何もかもを誤魔化したい気持ちで後ずさる。しかし彼はとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「可愛いだろ、ウサ吉って言うんだ」

 それからだ。彼、新開くんが妙に私に絡んでくるようになったのは。



 正直、新開くんと話していると時間を忘れるくらい楽しい気分になる。クラスメイトの子供っぽい男子とは違って新開くんはとても大人だ。喋り方や立ち振る舞いだけじゃなくて、気遣いができる優しいところ。あと、ウサ吉は今日も元気だという写真付きのメールをほぼ毎日欠かさず送ってきてくれるところは、すごくマメだと思った。

 だが、私が新開くんと親しげに話す一方で、少しだけ面倒だと思うことがある。それは今まで何人もの友人から聞かされた「新開と付き合ってるの?」という言葉。誰が言い出したのか分からないその下らない噂は、気付けば同じ学年のほとんどの人が知っているという状況にまで広がっていた。
本音を言うと、別に悪い気はしない。だけどそれはあくまで私の話で、新開くんがどう思っているかは分からないのだ。直接それについて新開くんと話したことはないし、そもそも「新開くんは私とのことをそういう風に言われて嫌じゃない?」なんて口が裂けても聞けないだろう。なぜなら私にそんなことを聞く勇気などないから。

余計なことは考えない方が良いのだろうか。そんなことを考えながら、私はウサ吉がいる飼育小屋付近へと向かっていた。

「…あ」

夏だからだろうか、雑草が元気に生えまくっている地面を踏みしめると、あの日のように箱の前でしゃがみ込んでいる新開くんを見つけて私は思わず笑顔を浮かべてしまう。
「新開くん」
あの日とは全く違いはきはきとした声で新開くんを呼ぶと、新開くんも少し嬉しそうに見える顔で振り返った。

「やあみょうじさん、来てくれたんだ」
「うん。ウサ吉元気にしてるかなって気になっちゃって」

新開くんの挨拶にそう返しながら、私の箱の前にしゃがみ込む。おいしそうにキャベツを頬張るウサ吉を見つめるととても心が癒された。
「ウサ吉、また少し大きくなったね」
前に新開くんからウサ吉とその母親のことを聞かされたこともあり、ウサ吉がこうして元気に生きているのを見ると何だか安心してしまう。そんな私の言葉に、新開くんは薄い笑みを零しながら言った。

「ああ。安心するよ、本当に」
「そうだね」

 ぽつりぽつりと会話を交わしながら、そういえば新開くんとこうして二人きりで話すのは久しぶりだななんて考える。もともとクラスも部活も委員会も違うから、廊下ですれ違った時くらいしか話せない上に、ゆっくり落ち着いて話ができる機会は本当に少ない。というかほとんどないのではないだろうか。まあ、だからこそこういう時間がすごく楽しく思えるのかもしれないけど。

「…そういえば、さ」

 しばらくウサ吉を眺めたり撫でたりしながら満喫していると、ふと新開くんがぎこちない口調でそう切り出した。私は、珍しくよそよそしい仕草をしてみせた新開くんを不思議に思い首を傾げる。五秒、六秒と短い沈黙が続き、やっと口を開いたかと思えば新開くんは予想外な言葉を口にした。

「みょうじさんって、好きな人とか、いるの?」
「え」

あまりに予想していなかったその質問に、私は目を丸くして驚いてしまう。するとそんな私の反応を見て新開くんは焦ったように顔に手をやった。

「や、やっぱり良いや。忘れて」
「いないよ」
「……え、本当に?」
「うん…でも急にどうしたの?」

どうして新開くんがいきなりそんなことを聞いてきたのかが疑問でそう問い返してみると、新開くんは気まずそうに視線を逸らしてから答えた。

「…みょうじさんと付き合ってるのかって、最近よく聞かれるんだ。だから、もしみょうじさんに好きな人や彼氏がいるんだったら、なんか、そういう噂とか嫌なんじゃないかと思って」
「!」

柄にもなく潮らしい声でそう言った新開くんに、私はまた目を丸くした。新開くんも同じ、というよりは似たようなことを考えていたことに吃驚で言葉が出ない。気付けばさっきまでウサ吉を囲み和やかだった空気が、まるで少女漫画のように小恥ずかしい空気になってしまっている。
(…やっぱり新開くんは、優しいんだ)

「…私、嫌だとかそういうの思ったことないよ」

思ったことをそのまま口にして新開くんに笑い掛けると、新開くんの顔が少しだけ赤くなったような気がした。
「ほ、本当かい?」
「むしろ新開くんと同じこと考えてた」
「…!」
「ほら、その…新開くん、女の子に人気あるし私なんかと噂になったら
「みょうじさん」
「…――え、」

まだ喋っている途中だというのに、隣から新開くんのしっかりした腕が伸びてきて、そのまま肩を掴まれる。ぐい、と少しだけ力を入れられてウサ吉に向いていた体が新開くんの方へ向けられた。何が何だか分からないまま呆気として新開くんを見つめれば、その整った分厚い唇が動き、とんでもない言葉が浴びせられる。

「好きだ」

 冗談だろうと笑い飛ばしてしまいたくなるような信じられない言葉も、新開くんの真剣な顔を見せつけられたら嫌でも本気なのだと分かってしまう。
新開くんのことをそういう目で見た記憶なんてないのに、どきどきと心臓がうるさいくらい音を立てた。

「あ、え……あの、新開、くん…」

きっと顔は真っ赤になって、すごくみっともないんだろうな。そんなことがふと頭に浮かんで、思わず顔を逸らしてしまう。するとすぐに新開くんの顔が近くなって、囁くような声で言われた。
「こっち向いてよ」
その声があまりに優しくて、甘ったるくて、頭がおかしくなってしまいそうだ。心臓は相変わらずうるさいし、新開くんは1ミリの離れてくれない。私たち以外の人は誰もいないとはいえウサ吉が見ているこの状況が恥ずかしいと思いつつも、それを口に出す余裕は全くと言っていいほどなかった。

「し、しんかい、くん」
「…ずっと、みょうじさんのことばっか考えてた。メール送る時もこうしてウサ吉の話する時もすごく幸せで、付き合ってるのかって聞かれた時だって…そうだよって頷いてやりたかった。……本当に、好きなんだ」
「っわ、私は…」

好きじゃないわけでもなくて、好きというわけでもなくて、何と言ったらいいのか分からないこの気持ちを伝えようと口をぱくぱくさせていたら新開くんは眉を八の字にして優しく笑う。

「…その反応をみると、可能性はゼロじゃなさそうだな」

 それにしても、すごくすごく嬉しそうな笑顔だ。私の考えていることとか思っていることが全てバレてしまったかのような気分になった。
どういうわけか満足したらしい新開くんは、掴んでいた私の肩から手を離し、私の手を優しく握る。余裕があるように見えたその顔からは想像もできないくらいに火照っている新開くんの掌に、心臓が口から飛び出してしまいそうだ。
(緊張、してたんだ…新開くんも)

「あ、あの、新開くん」
「ん?」

私は真っ赤になった顔を隠すように俯いた。どんな顔をして新開くんの目を見れば良いのかわからないまま新開くんの大きな手を握り返す。心臓が一回大きく跳ねて、顔がますます熱くなった。不思議と、今は、ずっとこうしていたい。


「今日も…メール待ってる、から」
「!」

小さな声でそう言うと、新開くんは繋がれた手をするりと恋人繋ぎにして、ぎゅっと力を入れた。私はそれに驚き、新開くんに顔を向ける。ばちりと目が合ったと同時に、新開くんが嬉しそうに頷いて頬を染めた。

「もちろん」

その顔があまりに可愛くて。いつもの大人っぽい新開くんからは想像もできないくらい、子供っぽくて。こんなことを思っている時点で私の心はすっかり新開くんに持っていかれているのだろう。でもそれを嫌だとは思わなかった。むしろ、もっと、もっと新開くんに持って行かれていい。その想いの正体に気付くのは、もう少し先なのかもしれないけれど。


2文字の魔法


 20140716