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 幼馴染のなまえは、兄貴のことが好きだった。
それを直接なまえから聞いたことはなかったけど、なまえを見てれば分かる。俺はなまえのことが好きでなまえだけを見てきたけど、なまえは兄貴のことが好きで兄貴だけを見ていた。そんなのずっと前から分かっていたんだ。
それなのに。



「…兄貴、今日はいないぜ」
「あれ。水曜日の部活は、六時で終わりじゃなかったっけ」

今日もいつものように兄貴に会いに来たなまえの手には、あるものが握られていた。それは丁寧にラッピングされた小さな箱に入っていて、俺はすぐにそれの正体に気付く。今日は女子にとって特別な日、そうバレンタインデーだ。

「それ兄貴にだろ?」
「裕太のも作ってあるよ」
「ありがとな」
「うん」

小さく頷いたなまえの顔は、ちょっとだけ寂しそうに見えた。そりゃそうだ。本命である兄貴がいなくて、今ここにいるのが俺なんだから。それを思うとひどく虚しい気分になったが、俺は一旦考えるのをやめてなまえをジッと見つめた。そして、兄貴が未だに帰ってこない理由をなまえに告げる。

「兄貴さ、彼女できたんだ」
「……え…?」
「今日デートすんだって。昨日、電話で話してた」

 なまえの手から滑り落ちた箱が、小さな音を立てて地面に落ちた。

「……、そう、なんだ」

ひどく動揺した声は、心成しか震えているようで。俺は地面に落ちた箱を拾い上げ、少し崩れたラッピングを元通りに整える。
「………」
気付けばなまえは俯いたまま黙り込んでしまっていた。俺はそんななまえを見るのが辛くて、代わりに拾い上げた箱を見つめながら口を開く。

「…これ、預かっとくから」
「い、いいよ、いい。彼女いるのに、こんな、」
「渡せよ」
「でも」

もういいの、となまえは何回も繰り返した。ついに堪え切れなくなったのか、なまえの目から透明な雫がぼたぼたと零れ落ちて地面を濡らす。俺はそれをただ見つめながら、唇を噛み締めた。兄貴が羨ましいと、心の底からそう思いながら。
 しばらくなまえは声を殺して泣いた。くりっとした大きな目を真っ赤にし、長く綺麗な睫毛を濡らして。俺はそれを見つめることしかできない。自分の無力さに腹が立ったのと同時に、兄貴にはまた別の苛立ちを抱いた。

「…それ」
「!」
「裕太食べて」
「…これは、兄貴のだろ」
「いらなかったら、…捨てて、いいから」

俺は手に持った箱を見つめながら眉間に皺を寄せる。
これを食べたところで、俺はなまえの本命にはなれない。だったらそんなの何の意味も成さない。これは他の誰でもない兄貴が食べなきゃ意味がないんだ。捨てるなんてそんなこと、できるわけがない。

「なまえ」

 きっと兄貴なら、笑顔でこれを受け取ってくれる。毎年毎年本当に有難いよと。ありがとうと。きっとそう言って笑うんだ。これが本命とも知らずに。なまえの気持ちになんかこれっぽっちも気付かずに。
(そんなの……酷過ぎるだろ)
俺はなまえの華奢な肩に手を伸ばして、そのまま抱きしめた。

「俺のこと、好きになれよ」

絶対、幸せにするから。なまえに、自分に言い聞かせるようにそう言っては、自分が惨めだと思うばかりで。俺は所詮こんなことしかできない。なまえは俺に振り向かない。だけど、それでも俺はなまえのことが好きなのだ。ずっと前から、幼い頃からよそ見なんかせず、ずっとなまえを。なまえだけを。

「……裕太」

悲しそうななまえの声が耳に届く。優しく押し返された胸が、ひどく痛んでどうしようもない。
「ごめんね、裕太」
期待などしたつもりはなかった。なまえが決めたことなら俺はいくらだって応援するし、兄貴に彼女がいるとかいないとかそんなの関係無しに、なまえの恋が実るよう、できることは全部する。

だけど。

「…いいよ。全部、分かってたしさ」
「……私はずっと…」
「兄貴のこと、好きだったんだろ」
「……」
「これからも、ずっと、好きなんだろ」

なまえは小さく頷いた。
 それでいい。俺は、惨めだっていい。俺がなまえをずっと好きだったのと同じように、なまえもずっと兄貴が好きだった。そしてそれはこれからも、きっと続いていく。もちろん兄貴はそんなこと知らないし、知ることもないだろう。
 ――じゃあ、誰がなまえの涙を拭うんだ。

「……俺は、さ。なまえのことが好きだ」
「、」
「それでもなまえが兄貴を好きなら、俺はそれでいい。……ただ、」
「! …裕太」

俺はそっとなまえの濡れた頬に手をやって、今も止まらずに溢れだす涙を拭った。

「好きでいることくらい、許してくれないか」

 なまえの涙が止まらなかったら俺がいくらでも拭ってやる。俺がいくらでも笑わせてやる。俺の恋は実らなくたっていい。だったらせめて、実ることはなかったとしても想い続けることを許してほしかった。

 俺がなまえの頬から手を離し、もう一度その整った顔を見つめればなまえは両手で顔を覆ったのを合図に大声で泣きじゃくった。

「好きになったのが、裕太ならよかった」

最後に小さく言ったその言葉が俺の胸に刺さる。
(俺は、自分が不二周助ならよかったのにって思うよ)
 今日は最悪のバレンタインデーだ。なにひとつ報われやしない、最悪の日。それでも俺は、前に進むことができるのだろうか。ここからあと一歩踏み出せば、何かが変わるのかもしれないけれど。


へたくそ

 20140701