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これのその後の話




「俺は大好きです、なまえ先輩」

 あれからもうすぐ二週間が経とうとしていたが、なまえ先輩が俺の彼女になることはなかった。別に避けられているわけではない(と思う)が、やはり学年が違うと廊下ですれ違うことも少なくて。でも先輩もそこまで鈍感で呑気ではないだろうから、それを考えると気まずくて俺のことを避けているという可能性も浮かんでくる。俺は先輩に会いたくて声を聞きたくて、もどかしい毎日を送っていた。


 今日もいつものように練習を終えて、俺は無意識に先輩の姿を探してしまう。いつも俺が帰る準備を終える前に先輩は逃げるようにして学校を出てしまうからゆっくり話すどころか声を掛けることさえ困難なのだ。
(やっぱ避けられてるのかなぁ…)
そんなことを考えながら部室に入ろうとしたその時。

「!!」

少し向こうで携帯を弄っている先輩を見つけて俺は目を疑った。どうしてこの時間に、彼女がここにいるのだろう。誰かを待っているのだろうか。もしかして新開さん?いやまさかそんなことはあるわけがない。たった数秒で色んなことを考えた。俺はとりあえず深呼吸をして、先輩の元へと足を進める。
何て声を掛けようとか考えるより先に、口が勝手に開いてしまった。

「なまえ先輩」
「!……ま、真波くん…」
「どうしたんですか、こんな時間に」

先輩てっきり帰っちゃってると思いました、と。我ながらすごく自然に声を掛けることができたと思う。先輩は少し焦っているようだったが、すぐに俺を見て、ぎこちなく笑う。

「あ、その、友達をね…待ってたの」
「そうだったんだ」
「うん」
「俺のことは、待っててくれないのに?」
「!」

(あ、ちょっとこれは、駄目だったかも)
心の中で反省した時にはもうすでに遅く、やっと和らいだ空気がまた気まずいものへと変わってしまう。先輩は少しだけ視線を泳がせていた。俺は何となく、察してしまう。もうそろそろこの未練がましい恋も諦めたほうが良いのかもしれないとか、友達を待ってるとか言っておいて本当は新開さんのことを待っているんだろうなとか。

「…俺、もう行かないと」
「……そっか」
「はい」
それ以上会話を続けることなく、気付けば弄っていた携帯を握り締めて俯く先輩の姿がそこにあった。俺はやっぱり、分かっていてもすごく悔しい。せめて、この場で俺の気持ちを断って欲しかった。そうすれば少しは俺の気持ちだって変えることができたかもしれないのに。

「ねえ先輩」
「な、なに?」
「好き」

先輩は何も言わず目を見開いた。俺はそんな先輩に笑い掛けてから、部室に戻ろうと背中を向ける。
 正直、自分がこんなに誰かを好きになるなんてありえないと思っていた。自転車ばかり乗っていたせいで周りが楽しめるような話題を振ることは得意ではないし、良い意味でも悪い意味でも浮いている存在だと自分でも自覚している。そんな俺が今こうして先輩のことをこれでもかというくらい好きになっているのだから、我ながら青いなと思った。
(新開さんが…羨ましいなぁ)
新開さんなら、先輩をどういう風に好きになるんだろう。先輩のことを毎日笑わせる自信なら、きっと俺の方が強いのに。俺からしてみれば、届かない恋よりも、届くのに報われない恋の方が何倍も辛くて苦しい。

「俺、先輩のことがすごく好きです」
「っ…」
「でも先輩が俺のこと好きじゃないならそれで
「ま、真波くん!」

先輩の焦ったような声が、立ち去ろうとする俺を呼び止めた。俺は少し吃驚して振り返る。するとそこには、顔を真っ赤にして俺を見ている先輩の姿。
「…先輩?」
キョトンとする俺なんか構いもせずに、先輩は緊張のせいか震えた声で言った。

「ほ、ほんとは友達を待ってたんじゃなくて…」
「、え?」
「真波くんに、ずっと、言えてなかったから」
「!」
「その、返事…言いたくて、待ってたの」

 何が、起こってるんだろう。
こんなのは、俺が思っていた言葉じゃない。返事なんてもらえないものだとばかり思っていた。先輩はてっきり、俺のことを嫌いになったと思っていた。あの日俺がびしょ濡れにして汚した先輩のスカートが、すっかり綺麗になって風になびく。

「真波くん」

先輩の顔がもっと真っ赤になって、そのきらきらした瞳が俺を捕える。どきりと心臓が高鳴った。まるで委員長が好んで読んでいた少女漫画みたいに、周りが輝いて見える。久しぶりに聞いた先輩の声。俺は、これでもかというくらい期待した。これで終わりじゃないのかもしれないって。

「私も、真波くんのことが
「なまえ先輩」
「!!っわ、ま、真波く…」

先輩が言い終える前に、俺は思いきりその華奢な体を抱き締めた。その瞬間俺を包むようにして香った優しい匂いが先輩のものだと気付いた時、俺はもうどうしようもないくらい先輩のことが好きだと自覚する。

「好き…好きです。何よりも、誰よりも」

先輩が俺の隣にいてくれるなら俺は何もいらない。何も必要としない。
(あ…でも、自転車は欲しいや)
すると先輩は恥ずかしそうに俯いて、俺の背中に手を回す。

「好き」

始めて、その言葉をその口から聞くことができた。ずっと願って、ずっと望んで、これなれば良いと何度夢に見たことか。俺はあまりの嬉しさに、先輩を抱き締める力を強めた。
「っちょ、ま、真波くん…苦しいよ」
苦笑したような、けれど幸せそうな先輩の声。俺はこの声が大好きだ。

「先輩、俺の恋人になってください」

大きく頷いた先輩の唇に、俺は吸い寄せられるようにキスをした。
「っん…う、」
この声で、もっと俺を呼んでほしい。優しい声で、山岳、って。

「先輩…名前、呼んで」
「…さ、山岳」
「はい」
「山岳、」
「大好きです。なまえ先輩」
「わ、私も…好きだよ。大好き」


「新開さんより、俺のこと見て下さい。俺のために、笑ってほしいです」

 いつしか先輩に向けて言った言葉が頭に浮かぶ。俺は先輩の肩に手を置いて、優しく笑い掛けた。

「やっと俺のこと見て、俺のために笑ってくれた」

先輩が、驚いたように目を丸くして、すぐに笑顔になる。その瞳には少しだけ涙が滲んでいた。
 先輩のことを何よりも大切にする。何があっても先輩を傷付けたりしない。そんな確証のない誓いじゃなくて、俺はもっと、特別な言葉を先輩に贈ろう。

「これからどんどん重ねていく俺の"今"を、先輩にあげます」

ふわりと優しい風が吹いて、先輩の顔にまた笑顔が浮かぶ。

「私の"今"も、山岳にあげるね」
「! …そんなのもらったら、俺、幸せすぎて死んじゃうよ」
「じゃあいらない?」
「いる」

俺は即答して、また先輩にキスをした。先輩から貰えるものは、全部欲しい。
(…むしろ先輩自体が欲しいくらいなんだから)
なんて言ったら、先輩は困ってしまうだろうか。でもそれで先輩がもっと俺のことを好きになってくれるなら、もっと俺で頭を一杯にしてくれるなら、いくらでも言ってしまいそうだ。

「先輩、今、何のこと考えてますか?」

先輩は少し照れくさそうに髪を揺らして、答える。

「山岳のこと、好きだなぁって」


「ねえ、山岳は?」


答えはきみと同じでいい


 20140620
タイトルサンクス さよならの惑星