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「先輩」
「…ま、真波くん?」
とある放課後、教室で新開くんを待っていたらなぜか真波くんが来た。

 私はずっと前から同じクラスの新開くんのことが好きで、だから新開くんの色んな姿が見たくてよく自転車競技部の練習を見学しに行っていたのだ。真波くんとはそこで知り合って、いつのまにか私が新開くんに好意を持っていることがバレてしまっている。
だからといって真波くんは別に私を冷やかしたりとか、新開くんを含め他の人にバラすだとかそんなことはせずに、ただ黙ったままでいてくれた。だけど私が新開くんと二人で話をしていると、必ず真波くんと目が合うのだ。真波くんはいつだって、ただ見ているだけだった。何かを期待するではなくて、ただずっと、新開くんを見ている私のことを見ていた。

教室のドアを開けっ放しにして私に近づく真波くんを見つめて、首を傾げる。

「…新開くん、まだ部活?」
「ああ、たぶんもうすぐ来ると思いますよ」
「そ、そっか」
「はい」

短い会話が終わって、真波くんの片手に握られたコーラの缶に気がつく。
「…真波くん、コーラ飲むの?」
「これですか?飲みますけど」
「そうなんだ…」
「先輩、飲みたいんですか?」
「え?あ、ううん、そうじゃなくて…」
まだ最後まで言い切ってないのに真波くんは「いいですよ」なんて笑ってコーラの缶を開けてしまう。(真波くんってコーラ飲むイメージじゃないなって思っただけなんだけど…)

「ああそういえばこのコーラ、新開さんに貰ったんですよ」
「えっ、」
私がすこし驚くと、真波くんは無表情で私に言った。
「やっぱり先輩、新開さんのこと好きなんですね」

よくわからないけど、すごく悲しそうな声だった。

「…そんなことより、真波くんはどうなの?」
「え?」

コーラを飲もうとした真波くんの動きが止まる。
私をじっと見つめたまま目を座らせて動かない真波くんが怖くなって、私は顔を強張らせてしまう。
「ま、真波くんは……好きな人とか、いないのかなって、」
だんだんと小さくなる語尾と真波くんの反応に、自分でもこの話題はマズかったかなと思った。なんで真波くんがあんな反応したのかは分からないけど、私が最後まで言わずに口を閉じれば真波くんが口を開いた。
「それ、」
「っ、い、いたッ」

凄い速さで真波くんの腕がのびてきて、そのままがしっと肩を抉るように掴まれる。
ぎりぎりと力を強められて涙が滲んだ。わけがわからないまま、真波くんが叫ぶように私に言った。

「それ…先輩が言うなんて、あんまりですよ…!!」
「っま、真波く…」
真波くんまで泣きそうな顔をしていた。
――私が言ったら、駄目だったの?私、だから?
真波くんが言った言葉の意味が分からなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

「ッ、ああ、先輩…コーラ飲みたいんでしたっけ…っ」
「え…っ?」
焦りに満ちた真波くんの顔には、冷や汗すら流れていた。その理由も分からずにいると、真波くんはいつの間にか机に置いていたコーラの缶を手に取り、私のスカート目がけてその中身をぶちまけた。

「っつめ、た…!」
スカートは濡れて色が変わり、太ももに張り付いて気持ちが悪い。炭酸が太ももの皮膚を刺激して身震いした。
私が真波くんを睨むようにして見つめれば、ハッと正気に戻った真波くんが「うわっ」と大きな声を上げて、慌てて自分の鞄からタオルを出した。
「ご、ごめっ…先輩、すいません…!!」
焦って震えた真波くんの手が、ごしごしと私のスカートをタオルで拭く。
スカートはびしょびしょになってしまって、それもコーラがベタベタしてとてもじゃないけど気分は悪い。それなのに真波くんのこんな表情を見せられたら怒るなんてできなくて、私は無言で真波くんを見つめた。私の視線に気付いた真波くんがちらりと私を見て、息を止めた。肩は少し上がってて、私の説教を待っているようだった。

「…真波くん」
「は、はい」
「ごめんね」
「…は、い…?」
「なんか、真波くんの気持ち、よくわかんなくて」
聞いちゃいけないこと、聞いちゃったね、と。少し目を伏せてそう言うと、真波くんは急に黙りこんで私の手を握った。

「…?」

いきなりの行動を疑問に思い真波くんを見上げれば、真波くんの唇が薄く開いて、少しばかり掠れた心地の良い声が私の耳に響く。

「俺の好きな人、先輩です」
「…え…?」

まるで何かを堪えるかのように口をぎゅっと紡いで、真波くんはまた黙った。
しばらく沈黙が流れて、気付けば空がだんだんと暗くなってくる。(新開、くん…まだかな)そんなことを思っていながら、実は頭の中は真波くんのことばかりで、正直ここで新開くんに来られたらそれはそれで困ってしまう。
 カランと少し大きめの音を立てて、真波くんの手から滑り落ちたコーラの缶。まだ缶の中には少しコーラが残っていたようで、教室の床が茶色の液体に汚れた。

「てっきり俺、じぶんの気持ち先輩にバレてると思ってたんです、けど」

――なんか、やっぱ思うようにいかないもんですね。新開さんがライバルだと。
 真波くんはそう言って苦笑した。その苦笑の意味がよく分からずに、私は思わず口を開いてしまう。
「笑えて、ないよ。真波くん」
「……なに言ってるの、先輩」
真波くんの苦笑が、やがて悲しそうな顔へと変わっていく。
「やっぱり、笑えないくせに、」
「だから、何言って…」

「真波くん、


――ごめんね」


真波くんの目が、少しだけ見開かれた。
その綺麗なスカイブルーが私をとらえて、真波くんは今にも泣きだしそうに目を歪ませる。

「真波くんの気持ち嬉しいけど、やっぱり私、」
「先輩、ストップ」
「え…?」
私の口に手を寄せて、真波くんは言った。
「フラれるの嫌なんで、返事は先輩が俺のこと好きになってからで良いです」
「、」
その真っ直ぐな気持ちとその瞳に、今度は私が目を見開く。
「新開さんより、俺のこと見て下さい。俺のために、笑ってほしいです」
「ま、真波く…」
「俺は大好きです、なまえ先輩」

 彼が頬を緩ませて素直に笑ってそう言うのと、私がその笑顔にときめいてしまうのは同時だった。

真波くんは言いたいことを言い終えてスッキリしたのか、鞄を握りしめコーラの缶すら放って教室を走って出て行った。一人取り残された私のもとに残るのは、羞恥と、高鳴る鼓動。
 真波くんの真っ直ぐな笑顔が頭から離れなくて顔に熱がたまる。ああ、完全にしてやられた。


ずるいよね、きみってほんと
(こんな真っ赤になった顔、新開くんに見せられない)
(そうは思えども、その熱が冷めることはなかった)


 20130705