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「なまえ先輩」
 
 いつもの若の声が、耳元で響いた。
私は閉じていた瞼をうっすらと開けて、ぼやけた視線が気になったため目を擦る。

「ああもう何やってるんですか、擦ったら駄目でしょう」
若にそう言われてハッと意識を取り戻した。そうしたら目の前に若の顔があって吃驚した私は思わずガタンと音を立てて座っていた椅子から立ちあがる。そんな私を見た若が呆れたように笑った。

「っわ、若…!?」
「おはようございます、良い夢見れました?」
「え…あ、あれ…」
「先輩…人を呼び付けておいて勝手に寝て良いなんて誰が言いました?」

若の黒い笑顔に思わず顔が引きつった。
 どうやら私は図書室で寝てしまっていたようだ。放課後、たまには図書室で本でも読もうと思い一時間くらいずっと図書室で本を読んでいた。そしたら面白いテニスの本があったから恋人の若に教えてあげようと思って図書室に来るよう若にメールをしたのだ。それがまさか、若が来る間に寝てしまっていたなんて。
気付けば窓の外は真っ暗になっていてそれに驚く私を見た若がため息をついた。

「全く、まあ別に怒ってはいませんけど寝るならもっと人気のないところで寝て下さい」
「え、」
「言ってる意味分かりませんか?貴方の寝顔を他の奴に見られたくないんです」
「!っ…わ、かし…」

 私にそう告げた若は、優しく笑って私の手首を掴む。それを不思議に思い若を見つめれば、目付きの悪い瞳と視線が交わった。よく皆が若の目付の悪さを指摘するけど、私はこの若の目付きは嫌いではない。若はすごく綺麗な瞳をしてる。だから目付きの悪さなんて私からしてみれば気にするほどのことでもないし(若と出会った当時はこの目付きが怖いなとも思ったが)若だって優しい目付きをする時がある。
私がそんなことを考えていると、あまりにも若が真剣でいつもは見せないような顔をするから私は息をのんだ。

「なまえ先輩、」
「わ、若?」
「愛してます」
「へ」
いきなりそう言われて間抜けな声が出た。
若は普段、あまり自分の想いを好き好んで口にしない。恥ずかしいのか柄じゃないのか、それとも口にするほどの想いを私に寄せていないのかは私には分からないが、たぶんきっと若からしてみれば何となくだけれど好きだの愛してるだのそういうことは普段から口にすることではないんだと思う。たまに言い合うのが良い、みたいな。
それが今日の若は違った。なんだかジッと見つめられて顔に熱が集まる。それからもいくらか沈黙が続いて、それなのに若は未だに柔らかく優しい顔をしていた。

「若、どうしたの急に…」
私が先に沈黙を破れば、若がクスリと大人びた笑みを見せる。それにドキリとして口を閉じれば若はこれでもかというくらいに私を強く抱きしめた。

「!?わ、わ、っ若…な、にして…!」
「貴方は本当に可愛いですね」
「っ、ひぁ、」

するりと制服の中に若の冷たい手が入り込んできたせいでびくりと肩が揺れて、口からは間抜けを通り越して自分の声じゃないみたいな高い声が漏れた。それが恥ずかしくて俯けば若は「顔上げて下さい」とまるで人が変わったみたいに艶っぽく囁く。

「…先輩の寝顔を見て良いのも笑顔を向けられて良いのも、先輩に想われるのも全部俺だけの特権です。他の奴にヘラヘラするくらいなら俺のこと…もっと、愛して下さい。本当は先輩が俺以外の奴と話したりする時間を全部俺との時間にしたいんです、貴方は俺だけ見てればいいんですから」
「わ、若……」

いつもなら絶対に言わない台詞。たとえ土下座して頼んだとしても若からは聞けない言葉。それが今、こんな突然聞かされるなんて思ってもいなかった。
 言いたいことを言い終えたのか若は止めていた手をゆっくりと動かして私の背中に直接触れた。ひんやりとした若の手の温度が私の心臓まで届いた気がして、ただ背中を撫でられただけなのに甲高い声が出てしまいそうになる。
ぎゅっと目を瞑って声を堪えていると若は嬉しそうに笑って私にキスをした。

「っんん、うぁ」

 ―――若。
くぐもった声で若の名前を呼ぼうとしたらまるで私の口が開くのを待っていたかのように、にゅるりと若の舌が口の中に入ってきた。

「あ、んう、わか、しっ…!」
「なまえ、先輩、…」
ざらざらした感覚と、指先にまで伝わる熱。じんじんと体の底から痺れが襲ってきて、私は真っ赤になった顔を隠せずにいた。くちゅくちゅと厭らしい音が誰もいない図書室に響いてる気がしてすごく恥ずかしい。
今日の若は絶対に変だ。まるで若じゃないみたいな言葉と行動。若がこんなにキスが上手だなんて知らなかった。私は若の制服をぎゅうっと力強く握って快楽に耐える。

 満足したかのように笑いながら唇を離した若が言った。

「……顔、真っ赤ですね。俺のキス気持ち良かったんですか」
「っ、な、何言って」
「なまえ先輩」
「!っは、い」

突然名前を呼ばれて思わず敬語になってしまう。若は私の頬に手を添えながら再度触れるだけのキスをした。

「大好きですよ。一生俺から離れないで下さいね」
「…そ、んなの、当たり前じゃ
「なーんて」
「え」
私の言葉を遮り、途端に私から離れて勝気に笑った若。私が唖然と若を見つめると、悪戯っ子のように笑った若。これはこれで珍しいけど状況が読めない。混乱した私に若は笑いを堪えた。

「なまえ先輩、本当に顔真っ赤ですよ。頭の方は大丈夫ですか」
「あ、頭…?」
「ああやっぱり本気にしてますね、今日はエイプリルフールですよ」
「エイ、プリル…?」
「まあ先輩の事ですから忘れてたんでしょう」

若が一人で自己完結しようとしたから待て待てと腕を掴んで問いただせば、若はまた私にキスをしていつもの私を馬鹿にするような顔で言った。
(あ、いつもの、若の顔…)

「せっかくのエイプリルフールですし嘘付かないと損ですから」
「って、ことは…」
今さっきの出来事はすべてエイプリルフールということで仕組まれた嘘っていうことだろうか。そう理解した私は半端ない怒りを込み上げて真っ赤な顔で若を睨んだ。

「わ、若の馬鹿!最低!!もっもう若なんて大っきら
「好きですよね」
「っ!」

―――若はずるいと思う。いや本当にずるい。私が若のこと本気で嫌いになれないのを知っててわざといつも私を馬鹿にする。でもそれさえも嫌いになれなくて私は顔を真っ赤にしたまま今度は私から若にキスをした。
唇が離れると若は少し嬉しそうに口元を緩めて、私の手をぎゅっと握る。そして聞こえるか聞こえないかくらいの声で何かを呟いた。

「……さっきの、嘘にしなくても良いですから」
「え?何か言った?」
「いえ、何でも」


(半分以上が嘘じゃないってことは、今は秘密にしておきますよ)


 20130401
エイプリルフールのお話でした