hayaku | ナノ
 最近、梅雨でもないのに何日も雨が続いていた。
毎日のように窓の外からはざあざあと雨の降りしきる音が入り込んできてディザスターの皆は憂鬱と言わんばかりの顔を浮かべている。だけど私は憂鬱どころか少しだけわくわくしたような気分に浸っていた。
雨を嫌う人は多いけれど、私はそうではない。確かに湿気でじめじめするのは好きではないけれど、雨音を聞いていると何だか安心して心が穏やかになれるのだ。少し前に買ったお気に入りの傘のおかげで雨の日の外出も全く苦では無くて、その上、先日祠堂が買ってくれたピン留めも付けて外出すればいっそのことスキップでもできそうだ。それを話したらてる美は驚いたように「変わってるのね」と言って笑った。

 そんな今日も、まるで当たり前のように雨音が響き渡るアジトで私たちは暇を潰している。


「雨だとどうも外出する気になれないわねぇ」
「ったく…いつになったら止むんだよ、この雨は」

エルフとロウガがつまらなそうにそうぼやいているのを見ながら私はまた窓の外に目をやった。(あ……雨、ちょっと弱くなった) さっきまで土砂降りだったのが今は随分と落ち着いていて、ついつい外の空気が吸いたくなる。いつもは沢山の人で賑わっている商店街も今日ならいくらか空いているかもしれない。そんなことを思い付き、私はおもむろに椅子から立ち上がった。

「名前?どこか行くの?」
「うん、商店街に行ってくる」
「…この雨の中か?」

てる美とロウガが驚いたように目を丸くするが、私はうきうきした気持ちのまま二人に「そうだよ」と笑顔を向けて部屋へと向かう。大事にしまってあるピン留めと、お気に入りの傘を取りに行くためだ。
長い廊下を歩いてやっと部屋に辿り着き、私はすぐに準備をしてそのままアジトの出口へ進む。ぽんっと音を立てて傘を広げればたちまち雨で濡れていく。なるべく水たまりを踏まないように軽いステップを踏みながら、私は鼻歌交じりで空を見上げた。可愛いでしょと言わんばかりにピン留めを空に見せつける。そんな自慢に空が答えるわけもなく、何だかおかしくて頬が緩んだ。






 商店街にはやはり人がほとんどおらず、いつもとは別世界のようだった。
時折ばしゃばしゃと音を立てながら私は商店街ファイティングステージへと辿り着き、何となくガラス越しに中を覗いてみる。(やっぱり誰もいないか…) いつもなら誰かしらが熱いバトルを繰り広げているが、今日はきっと家でやっているのだろう。そう考えてみると、せっかくの休日なのにこんな雨じゃ皆が憂鬱になるのも少しは分かる気がする。

 それからしばらく商店街を歩き、雨も強くなってきたためそろそろ帰ろうかと体の向きを変えた時だった。

「………あれ…?」

ふと前髪に触れた時、さっきまでそこにあったはずのものが無くなっていることに気付いて思わず小さく声を漏らす。
いったん近くの屋根の下に入って傘を閉じ、もう一度ちゃんと両手で確認をした。しかし何度触っても状況は変わらず私は顔を青くする。さっと血の気が引いて、頭痛がした。(な、なんで、いつから……)

祠堂に買ってもらったピン留めが、私の宝物が無くなっていたのだ。

そうと気付けば私は慌てて傘を広げ、歩いてきた道の地面をじっくりと舐めるように見渡しながらピン留めが落ちていないか探し歩いた。焦りとショックで足取りはとても重いし、心臓が緊張状態のように大きく音を立てている。どうしよう、どうしようと何度も心の中で繰り返した。

そんなに広い範囲を歩いてきたわけではないからすぐに全部の道を確認することができたが結局ピン留めは見つからず、動揺のせいかとうとう歩いていない道まで探し歩いてしまう始末。こんなことになるなら来るんじゃなかったと、さっきとは別の意味合いを込めて空を見上げる。だけど空はまるで人事のように知らんぷりをして、また強い雨を降らした。生まれて初めて、雨なんか好きじゃないと感じた。
 いつ、どこで落としてしまったのかも分からない。もしかしたらアジトを出てすぐに落としてしまったのかもしれない。だとしたら今頃、ひどく汚れてしまっているだろう。考えるだけで嫌になった。

あまりのショックで涙が滲んできたがそんなの気にしていられない。私はぎゅっと傘の持ち手を握り締めてアジトまで走った。もちろん地面を気にしながら。




「っはぁ……」

こんなに走ったのはいつぶりだろう。私は乱れた息を整えながらその場に傘を投げ捨てる。どうして見つからないの、どうしてどこにも無いの。そんな思いは苛立ちに変わり、どうしようもない感情に唇を噛み締めながら蹲って泣いた。降りしきる雨が、今はただただ鬱陶しくて。雨に濡れてだらしなくへたれた髪や服が肌に張り付いて気持ち悪い。
(……祠堂に何て言おう…)
今度は途端に押し寄せる罪悪感に見舞われた。今日は散々だ。たったひとつのピン留めを失くしただけなのに、まるで自分を満たしていた全てが失われたような気になってしまう。

とにかく、だ。
見つからないのならそれはそれできちんと祠堂に謝りに行かなくてはならない。私はゆっくりと立ち上がり、すぐそばに転がっていた傘を手に取った。よろよろと覚束無い足取りですぐ向こうにあるアジトへと歩く。俯いた顔はどうしても上げることができなかった。その時、

「名前じゃん」

聞き覚えのある声が聞こえて私は顔を上げた。するとそこには目を丸くしてこちらを見つめるダビデの姿があって。しかし私は挨拶なんて返す気力もなく黙ったままダビデから目を逸らした。いつものダビデなら「何だよつまんねぇな」とか何とか言ってくるのだが、今はただひたすら唖然と私を見つめたまま瞬きを繰り返す。

「…それ、傘意味あんの?」
「……」
「びしょ濡れだべ」
「……」
「…おいおい無視かよ」

一方的に喋るダビデに言葉が出なかった。何か言おうとしても泣いたせいで枯れた喉が邪魔をするし、そもそも今は誰にも会いたくなかったのだ。
あまりにもいつもと違う私にダビデも調子が狂ったのか
「んな暗ぇ顔してどーした?」
なんて心配するように私の顔を覗き込んできた。

「……何でもないから、…大丈夫」
「はぁ?何つまんねえ嘘ついてんだよ」
「嘘じゃないってば…」
「じゃあ何で泣いてたべ?」
「…!」

どうやら雨では誤魔化し切れていなかったらしい。おそらく私の頬に残っているであろう涙の跡を、ダビデが指先で雑になぞった。それが嫌で顔を背ければダビデも大人しく手を離してじっと私の顔を見る。なぜか刺さるような視線だった。

「……なに…」
「なぁもしかして」

ダビデはそう言い掛けてからポケットの中に手を突っ込む。ごそごそを何かを探しているようだ。私がそれを黙ったまま見つめているとダビデは「あったあった」と小さく呟いてからスッと私に何かを差し出した。

「……!!!」
「これ、探してた?」
「な、なんで、これ…!!」
「ついさっきそこで拾ったんだべ。そうそう、雨と泥で汚れちまってたからテキトーに洗っといたぜ」

感謝しな、みたいに笑いながらそう言ったダビデに私は開いた口が塞がらなかった。何とお礼を言えば良いのか頭の中でごちゃごちゃ考えていると私の手にピン留めを握らせたダビデがいつもより真剣な声で言う。

「つーか、これ探してそんなびしょ濡れになってたってワケ?」
「!」
「ピン留めひとつでマジ泣きするヤツ初めて見たわ」
「な、っ……」

馬鹿にしているのかそうではないのかは分からないが、きっとダビデのことだから馬鹿にしているんだと思う。確かにこのピン留めが祠堂からのプレゼントだということを知らないダビデからしてみれば変な話だ。というか、分かっていても変な話だろう。
(だけど私にとっては…)
ぎゅ、とピン留めを握り締めながら私はまた唇を噛む。するとそれを見たダビデは表情を変えずに首を傾げた。

「これ、そんなに大事なモン?」
「!……」

やけに、冷たい表情だった。私は質問よりもダビデの表情の方が気になってしまって思わず顔を顰めてしまう。どうしてそんな顔をするのか問おうかと思ったが、それより先にダビデはまた口を開いた。

「祠堂ちゃん、名前が帰って来ねえからソワッソワしながら窓の外見てたぜ?」
「!!」
「マジ分かりやすいべ。お前ら二人とも」
「な、なにが」
「気付いてねーの?名前、祠堂ちゃんのこと好きだろ。んで祠堂ちゃんも名前のこと好きだぜありゃあ」
「、」

一瞬、ダビデの言葉が右から左に流れていきそうになった。しかし私はただでさえ混乱していた頭を必死に働かせてダビデの言った言葉の意味を理解する。と同時に、ぶんぶんと首を横に振った。

「そっ、そ、そんなわけ
「あ〜そっかそっか分かったべ!そのピン留め、祠堂ちゃんにもらったんだろ。だったらむちゃくちゃ大事だよなぁ、マジ泣きしちまうくらいには」
「っ…!!う、うるさい!」

何もかもを的確に当てられてしまって思わずダビデを怒鳴りつける。しかしダビデがそれに屈する訳も無く、むしろ逆効果だったようで。にやにやと腹の立つ笑みを浮かべながら「にしても名前が祠堂ちゃんとねぇ…」なんて楽しそうにぼやいていた。まるでさっき見せた冷たい表情が嘘みたいだ。
私は焦りながらも「誰にも言わないって約束して」と伝えようと口を開く。しかし、それを狙って遮るかのようにダビデは吐き捨てるような口調で言った。


「バッカじゃねぇの」
「………え…?」


ダビデはまた、さっきの冷たい表情を浮かべている。私はダビデの言葉を聞いて無意識のうちに眉間に皺を寄せた。(バカ、って……) 聞き間違えだと信じたかったが、たしかに、確実にダビデは私を侮辱したのだ。
未だにダビデの言葉の意味を理解できずに唖然としているとダビデは私の腕を掴んでピン留めを奪おうとした。

「な、っやめて…!」
「祠堂ちゃんがお前のこと好きなんて嘘に決まってんじゃん。まんまと騙されたべ?ハッ、祠堂ちゃんのこと大好きかよ!」
「!!」
「そのピン留め、ぜんっぜん似合ってねえべ」

その言葉に、表情に、私はピン留めを落とした時よりもひどいショックを受けた。


『めちゃくちゃ似合ってますし』


あの時祠堂が言ってくれた言葉を全否定されたようで、悔しくて悲しくて、私はキツくダビデを睨みつける。冷めきった空気の中で視線が絡まると、ダビデは薄く笑いながら私の前髪を撫で下ろした。

「捨てちまえば?それ」
「…触らないで」
「そんなに怒んなって。可愛い顔が台無しじゃん」
「っ……ダビデなんか大嫌い…!」
「ふーん、俺は好きだけど?」
「!! は…」
「祠堂ちゃんに捨てられたら慰めてやんよ」

捨てるも何もそもそも付き合っているわけではないし、と心の中で反論して私はダビデから視線を逸らす。するとダビデはそれ以上何も言わずに私に背中を向け、ひらりと片手を振ってみせた。そのまま去っていくダビデの背中を睨みつけたまま、私はしばらくその場に立ち尽くす。ダビデに奪われずに済んだピン留めをぎゅっと強く握り締めれば、自然と心が満たされた。


 結局ダビデが何をしに外に出てきたのかも私に何を言いたかったのかもよく分からないままで。ダビデとは前から仲が良いわけではなかったというか、しょっちゅう私に突っかかってくるダビデがあまり好きではなかった。だけど別に、嫌いというわけではなかったのだ。それなのに、突然あんなことを言われてあんな態度を取られて良い気分になる人なんているわけがない。

私はダビデが大嫌いだ。
今はもう好きとは言えない雨の中で、ただひたすらそんなことを考えていた。


20150128