hayaku | ナノ
「前髪、切ったらどうですし」


 ディザスターの一員になってしばらく経ったけど、こうして一対一で何かを言われるのは初めてだったと思う。私が彼について知っていることは彼自身の名前と使っているデッキのことくらいで、他は全くと言っていいほど何も知らない。強いて言うなら語尾に「ですし」と付けて喋ることと、少し我儘で表情豊かなことくらいだ。

そんな彼に、祠堂孫六に初めて言われた言葉を、私は馬鹿みたいに真に受けた。
廊下ですれ違いざまに言われたものだから私はそのまま自分の部屋に戻ってすぐにハサミを探した。どうしてかは分からないけど、妙に彼の言う通りにしたいと思ったから。随分長いあいだ伸ばしっぱなしにしていたから、邪魔だったというのもあるかもしれない。

理由も無く伸ばしていた前髪をバッサリ切って明るくなった視界の代わりに頬が少し寒くなった。自分で髪を切るのは初めてだったが案外上手くいったから、これからも前髪くらいは自分で切ってみようかななんて思う。私はゆっくりとハサミを置いて、鏡をじっと見つめてみた。するとそこにはいつもと違う、なんだかすっきりしたような自分の顔。
馬鹿にされたり、変だと言われたりしないだろうか。そんな不安を胸に抱えながら私は部屋を出て、思わず小走りになりながら皆の元へと戻った。


「えっ、名前、前髪切ったの!?」

 私の前髪に一番に気付いたてる美の声に反応して、その場にいたエルフやロウガそしてソフィアがこちらに視線を向ける。あまりに一気に視線が集まったものだから恥ずかしくなって俯けば、次にロウガが「随分スッキリしたな」と少し驚いたように口を開いた。それに続けてエルフやソフィアも前より顔がよく見えるようになったと驚いたような口調で言う。不評こそ無かったもののやっぱり変だっただろうか、と不安になった矢先、てる美の「そっちの方が可愛いわよ」という言葉にバッと顔を上げてお礼を言った。

「それにしても、ずっと長かったのに急に切るなんて。何か特別なことでもあったのかしら?」

首を傾げてそう問い掛けてきたエルフの言葉に思わず反応して私は何度か瞬きを繰り返す。(特別……)
前髪を切ったのは祠堂孫六に言われたから、というのがきっかけだったが果たしてそれは特別なものなのだろうか。そう考えているうちにどうやら険しい顔になっていたらしい。ロウガに顔が怖いと指摘され、私は慌てて「なんか、気分だったの」と笑顔を浮かべた。

それから改めて皆に好評をもらい、切って良かったと心から思ったのだが肝心の人物がそこには居なかった。本当は一番にこの前髪を見て欲しかった人物が。
何だかちょっと心残りだな、なんて思いながら私は皆と話をしてからまた部屋に戻ろうと足を進めた。今日は特にやることも無いし外に散歩しに行ってみよう。今までは3分の1くらい前髪に邪魔されていた視界が本当にスッキリしたから、皆に褒められて気分も良かったから。それに、今日は朝からカラッカラの晴天だ。こんな散歩日和はなかなかないだろう。
そうと決まれば、善は急げ。私はスキップを踏みながら部屋に戻り、私服に着替えてアジトを出た。すうっと外の空気を吸い込んで商店街への道を進む。楽しみにしている予定なんて何もないのに、自然と足取りが軽くなるのが自分でも分かった。









 目的もなく商店街を歩いてもうニ十分は経つだろうか。私はもう一回りしてからアジトに戻ろうと思い、何となく近くのお店を覗いてみた。可愛いアクセサリーが並んだ女の子らしいお店だ。ガラス越しに見えたきらきら光るピン留めが気になって中に入ろうとしたけど、それは突然後ろから聞こえた声によって遮られることになる。

「こんなところで何してるんですし」
「!?」

びくっと肩を揺らして振り返れば、そこには私と同じように私服に着替えた祠堂孫六の姿があった。どうやら彼は私よりも前から商店街に居たらしい。どうりでさっき皆と一緒に居なかったわけだ。

「あ……えっと、暇だったから散歩でもしようかと思って…」
「散歩?」

不思議そうにそう言った彼に何度か頷いて見せれば、何故か小さく笑われてしまった。それがどうしてか最初は分からなかったが、すぐに彼は私の前髪をさらりと手を撫でて、また笑う。

「前髪」
「!」
「随分ばっさり切ったみたいですし」
「……き…」
「き?」

いきなり髪を触られたことと、微笑ましく笑ったその顔がひどく私の胸を締め付けたから、喋ろうとしても上手い言葉を探せなかった。私は視線を下に下にと下げていき、最終的には地面を見つめながら小さく口を開く。声を絞り出すのにこんなに苦労することなんてきっと滅多にないだろう。

「……切ったらどうだって…言われたから」
「! …それで、アッサリ切ったんですし?」
「も、もしかして切らない方が良かった?」
「いや、そんなことは。むしろその方が顔もよく見えて良いと思いますし」

祠堂孫六はそう言うと少し嬉しそうに笑ってみせた。

「さっき声掛けて正解だったですし」
「えっ?」
「ずっと気になってたんですし。あの前髪」
「…そ、そうだった…んだ」

また私の前髪に触れながら、今度は悪戯っぽい表情を浮かべる。そんな彼の指先に私の胸はまたぎゅっと締め付けられた。私の前髪を弄るように触ってから、ぽんぽんと優しく撫でながら整える。まるで割れ物でも触るかのような優しい手つきに体中がじんわりと熱くなるのを感じた。

「あ、あの……手、」
「ん?…ああ」

私がちらりと彼に目をやれば、彼も察したように自分の手を引っ込める。散々人の髪を触ったのは彼なのに、何だか照れくさそうな表情だった。そんな彼から目を逸らして何度か自分の手で前髪を整え直していると、不意にまた先ほどのピン留めに視線がいってしまう。
(…やっぱり可愛い……)
お店の照明に照らされてきらきらと薄桃色の光を発しているそのピン留めは、私の好きな花の形をしていた。さっきは彼に声を掛けられたせいで入るタイミングを逃してしまったし、この状態で私がお店に入るのも微妙だろう。今度改めて買いに来るか、彼が居なくなってからお店に入るかどちらにしようと悩んでいると、私の視線の先にあるピン留めに気付いたのか彼は首を傾げながら私に問うた。

「…何か欲しいものでもあるんですし?」
「! い、いや、別に…」
「それにしてはさっきからずっとあのピン留め見てましたし」
「っ……ち、ちょっと可愛いなって思ってただけで別に欲しいわけじゃ
「ついて来いですし」
「え…、え?」

ぐい、と私の腕を引っ張って彼はお店の扉を開ける。(なんで…!?) 半ば混乱状態の私を無視して彼は店員さんに声を掛けた。

「これ、いくらですし?」
「し、祠堂……!」

初めて彼の名前を呼んでその腕を掴んだが、彼もなかなか強情な性格らしい。店員さんが「八百円になります〜」と言ったのを聞いてすぐにポケットから財布を出した。それを見て私はぎょっとする。
確かに、確かにすごく欲しかった。一度女の子らしい可愛いアクセサリーを付けてみたかったから良い機会かもしれないと思って、きっと彼にバレなければ自分で買っていただろう。それくらい欲しかったのは事実だが、まさか八百円もするものを彼に買わせてしまうのはすごくすごく気が引けたのだ。だから咄嗟に「こんなのいらない」と嘘をついてこの場をしのごうと思ったのに。

「ありがとうございましたぁ」

店員さんの高い声が聞こえて、私はハッと彼を見る。その手には、ピン留めが握られていて。

「あ……」
「ほら、買ってやったですし」

ぽすっと私の手にそれを握らせて、彼は満足げに笑った。私は握らされたピン留めを見つめて、思わず頬が緩んでしまう。
(きらきら……)
角度を変えるたびに薄桃色の小さなガラスが光に反射して、まるでお姫様が付けるティアラみたいだ。しばらく私は手の中のピン留めに釘付けになっていた。

「そんなに嬉しかったですし?」
「う、うん…!」
「…ふーん…」

大きく頷いた私を見て彼は不思議そうな顔をしたけど、すぐに私の手からピン留めを奪って言った。
「じっとしてるですし」
その言葉に従って軽く目を閉じれば、また前髪に触れられて心臓が小さく音を立てる。今度はさっきよりもじっくりと、丁寧に髪をかき集められてどきどきした。しばらく苦戦していたようだがパチンという音と同時に「よし!」と声を漏らして私の髪から手を離す。それに気付きゆっくりと目を開けると、満足げに笑う彼の笑顔が目の前にあった。今日一番の、楽しそうな笑顔。

「…それ、買って良かったですし」
「えっ……」

腕を後ろで組んで、にんまりと笑った彼はさっきよりも心地の良い低い声で言う。


「めちゃくちゃ似合ってますし」



その声と笑顔があまりに格好良くて、私は一瞬で恋に落ちた。


20150126