sinkaron | ナノ
 今日もいつものように授業を終わらせ学校を出た時、ふと雨が降っていることに気付いた。どうやらたった今降り出したらしい。天気予報では曇りだと言っていたから傘を持ってきていなかったが、別に大した雨でもないため私はそのまま帰ろうと昇降口を出る。
しかしちょうど校門をくぐったところで、思わずぴたりと足を止めた。

(…出久君、もう帰っちゃったかな)
そんなことを考えながらおもむろに携帯を開いてみる。ホームルームが終わってからまだあまり時間は経っていないはずだが今メールしても迷惑になってしまうかもしれない。私はふう、と肩から力を抜いてまた歩き出した。




 家までの道をしばらく歩きやっとの思いで家まで辿り着いた頃には、雨もさっきより強くなっていた。私は慌てて門扉を開けて中に入り、玄関の鍵を開けようとポケットに手を突っ込む。…が、そこであることに気付いた。

(………えっ?)

ポケットの中でどんなに手を回してみても、わざわざポケットを広げて中を確認してみても、そこに鍵の姿はない。降りしきる雨の音をバックに、私はさっと血の気が引くのを感じた。

家を出た時に鍵をポケットに入れたのは覚えている。そして学校で、ポケットから携帯を出した際に一緒に出てきてしまった鍵を携帯と一緒に机に入れたことも。
どうして学校を出る時に思い出さなかったんだろう。私は慌てて学校まで走ろうと思って体の向きを変えたが、いつの間にか結構な強さになっている雨を見て躊躇った。
(完全にびしょ濡れコースだ……)
だがしかし今日は親が仕事で帰って来ないため諦めるしかない。かなり落ち込み気味のまま、私はまた門扉を開けて学校まで向かおうとした。

するとその時。


「何やってんだよ」
「…えっ」

急に後ろから声を掛けられたため振り返ると、そこに立っていた人物に私は思わず体を強張らせた。
その人物は「爆豪」と記された表札が飾ってある家の門扉に触れたままじっとこちらを見つめている。お隣さんの、彼だ。昼休みに続きまた鉢合わせてしまった。しかも彼はちゃっかり傘を持っているではないか。
「…あー…えっと……」
私は彼からサッと視線をずらし、小さな声で事実を伝える。

「か、鍵を」
「あ?」
「学校に忘れたから…取りに帰ろうと思っ
「つかテメェ声ちっせんだよもっとハッキリ喋れ!」

なかなかのボリュームで怒鳴られて思わず肩が揺れた。(そ、そんな怒鳴らなくたって…) 心の中でしか彼に反論できずに顔を伏せれば、彼は玄関の前に鞄を投げるように置いて私に近付いてくる。相変わらず目付きの悪い彼を見て、殴られるのではないかという恐怖で頭がいっぱいになった。その瞬間私は逃げるように彼から距離を取ろうと走り出すが素早く腕を掴まれてしまう。

「おい」
「は、離して……」

恐る恐る振り返りながら、声を絞り出して彼に訴えた。

喧嘩は嫌いだ。わざわざ自分から喧嘩をしに行くような人は、もっと嫌いだ。私は彼を少なくともその部類の人間だと思っている。だから彼が好きではない。
だけど今、私の腕を掴む彼を見て一瞬だけそんな考えが吹き飛んでしまった。
(……痛く…ない…)
普通ならこんなガラの悪くて怖い人に腕を掴まれたら痛くて仕方がないはずなのに、私の腕を掴む彼の力はまるで優しくて。しかもそれに唖然とする私に追い打ちをかけるかのように、彼は自分の持っていた傘をずいっと私に突き出してきたのだ。

「……え…?」
「んなびしょ濡れのまま戻ったら風邪引くに決まってんだろーが」
「…え、いや、あの」
「あとこれも」
「!」

彼はポケットから取り出したハンカチを私に投げ付けて、眉間に皺を寄せる。私は受け取ったハンカチと彼を交互に見つめ、また唖然とした。

「……んだよ」

彼は「見てんじゃねえ」と言わんばかりの顔で私を睨みつけるとそのまま自分の玄関の方へと歩いて行く。おそらく畳まずにポケットに突っ込んでいたのだろう、私は皺のついたハンカチをぎゅっと握り締め彼に向って大きな声で言った。

「あ、…ありがとう、爆豪君!」

初めて彼の名を呼んでお礼を言えば彼は驚いたようにこちらを見る。その顔は何だか私と彼が初めて制服で対面した時のものに似ていた。そんなことを考えながら控えめな笑顔を浮かべると彼はもう怒鳴ることもなく、かといってどういたしましてを言うわけでもなく無言のまま家の中へと入っていく。私と同じ制服に身を包んだ彼の背中は、大きくてとてもしっかりとしていた。

 ばたんと荒々しく音を立てて彼――爆豪君の家のドアが閉まると、私はまた笑顔を零してハンカチをじっと見つめる。何だか、とても意外だと思った。
ハンカチなんて持っているようには見えないし、私に傘を貸してくれるなんて思ってもみなかった。睨んだり怒鳴ったり優しかったり、彼はとても不思議な人だ。
だけど、彼は実は優しい人なのかもしれない。私もなかなかに単純だなあなんて思いながら学校への道を歩いた。


20150219