sinkaron | ナノ
「名前、あの男子があんたのこと呼んで欲しいって言ってるんだけど」


 帰りのホームルームが終わると、友達がいつもよりテンションの高い口調で私に声を掛けてきた。くいくいと親指でドアの方を指差す友達の視線を辿れば、そこに見えた人物に私は思わず笑顔を零す。

「出久君…!」
「え、もしかして彼氏!?」

がたんと勢いよく立ち上がったは良いが友達の一言で私はまた音を立ててよろけてしまった。(か、彼氏って……) 確かに放課後に男子が教室まで会いに来た+名前呼び=彼氏という方程式が出来上がってしまうのも無理はないが私は慌てて「違うよ!」と否定する。

「私の幼馴染なの」
「へえ…名前って幼馴染居たんだ」
「中学になってからは全然会ってなかったんだけどね」
「えっ、それで高校同じってすごくない?それにあの男子、ヒーロー科でしょ。ちらっとだけど見たことある」
「そうそう、出久君すごい人でしょ?」

私は笑顔でそう言うと友達の返事も聞かずに自己満足で出久君の元へと駆けて行った。出久君は私を見つけると何だか安心したような表情で肩を下ろす。

「良かった、居て。教室間違えてたらどうしようかと…」
「あはは、大丈夫合ってるよ。それよりどうしたの?」
「あ…ごめんね急に。その…久しぶりに会えて嬉しかったから、もう少し話したいななんて……」
「えっ」
「いやっ、め、迷惑なら帰るよ!ていうか迷惑だよね…!ご、ごめん!」

まだ何も言ってないのに出久君はバッと私から離れてそのまま帰ろうと足を進めた。それを見て私はすぐに彼の制服を掴んで阻止する。ぴたりと止まった出久君が、恐る恐るこちらに顔を向けた。その顔がまるで「迷惑じゃないの?」と私に問い掛けているような気がして、私は思わず笑ってしまう。

「全然。だってわざわざ来てくれてすごく嬉しいもん」
「ほ、ほんと?」
「うん!」

そう言って大きく頷けば出久君は嬉しそうに笑ってくれた。そっか、そっかと何度も安心したように頷いてから「あ、ごめんでももう帰るよね?」と私を見つめる。そんな出久君に私は笑顔で言った。

「一緒に帰ろうよ。家近いんだし」

そしたら色々話せるでしょ?と彼を見上げてそう続ける。我ながら名案だと思った。出久君もそれに賛成してくれて大きく頷く。嬉しそうな出久君を見ると私も嬉しくなった。
教室に戻って机の脇に掛けてあったリュックを背負えば友達が「もう帰るの?」と不思議そうに聞いてくる。いつもなら途中まで友達と帰るのが日課だったから珍しいと思ったのだろう。
「うん、ごめんね」
と謝って出久君に駆け寄れば彼もまた申し訳なさそうな顔で私の友達に軽く頭を下げた。昔から思っていたけど出久君はとても良い人だ。

「じゃあ帰ろっか」

そんな私の言葉に出久君も頷いて、私たちは幾らかゆっくりとした足取りで学校を出る。ぎこちない表情ばかりの出久君はどうやら緊張しているらしい。私も男の子と一緒に帰るのは初めてだったから少し緊張してしまった。
でもやっぱり出久君と話すのはとても楽しくてどこか落ち着く。出久君も同じだろうか。
(…同じだといいな)
そんなことを考えては思わず頬を緩ませる私の隣で、出久君は突然「あ」と声を漏らした。どこか一点を見つめて、困ったように表情を強張らせている。どうしたのだろうと心配になり問い掛けようとしたが、私の視線が彼の顔を捕えるより先に私は別の人物に気付いて足を止めた。

「………」

私たちから少し離れたところからじっとこちらを睨むように見つめる一人の男子生徒。それは紛れもない、お隣さんの彼だった。

「…かっちゃん」

出久君が弱弱しい声でそう口にする。(…そういえば……) 出久君は昔から、彼のことを「かっちゃん」って呼んでいたんだっけ。私は出久君が彼と一緒にいる時はなるべく離れるようにしていたからそのあだ名をあまり耳にしたことはなかったけれど、何となく覚えている。私にとってはひどく懐かしいその響きが耳に入ったのか、彼は眉間に皺を寄せた。どうやら機嫌が悪いらしい。彼は相変わらずの表情のまま私たちから目を逸らすとスタスタ先へ行ってしまった。一体何が気に食わなかったんだろう。

「……あ、名前ちゃんはかっちゃんと家隣なんだっけ?」

何とも言えない空気を和ますかのように出久君がそう問うた。

「う、うん。話したことはないけど…」
「そうなの?」
「お隣さんだけど遊んだこともないし…あっ、でも出久君はよく遊んでたんだよね」

私がそう言って出久君に笑顔を向けると、彼はまた、昼休みの時と同じような表情を浮かべていた。驚いたような、戸惑っているようなそんな顔。

「出久君…?」
「……名前ちゃん、昔のこと――」
「…え?」
「っえ、あ、ううん…!な、何でもないよ!」

出久君は途端に口を閉じて私から目を逸らすと、さっきよりも速いペースで足を進めた。そんな出久君を追い掛けながら、私はたった今彼が言い掛けた言葉を頭の中で繰り返す。
(……昔の、こと…?)
何が何だかさっぱり分からない。だけど、それは彼にとって、私にとって何だかとても重要な話題のような気がしてならなかった。

「き、今日の夕飯何だろうな、カレーかな」

またぎこちない口調でそう言った出久君に、私は
「かつ丼かもね」
と笑って返す。
いくら彼があからさまに誤魔化しているとはいえ、それをいちいち詮索するのはあまり好ましくないだろう。確かに気になる点はあるけど「僕、かつ丼好きなんだ」と緩い笑顔を浮かべる出久君を見ると安心して、細かいことなんか気にならなくなった。
……それに、


「私もかつ丼好きだよ」
「ほんと?美味しいよね、かつ丼!」
「うん!」



昔のことは、どんなに頑張ったって思い出せないから。


20150213