sinkaron | ナノ
 翌日、お弁当を忘れてしまった私は数人の友達と一緒に食堂へ向かっていた。
だらだらと他愛無い話をしながらそれぞれ昼食を買い、食堂の端の方のテーブルに座ってはまた他愛無い話を続ける。明日の小テストの話とか、うるさい先生の話とか、こういう"普通"な会話をするのが私は結構好きなのだ。普通であって困ることなんて何もない。何より普通が一番だと、幼いころから私はそればかりだった。そしてそれは今も変わることはない。



 私は幼い頃に一度だけ個性を使ったことがある、らしい。そしてその時私は自分の個性で"一人の男の子"を助けたそうだ。それは両親から聞かされただけで私自身よく覚えてはいないが、自分の個性のことを両親から知らされた時、私は「なんて不便な個性だ」と思った。

私が助けた男の子のことを両親はほとんど教えてくれず、唯一教えてくれたのはその男の子が私と同い年であること、そして彼は酷い怪我をしていたこと。そんな曖昧な情報だけでは「助けた」という実感が沸かないし、何より不便だと思ったのは私が彼を助けたことを忘れてしまった"原因"である。個性自体は決して悪いものではないのに、それを帳消しにしてしまう個性の"反動"。それを私は受け入れることができなかった。
無意識に周りの子たちの個性と比べては自分の個性を自分で馬鹿にしたのだ。こんな個性なら無いのと同じ、使えない。だから私は「無個性」で、ヒーローとは程遠い普通の人間。そうやって自分の個性を隠して生きてみても、何の不自由もなく感じたから。雄英高校のヒーロー科も無視して普通科に決めた。親もそれに対して意見することはなく、私の意見を通してくれた。こうして私は雄英高校に入学したのだが……

私はふと昨日のことを思い出し、お箸を持つ手を止めた。

「………」

隣でわいわいと楽しそうに話す友達の声をうっすらと聞きながら、彼の顔を思い浮かべる。(……怖かったな…) やっぱり彼はヒーローっぽくない。少なくとも私にはそうは見えない。彼の夢を否定する気はないが、応援する気もなかった。何もかも一方的だとは分かっていても。


彼のことを考えているうちに食欲はどんどん減っていき、私は音を立てずに箸を置く。ふう、と短く息を吐いて意味もなく周りを見渡せば、唖然と私を見つめる一人の男子生徒と目が合った。
彼はびくりと肩を揺らして私から目を逸らし、気まずそうに緑がかった黒い癖毛を弄っている。
(?…何だろう)

「名前?どしたの?」
「! あ…何でもないよ、ちょっとお腹痛くて」
「えっ、大丈夫?」
「う、うん。多分すぐ治るから」

さっきから黙ってばかりの私を心配してくれた友達にそう返して、私は控えめな笑顔を浮かべる。先に教室戻ってるね、と一言告げて席を立てば友達も「トイレ行ってきな」と気を効かせてくれた。
そんな友達にお礼を言ってから一足先に食器の乗ったトレイを返却口まで運び、食堂を出ようとした時。急に後ろの方から「ねえ!」と慌てたような声が聞こえたものだから私は驚いて振り返った。

「……あ…」

そこに立っていたのは、先ほど私を見ていた男子生徒で。思わず私は目を丸くして彼を見る。走って私を追ってきたのか、彼の呼吸は乱れていた。良く言えば落ち着いていて、悪く言えば少し地味な黒髪やその顔立ちに私は何だか違和感を覚える。
(……あれ…?)

「さっきの」
「あ、あの、えっと…」

彼は言葉がまだ頭の中でまとまっていないらしく、何秒か「あー」だの「うーん」だの視線を泳がせながら声を漏らした。そんな彼を見れば見るほど私の胸にもやもやしたものが溜まっていって、思わず大袈裟に首を傾げてしまう。(この人どこかで…) はっきりとした確信はないが、私は彼をどこかで見たような、それも随分と懐かしい雰囲気を感じた。近所に住んでいる人だろうか、それともたまたま学校内ですれ違っただけだろうか。少なくとも同じ学科ではないはずだから"知り合い"という可能性はゼロに近い。だとすればやはり、どこかで偶然見ただけか……

………

…………あ……?……





「あ!!」
「!?」

(そうだ、思い出した!)
突然大声を出して近付いた私に、彼は焦ったように口をぱくぱくさせた。しかし私はそんな彼の反応も周りの目も気にせず笑顔で言う。


「いずく君!いずく君でしょ!?」
「!!や、やっぱり名前(ひらがな)ちゃん…!!」

どうやら彼――いずく君も私のことを覚えていたらしい。そうだよね、やっぱり名前(ひらがな)ちゃんだよね!!と何度も私の名前を呼んでは懐かしそうに笑って見せた。その笑顔を見て、やっと胸のもやもやが晴れていく。

 彼は、私が昔よく遊んでいた「いずく君」だ。本名は分からないけれど、その名前だけは忘れることはなかった。いずく君と私は小学校が一緒で、彼もまた私と同じように目立つ性格ではなかったため何だか親近感があったのだ。会話のテンポも合うしいずく君は周りの男の子みたいに目立って騒いだりしない子だったから私は彼をすごく気に入っていて。だけどいずく君はお隣さんの彼ともよく遊んでいたし、私といるよりもやっぱり男の子同士でいた方が楽なのかななんて勝手に思い込んでいくうちに中学校が離れて全然会わなくなってしまったんだっけ。
(懐かしいなあ……)

見ないうちに背も体も私より大きくなって、顔立ちや雰囲気は変わらないもののだいぶ男の子っぽくなった。そんな彼を無意識に見つめているとそれに気付いた彼は少し照れくさそうに笑って言う。

「名前(ひらがな)ちゃん、ほんとに久しぶりだけどすぐ分かったよ」
「そうかなぁ」
「うん。…や、でもすごく、何というか…」
「……ん?」

何やら言いにくそうに赤くなった頬を掻くいずく君は、小さな声で何かを呟いた。しかしその声があまりに小さかったものだから私は聞き取れずに首を傾げる。

「?」
「そ、それより!名前(ひらがな)ちゃんはどこの学科に入ったの?その…ヒーロー科ではないよね?」
「あ、うん。普通科だよ」
「! えっ……」
「だってほら、私、無個性だから」

苦笑しながらそう言うと、いずく君は驚いたように目を丸くした。そんなに露骨に驚くものだろうか。彼の真意が分からずに何度か瞬きをすると、いずく君は反応に困ったように無理な笑顔を浮かべながら
「……そうなん…だ」
と口を濁した。
私はどうしていずく君がそんな反応をするのかイマイチよく分からなかったがあまり気にせず、「そういえば」と話を逸らす。

「いずく君は何科なの?」
「あ、えっと僕は…ヒーロー科なんだ」
「えっ」

さりげなく視線をずらしてそう言ったいずく君に私はまた目を丸くする。そして両手をじたばたさせながら思わず叫んだ。

「すごい!いずく君ヒーロー科なんだ!!」
「す、すごいなんてそんな…僕なんか
「そんなことないよ!いずく君なら絶対なれるよ、ヒーロー!」
「!!」

いずく君は驚いたように私を見たけどすぐに嬉しそうに笑って「ありがとう」と言ってくれた。私もそれが嬉しくて満面の笑みを浮かべる。昔と全然変わらないいずく君の笑顔に、すごくすごく安心させられた。やっぱり私は友達としてだけどいずく君が好きだと実感する。



 気付けば随分と時間が経っていたため私たちはいったん会話を終わらせてそれぞれの教室に戻ろうと歩き出した。しかし私が一歩踏み出したところでいずく君は思い出したように「そうだ、名前(ひらがな)ちゃん!」と私を引き止める。

「?」
「僕、緑谷出久!その…改めてよろしくね!」
「!……うん、私は名字名前!よろしく、出久君!」

こうして「いずく君」との再開を果たした私は、ぶんぶんと大きく彼に手を振って教室に戻った。
思えば幼馴染の出久君と私、そして更に出久君の幼馴染であるお隣さんの彼が三人揃って同じ高校だなんてある意味すごい偶然だ。お隣さんの彼とはきっともうほとんど関わることはないだろうけど、出久君とは今まで話せなかった分たくさん仲良くしたいなと思う。

……だけど。
(さっきのは…何だったんだろう)
不意に先ほどの出久君の反応を思い出してしまって、軽々としていた足取りを止めた。
出久君は私が覚えている限り、私と同じ"無個性"の人間だった気がする。だけど彼がヒーロー科に入ったということは、私の知らないうちに彼は個性を手にしたのだろう。それでもそんな彼が、あの出久君が無個性の人間を馬鹿にするなんて到底思えない。それに出久君は私が無個性だというのを知っているはずだ。じゃあ何であんな反応をしたんだろう。

(まるで私が、………――)

 考えれば考えるほど訳が分からなくなってきて、私は一瞬だけ頭を抱えてからすぐにまた足を進めた。
考えるのはまた今度にしよう、とそんな呑気なセリフを無理に自分に言い聞かせながら教室に戻れば、私より後に食堂を出た友達がすでに教室に戻っていたため「戻って来るの遅かったから心配したんだよ」と怒られてしまった。私はそんな友達に謝りつつ、彼女たちの輪に入る。

そう、私は普通だ。普通の私には個性なんていらないし必要無い。だからこれからも、この個性を使うことはないだろう。私の個性を知っているのは両親と、"一人の男の子"だけ。それなのに。
出久君はちょっと変な人だなあ。





(まるで私が、無個性じゃないって知っているような反応だった)


20150212