sinkaron | ナノ
 あの後私は出久君に家まで送ってもらい、玄関前でしばらく話をしていた。
ヒーロー科のこととか、クラスの話なんかもしてくれて初めて出久君が彼と同じクラスだということを知った。当たり前だがヒーロー科には色んな個性の人が集まっているらしい。蛙のような個性を持つ女の子がいるというのを聞いた時は少しびっくりしてしまった。あと、尻尾が生えている男の子や触ったものを無重力状態にできる女の子の話も。聞いているだけで楽しかったから、きっと実際に会ったらもっと楽しいんだろうな。

「今度は名前ちゃんの友達のことも聞かせてね」
「もちろん。今日は送ってくれてありがとう」
「お、お礼なんていいよ…それじゃあまた明日」
「うん、またね」

ひらりと手を振って笑顔を浮かべると、出久君は同じように手を振って自分の家の方へと歩いて行く。そんな後ろ姿を見送りながら、私はゆっくりと目を伏せた。まだうっすらと明るい空から差し込んだ控えめな光がアスファルトを照らしている。
(個性……)
ぼんやりと自分の掌を見つめながら、溜め息にも似た息を吐いた。



私は個性に恵まれなかった。


それは決めつけとか、思い込みではない。はっきりとした事実だと私はそう確信している。
周りが少しずつ個性を持ち始めた頃、私にも個性が存在していることが分かって少なからず両親は喜んでくれた。戦えないけれど、人を救うことができる凄い個性だと。だけど私はそうは思わなかった。戦えないから"使えない"と思ったわけじゃない。そんなことよりももっと、大きな欠点があったんだ。

私の個性は簡単に言うと「交換条件」のようなもの。つまり、自分の記憶と引き換えに誰かの怪我や病気を治すことができる。治す力に限界は無く、治す対象が死んでさえいなければ完全な健康状態にしてあげることが可能らしい。それが本当か試したことはないが、昔男の子を助けた時の話を聞いた限りでは命に関わる重症でもほぼ一瞬で治せるようだ。それを聞いた時は自分でも驚いたし、自分はすごい個性を持ったんじゃないかとも思った。だけど、その"すごさ"を実感できるわけがない。
だって記憶が無くなっていたんだから。

どんなに大きな怪我や病気でも治せる。その代わり、怪我や病気が大きければ大きいほど、重症であればあるほど失う記憶の量も大きくなる。かすり傷やただの風邪程度であれば五分十分の記憶で済むが、命に関わるようなものであれば最大で数年の記憶が消えてしまうのだと聞かされた私はそれをすぐに信じた。
私が助けた男の子はかなりの重症であり、そして私が失った記憶は二年分。これが何よりの証拠だった。

戦えないけど、人を救える。人を救えるけど、記憶を失う。
私が手にした個性は、自分のための個性ではなくて自分以外の誰かのための個性だった。

周りの子たちはほとんどがヒーローに憧れ、ヒーローを目指して夢を見ている。そんな中で私は、ひどく重たい脱力感を感じていた。別に自分はヒーローになりたいと強く思っていたわけじゃない。出久君のヒーローに対する想いに比べたらちっぽけなものだろう。だけど、確かに"夢"はあったんだ。自分に個性が現れるのを待ち望んでいたというのに、与えられたものは自分も他人も守れやしない非力な個性。傷付いた人がいる、なんていう前提の上で成り立つ個性。

私はこんなものいらない。
何より幼い私にとって、人を助けるために自分の記憶を失うことが理不尽だと感じた。こんな個性を持つくらいなら、私は一生"無個性の人間"として生きて行こうと決めたんだ。だから大事な友達である出久君にもこの個性を隠していたし、他の誰にも知られまいと必死に無個性として振る舞った。それが意外と苦痛ではなかったから。無個性だと馬鹿にされてもそれほど傷付かなかったから。私は今もこうして個性を隠している。


「……ばかみたい」


ぽつりと吐き出すようにそう呟いて顔を上げれば、もう出久君の背中はとっくに見えなくなっていて。考え込むと長時間ぼーっとしてしまうのは癖なのか、呆れながらポケットから鍵を出して家に入ろうとした時だった。

「!」

出久君が歩いて行った方向からこっちに向かって歩いてくる人影に気付いて私は思わず手を止めてしまう。だるそうに鞄を背負い、だんだんと近付いてくるその人物に手がぴくりと反応した。
(あれは……)
間違いない、彼だ。
私がその人物が彼だと気付いたと同時に、彼も私に気付いたらしく眉間に皺を寄せて私を見やる。もはや意味があるのか無いのか分からなくなるその目付きの悪さにどうしたらいいのか分からず、ただ薄く呼吸をしながら彼を見つめた。
しばらく微妙な空気のまま見つめ合っていたが、急に小さく口を開いた彼は思わぬことを口にする。

「今日は何もされてねェのか」
「! …何も、って…?」
「ストーカーにだよ」

その言葉を聞いて、私の脳内にぶわっと昨日の出来事が蘇った。
(そうだ……彼に、話したんだっけ…)
話したというよりは投げやり状態のまま事実を打ち明けたのだが、まさか今その話を持ちかけられるとは思わずに私は「あ、えっと……」と口籠ってしまう。確かに今日は何もされなかったし下駄箱にもロッカーにも写真は入っていなかった。

「…う、うん…大丈夫」
「……腕と肩、痛ェだろ」
「えっ?」

気付けば彼の視線は私の腕に向けられていて、おそらく昨日壁に強く押し付けられた時のことを言っているのだろうと理解する。心配してくれているのだろうか。それともただ痛みがあるか無いか確認しただけだろうか。咄嗟に私は腕を隠すように手で覆ってぎこちない笑顔を浮かべた。

「大丈夫、痛くないよ」

嘘。本当はまだ少しだけ痛みが残っている。だけどそれを言ったところでどうにかなるわけではないから、何とか明るい声で誤魔化した。すると彼は一瞬だけ眉間に皺を寄せてから、すぐにふいっと顔を逸らす。その横顔は、出久君の言っていた通りで少ししんどそうに見えた。

「…昨日はごめんね」
「あぁ?何がだよ」
「その…家、上げてもらっちゃって」
「……」

彼は黙ったまま私を見つめてから、結局何も言わずに視線を逸らした。やっぱり昨日は迷惑だっただろうか。そう思うと何だか少しショックで肩を下げると、彼はさっきより柔らかい表情でこちらに顔を向けた。
(……あ)


「家に忘れんならまだしも学校に鍵忘れるヤツとかてめェくらいしかいねーよな」

バカにしてるような、だけどそれにしては優しい表情。さっきまでのしんどそうな顔はどこにいったのだろうと思うくらいで、私は唖然としてしまう。さすがに鍵は鞄の中に入ってましたなんて言えなかったが、どうやら迷惑ではなかったようだ。それが分かって安心した。彼とのことで一喜一憂するなんて私には考えられないような話だけど、でも、無意識のうちに彼の顔を気にしてしまうのはやっぱり何か理由がある気がする。

「ありがとね、…爆豪君」

私のその言葉に彼はまた少し嫌そうな顔をした。

爆豪君。
この呼び方は胸に何かが突っ掛かるような感覚になって慣れないけど、きっと呼び慣れていないからだろう。そういえば彼の下の名前は何て言うのかな。お隣さんなのに今まで知らないなんて逆にすごいかも。そんなことを考えながら、私たちはお互いの家のドアを開けた。


「……爆豪君」

誰にも聞こえないようにもう一度だけ、そう呼んでみる。彼はどうして私がこう呼ぶ度に顔を歪めるのだろうか。その疑問だけがいつまでも私の胸に残ったままだった。


20150308