sinkaron | ナノ
 爆豪君から逃げたあの日から三日が経った朝。もう写真のことなど半分以上忘れてしまっていた私に押し寄せたのは、二度目の"手紙"だった。

「っ……!!」

上履きの上に乗せられたその白い便箋を見て、私は咄嗟にばたんと音を立てて下駄箱の蓋を閉める。一度目よりも膨らんだ恐怖心が私を襲った。
(なんで、また……)
震える指先に力を込めて必死に震えを止めようとするものの、余計に悪化するだけだ。私は冷や汗を滲ませた手でもう一度ゆっくりと下駄箱を開け、手紙に触れる。恐怖を通り越して、気味が悪いと感じた。そっと手紙を取り出してみれば一度目の時よりも重みを感じ、私はそのままポケットに乱暴に突っ込んだ。中に入っているものの予想はだいたいついていたから。

こんなもの見るもんか。
私は心の中でそう強く言い放ち、教室へと向かう。しかし私に襲いかかった恐怖はそれだけでは終わらなかった。



「っ、なんで……」

自分のロッカーを開けた私は思わず小さく声を漏らす。昨日までロッカーに入れてあったはずの体操服が丸ごと姿を消していたのだ。
それだけじゃない。
並べられた教科書の上にも、一枚、私の写真が置かれていた。
私はそれをバッと取り上げぐしゃぐしゃに丸めてポケットに突っ込む。ばくばくと音を立てる心臓が落ち着くことはなかった。

どうして、誰がこんなことをするのか。一体何が目的なのか。恨みがあるのかそうではないのか、混乱した頭のままでは考えるだけで頭が痛くなる。私が自分の席に座って、こうなった原因を必死に探した。もしかしたら自分でも気づかないうちに誰かを傷付けてしまったのかもしれない。だからこんなことをされるのかもしれない。そうやって自分を責めてみても何が解決するわけもなく、時間は流れるがままにホームルームの始まりを知らせる鐘が鳴った。






 結局、考えたところでどうにもならないことを思い知らされた。
気分は沈んだまま、恐怖心は消えないまま授業が始まり、授業中も上の空で午前授業が終わり。昼になっても食欲は減っていく一方で午後の授業が始まった。授業を真面目に聞いていなかったせいで先生に怒られたり、具合が悪いなら保健室へ行けと心配されたり、とにかく散々な一日だ。
ようやく帰りのホームルームが終わると、私は膨らんだポケットの中身を全て鞄に突っ込んで一目散に学校を出て家へと走る。誰の顔も見たくなかった。


 家へ着くと私は鍵を出すためにポケットに手を突っ込んだ。が、どうしてか鍵が入っていない。

(こんな時に……っ)
どうしようもない焦りと苛立ちがぐちゃぐちゃに混ざり合って、私の目から涙が溢れた。それはぼたぼたと頬を伝って地面に落ち、染みを作る。ポケットを両方とも裏返しても鍵は見つからないし、私は息を止めてその場にしゃがみ込んだ。
涙は頬を濡らし、制服を濡らし、それでも止まることなく零れ落ちる。

「う、っぁ……」

必死に声を堪えながら泣いていると遠くの方から足音が聞こえて、私は一瞬だけ閉じていた目を大きく開いた。ようやく我に返り、涙も少し落ち着いてきたようだ。ごしごしと乱暴に涙を拭って立ち上がる。閉じていた門扉を開けて顔を下ろしたまま全速力で向かう先は学校だ。きっと、また学校に鍵を置いてきてしまったに違いない。一刻も早く鍵を探し出すために全速力で走っていると、下を向いていたせいで誰かに思いきりぶつかってしまった。

「ッ、い……!」

どさっと音を立てて私が持っていた鞄が地面に落ちる。それとほぼ同時に相手が持っていた鞄も音を立てて地面に落ちたようだ。

「ってェな……」
「ご、ごめんなさ
「下向いて走ってんじゃねェよ殺すぞ!!」
「っ……え…」

聞き覚えのある怒鳴り声に驚いて顔を上げると、それはやっぱり彼だった。
どうやら彼もたった今ぶつかった相手が私だと気付いたらしく、少し驚いたように私を見つめる。しかし相手が誰であろうと急に突進してきたことに対する苛立ちはおさまらないようで。チッと大きく舌打ちをしながら雑な手つきで自分の鞄を拾い上げた。そして次に彼は私の鞄を拾い上げようとしたのだが


「……は…?」


目を大きく見開いたまま、彼の動きが止まった。それを見た私は不思議に思い彼の視線を追って自分の鞄に目をやる。

「おい、これ……」
「っ、…!!!」

そこにあったのは、先ほど地面に落ちた衝撃で散らばってしまった鞄の中身――つまり私が無造作に突っ込んだ数々の写真だった。
目も向けずにポケットから鞄へと映した全ての写真には、どれも笑顔を浮かべている私の姿が映っていて。それを見た私も彼も、ただただ言葉を失った。私は全身から血の気が引いていくのを感じながらバッとそれらに手を伸ばし、初めて彼に向けて荒々しく声を上げる。

「ち、ちがう、違うの、これはっ…!!」

声を出そうとすればするほど、それに比例して涙が溢れた。


最悪だ。

彼は私を見つめたまま固まっているし、写真をかき集める手はこれ以上になく震えるし。もう死んでしまいたい。そんなことさえ考えながら私は必死に全ての写真を鞄に詰め込んでその場から逃げようと立ち上がる。ふらついた足取りで学校まで走ろうと一歩踏み出した時、彼が咄嗟に私の腕を掴んだ。

「――ッ離し
「逃げんな」
「…!!」

低く、怒ったような声に私は体を強張らせた。きっと顔は真っ青になっているだろう。それでも彼から逃げようと腕をねじれば、さっきよりも強く握られて思わぬ痛みに声が漏れた。

「い、たっ……いたい、離して…っ」
「おかしいだろ、それ」
「……な…なにが
「あ!?その写真以外に何があんだよ!!」

今までで一番大きな怒鳴り声に、びくりと肩が大きく揺れる。恐怖と混乱で頭が一杯になりながら私が俯けば、彼はまた舌打ちを零して私の手から鞄を奪い取った。

「っな、やめて…返して!!」

私も負けじと大きく怒鳴り、彼から鞄を取り返そうと手を伸ばす。しかしその手が彼を止めるより先に、彼は私の鞄を乱暴に開けて中にある写真を取り出してバッと私に見せつけた。
「…や、……っ」
目の前に突き出された写真に、私は思わず息を詰まらせる。その反応を見た彼は、私を睨みつけながら言った。

「これが何なのか言えよ」
「……し、しらな…」
「あぁ!?」
「知らない!!」

自由になった両手で彼の胸を押し返し、私はぎゅっと目を瞑る。最後に零れた涙のせいか、それとも私の悲痛な叫びのせいか、彼は黙ったまま何も言わなくなった。

「だ、誰か分からない、分からないけど…!体操着盗んだり…っ私の写真、勝手に撮って私の下駄箱に入れたの…!!」
「!!」

途切れ途切れに涙声で事実を話す私に、彼はますます言葉を失ったようだ。私はぎゅっと唇を噛み締め、
「鞄返して」
と彼を睨みつける。こんなの、話したところで何も変わらない。少なくとも彼には関係のない話だ。そうは分かっているのに一瞬でも彼に頼ろうとしてしまった自分にひどく腹が立った。それなのに彼に八つ当たりをして、また自分への苛立ちが増していく。

しかし彼は一向に私に鞄を返そうとせず、それどころかまた私の腕を掴んでズカズカと歩き出した。私は咄嗟に抵抗しようと足を踏ん張ったが、静かに放たれた彼の「来い」という声に異様な威圧感を感じ、大人しく彼に引かれて足を進める。



俯きながら歩いていたのと涙で視界が滲んでいるせいで彼の行く先は分からなかったけど、ふと顔を上げた時に見えた彼の家の玄関を見て、また言葉を失った。
ただ今は、抵抗する気にすらなれなくて。恐怖と苛立ちで一杯になっている心を一人ではどうにもできないと分かっていたから、彼が本当は優しいと知ってしまっていたから。彼の背中が、とても心強く見えてしまったから。
私は彼が自分の家のドアを開ける音を聞きながら小さく鼻を啜った。


20150223