yubi | ナノ
 やっと授業が終わって廊下を歩いていたらみょうじさんを見かけたもんで、思わず急に声を掛けてもうた。
するとみょうじさんは驚いたように肩を揺らして振り返る。ワイに視線を向けたみょうじさんは、やっぱ浮かない顔をしとって。どないしたんやろとか思いながらも笑顔は消さず、声の割に幼い顔を見つめ返した。

「あ…鳴子君」
「急にスマン、見かけたから思わず声掛けてもーたわ」
正直あんま反省はしとらんけど案の定、みょうじさんは「気にしないで」言うて控えめに笑いよった。(…また、や)あの日音楽室でみょうじさんと出会ってから、ほんまに少しずつやけどだんだんと距離が縮んでく感じがして、ごっつ嬉しい。窓から呼び掛けてくれた時も、たまたま音楽室からピアノの音が聞こえて半信半疑で行ってみたら朝からみょうじさんに会えた時も、こう、フワフワしたもんが胸を埋めてよう分からん気持ちになるんや。

「そーいやさっきも急に声掛けてスマンかったな」
「あ、いいの気にしないで」

(さっきから"ありがとう"と"気にしないで"ばっかやないかい…)
思わず心の中で静かにツッコミを入れてしもた。みょうじさんはいつ話しても声は小さいわおどおどしてるわ、イマイチ会話が盛り上がらん。せやけどやっぱみょうじさんと話しとると楽しくて……ほんま、不思議やわ。
 ワイがそんなことを考えとると、みょうじさんも考えごとをしとるみたいやった。

「岡田さん?」
「えっ?あ、ううん何でもないよ」
「ならエエんやけど、なあ、さっき……」

「おーい鳴子!」

ハッとみょうじさんが顔を上げて、嘘っぽい笑顔を浮かべる。それに続けてワイがみょうじさんに質問をしようとした時、どこからか聞こえた声がワイの言葉をかき消した。声の主を探すため辺りを見渡すと、少し向こうにパーマ先輩もとい手嶋サンの姿を発見する。
「あっ」
ワイが声を漏らしたのと、みょうじさんがワイの後ろに隠れたのはほぼ同時やった。
(……?)
最初は人見知りでもしとるんかと思ったけど、違う。ちらりとみょうじさんの顔を盗み見ると、まるで何かに怯えるような表情で。せやけどみょうじさんはまるで「話しかけないで」みたいな顔をしとったから、すぐにこちらに向かってくる手嶋サンに視線を戻して軽く頭を下げた。

「やっと見つけた。さっき教室行ったのにいねえから結構探したんだぞ」
「すんません、多分ウンコしてましたわ」
「トイレくらい済ませとけよ」
「せやから済ましに行っとったんですって」

手嶋サンとふざけたような会話をしながら、ほんまは急におかしくなったみょうじさんのことが心配で仕方なくて。(とにかく、早く手嶋サンとの用事を済まさな)そう思いまた口を開く。

「で、何か用スか?手嶋サン」
「まあ大した用じゃねえけど、つーかお前、廊下で女子とイチャつくな……、……え…?」

(は?)
からかうように笑ってワイの後ろにおるみょうじさんを盗み見しようとした手嶋サンが、ありえんモンでも見たかのような顔をして言葉を失くした。さすがのワイもびっくりして顔を顰めれば、手嶋サンが今にも消えそうな声で、言う。


「……なまえ…?」


「なまえ?誰スかそれ」

わけが分からんくて半分イラついた声でそう言ったワイを無視して、手嶋サンがみょうじさんの肩に触れようとした。それを見たワイは咄嗟に「え?」とアホみたいな声を出してまう。
(もしかして、なまえって……)
ワイの予感は的中したらしく、恐る恐る顔を上げたみょうじさんが、真っ青になった顔で手嶋サンを見つめた。(は?…は?何なんこれ、)ワイ完全に空気やんか。

「っ、わ、私、もう教室に、」
「ちょ、待てよ!」

逃げようとしたみょうじさんの腕を掴んで、手嶋サンがそう叫びよった。みょうじさんの華奢な肩がびくりと震えて、それが酷く、見るに絶えなくて。ワイは思わずみょうじさんと手嶋さんに割って入った。

「!……鳴子…」
「スンマセン、…保健室、連れてくんで」
「は?保健室って
「ほんまスンマセン、話はまた部活の時に頼んますわ」

手嶋サンが反論するより先に、ワイがみょうじさんの腕を引っ張って歩き出す。最初は抵抗しとったみょうじさんも、最終的に大人しくワイの後ろを歩いてくれた。
(つかワイ、さっき、)
みょうじさんの腕を引きながら、昼休みにみょうじさんにペンを届けに行った時にふと聞こえた会話を思い出す。

「てっきり彼氏かと思った」
「そんなのいないよ、いたこともないし」
「そうなの?」
「うん。でも今のメールは、すごく感謝してる人だよ」
「へえ…先輩とか?」
「わ、当たり。よく分かったね」


みょうじさんに彼氏がおらんとか、いたこともないとか、ありえんやろ。あんだけ綺麗なピアノ弾けて、大人しくて女の子らしくて、そんで優しいとか男がほっとくハズないわ。(…まあ、居たら居たで、困るんやけど)心のどこかで呟いたそんな言葉にぶんぶんと首を振り、先ほどの自分が言おうとして言えんかった言葉の続きを頭に浮かべる。

「ならエエんやけど、なあ、さっき……」

――さっき話してたのって、ほんまなん?

(何聞こうとしとんねん、アホか)
照れ隠しかなんかの嘘に違いないと思っとるクセに、ほんまに嘘やったらどないしよ、とか思いながら、よう分からん感情に振り回されとる自分を心の中で笑ってやった。


20140825