yubi | ナノ
 みょうじさんは保健室に着くまでも着いてからも、俯いたままこっちを見てくれんかった。
保健室のドアの前に立ち、ゆっくりとみょうじさんの手を離す。すぐに重力に抗うことなく下ろされた手が、ほんの少し痛んだ気がした。静まり返った廊下とか、外から微かに聞こえてくる生徒たちの声とか、全部がワイらの気まずさを倍増させる原因となって。やっと声が出たかと思えば、とんでもない言葉が出てきてもうた。


「…さっきの、何なん」

みょうじさんに背を向けたまま、保健室の中にまで聞こえんようになるべく小さい声でそう言う。みょうじさんは何も答えてくれんかった。けど、何秒か間を開けて、微かに震えた弱弱しい声で返す。

「ごめんね。なんか、迷惑掛けちゃって」

思わず振り返ったワイに、苦しそうな笑顔をみせよった。
(……、は、)
その笑顔があまりにも胡散臭くて、妙に腹が立ってもうて。大丈夫だよとでも言わんばかりに笑とるんやから放っとけばええんに、ワイはその細い腕を再び掴んで問い直した。

「っ、鳴子君、」
「答えになっとらんわ」
「……、…本当に…大丈夫だから」
「嘘や。手嶋サン、みょうじさんの名前呼んだやろ」

二人してあんな顔、なんにもないワケないやんか。そう続けてみょうじさんを見つめれば、薄い唇を噛み締めてみょうじさんは黙り込む。責めるつもりなんかこれっぽちもない、むしろ心配しとるんに。ワケの分からん感情がぐるぐると胸の中で渦巻いて、どうしても責めるような口調になってしまう。

「…なまえって、言うんやな」
「!」
「初めて知ったわ」
「……言ってなかった、よね」

また、胡散臭い笑顔。この顔、メッチャ嫌いやわ。

「手嶋さん…だっけ、すごいかっこいい人だったから、吃驚しただけだよ」
「せやかて自分、あんな
「本当に何もないから」
「……、…せめてその顔、何とかせえ」
「え、」

ゆっくりとみょうじさんの腕から手を離して、笑った。
「ひどい顔やで。せっかくカワエエんが台無しやわ」
するとみょうじさんも困ったように笑って「褒めてるのか貶してるのか分かんないよ」と返す。(…アホ、褒め言葉に決まっとるやろが)そう心の中で呟きながら、頭の後ろで手を組んだ。

「ほな、ワイそろそろ行かんと」
「あ、うん、そうだよね。……、」

「なあ」
「ねえ」

 被ってもうた。
ワイらは顔を見合わせて、思わず笑う。ほそっこい腹を抱えながら笑いを堪えるみょうじさんを見て、こんな顔もするんやなと思った。そんなことを考えながら無意識にみょうじさんを見つめると、バチリと目が合って、また少し笑いが零れる。

「鳴子君、先に言って」
みょうじさんの言葉を合図にワイはまた口を開いた。

「…スマンかった。責めるような言い方して」
「う、ううん。私の方こそ…ごめんね、鳴子君」
「何でみょうじさんが謝んねん」

そう言ってみょうじさんの頭をポンと叩くと、みょうじさんは楽しそうに笑いながら口を開く。

「…私、鳴子君の八重歯、好き」
「え、」

一瞬体がビクリと震えて、思わず目を見開いてまう。照れ臭そうに笑ったみょうじさんは、ワイの目にはまるで天使のように映った。大天使ミカエルや。

「かっこいいけど、ちょっと可愛いから」
「…おっ、お、おおきに!見たくなったらいつでも見せたるで!」


(や、 や、やば、い)

たとえ八重歯でも、ワイ本体やないとしても、みょうじさんの口から「好き」って言葉を聞いただけで心臓が爆発しそうになった。もしかして、もしかするとワイは、……

「それじゃあ鳴子君、またね」
「お、おん!ほな!」

逃げるようにみょうじさんに背中を向けて猛ダッシュ。一段飛ばしで階段を駆け上がり、踊り場の壁に手を付いて息を整えながら髪をメチャクチャにかき混ぜた。

(何なん、なんなん、なんなんコレ!?)

心臓がアホみたいにうるさくて、顔も体も熱くて逆上せそうや。どんなに頭をぶんぶんと振っても、目をぎゅっと瞑っても、みょうじさんの笑顔が頭から離れへん。みょうじさんの腕、細くて白くて、ほんで、やわっこかった。ワイの腕とは大違いやった。近くで見れば見る程顔も声もキレイで優しくて、もう、頭ん中ずっとみょうじさんだらけや。

「どないしてくれるん…ほんまに……」

ガン、と壁に頭を叩き付けると、たまたま通りかかった先生にメッチャ心配されてもうた。せやけどコレ全部、みょうじさんのせいやねん。

(……あかん、あかん、これ、)


 ワイ、鳴子章吉は、きっとおそらく、みょうじさんに惚れました。


 20140903