kirakira | ナノ
 俺は急いでいた。
別に何か急がなければならない用事があるわけでもなく、時間に押されているわけでもなく、ただ何となく急いでいた。だから無表情で廊下を急ぎ足で歩いているのだって悪気はないし、わざとでもない。だからといって、前から歩いてきた女子生徒にぶつかって鞄の中身を軽くぶちまけてしまったこの状況がどうにかなるわけではないらしい。

「ご、ごめんなさい」

俺より先に何故か女子生徒が謝罪の言葉を口にした。しかも敬語で。俯いているから顔がよく見えないが、上靴の色からして同学年であることは確かだ。

「俺の方こそ悪かった」
そう言った俺になど顔を向けずに、廊下に散らばった俺の鞄の中身を焦った手つきで広い始めた女子生徒。こいつ人の話聞いてるのか。そう思いつつも俺も急いでノートやらを拾う。しかし、これがまずかった。もう良いからと言ってこいつを払いのければ良かったというのに、今世紀最大の失態だ。

「あ………」

 こいつが最後に拾い上げた四角いケース。それは他の何物でもない、ブルーレイディスクのケースだ。それを手にしたまま唖然とした表情でそのパッケージをガン見するこいつを見て、俺は青冷めながらケースを奪い取った。

"ラブ☆ヒメ ブルーレイ初回限定版"

死にたい。今の気持ちを簡単に現わすとその言葉が最適だ。これから小野田の所に行って返そうと思い持ってきたのだが、こんなことになるなら返すのは明日にすれば良かった。俺は小野田に借りていたラブヒメのブルーレイ第二巻を光の速さで鞄に突っ込み、その場から逃げるように立ち去ろうと足を浮かせる。しかし。

「あっ あの!!」

さっきの謝罪とはまるで違い、大声で俺を呼び止めたこいつはご丁寧に俺の制服の裾まで握り締めている。俺はどんな顔をして振り向けば良いのか分からず、というより早くこいつの前から消えたい一心で「何だ」とだけ返事をした。すると返ってきた言葉に、俺は度肝を抜かれることになる。

「私もラブヒメ好きだよ!」
「………は…?」

あまりにあまりすぎる予想外の言葉に顔を引きつらせて振り向けば、そこには今言ったのは別人なのではないかと思ってしまうくらい顔の整った女が立っていた。目をこれでもかというくらいに輝かせて、顔を真っ赤にして嬉しそうに笑っている。
(…この目、どこかで……)

「さ、さっきの二巻だよね?ってことは一巻はもう観た!?私、三話のことりちゃんとメージュの掛け合いがすごく好きなの!あ、中学の時は友達もラブヒメ好きだったんだけど、高校入ってからは全然ラブヒメ好きな人に会えてなくて…だからあの、
「ま 待て、分かったから、待て」

いつの間にか俺の制服から手を離し、両手を使って力説するこいつにさすがの俺も動揺を隠せなくなる。小さい顔の前に手を出して止めに入れば、正気に戻ったのか照れ臭そうな顔で「ご、ごめんね、つい嬉しくて…」とまた謝られてしまった。

「……あの、今泉君…だよね?」
「!」
何で知ってるんだ。そう言わんばかりの俺の表情に気付いたのか、
「い、今泉くん、何でもできるイケメンで有名だから…」
と言って今度は控えめな笑顔を見せた。
「今泉くんがラブヒメ好きだなんて知らなかったよ!あっそういえばアニメのエンディング変わったよね!前のもすごく良かったけど新しいのもラブヒメの世界観にすごく合ってて
「だから、待て」
「! っあ……ご、ごめんなさい…」

放っておけばすぐにマシンガントークをする当たり、こいつは本当の本当にラブヒメが好きな所謂"オタク"なのだろう。一般人にさっきのパッケージを見られてドン引きされるのも最悪だが、これもこれで"良かった"と言える状況ではない。
 俺が言った待てという言葉にショックを受けたのだろうか、今度は申し訳なさそうに視線を下げた。少しは落ち着いただろうか。

「悪いが俺は別にラブヒメが好きなわけじゃない」

わりとバッサリ切り離したつもりだったのだが、こいつは簡単に信じてはくらないらしい。そりゃそうだ。こいつからしてみれば俺は"やっと見つけた同志"なのだから。
しかしこれ以上ラブヒメオタクという変なイメージを持たれても困るのでそろそろ本気で否定をしようとした時だった。

「あ、名字じゃん」
「!」

俺たちの微妙な空気など気にせずこいつに声を掛けた、やけにスカートの短い女子生徒。おそらくこいつの友達なのだろう、笑顔で手を振って応答するこいつを見ながら、俺の頭にひとつの疑問が浮かんだ。
("名字"……?)
どこかで聞いたことがある気がするが、勘違いだろうか。そんなことを考えているうちに女子生徒は廊下の向こうへと消えていった。

「今の、友達のさわっちだよ」
「…そうか」

聞いてもいないのに丁寧にそう説明してきたから適当に相槌を打つのと、"名字"という名字の正体を思い出すのは同時だった。

「お前…もしかして、名字名前 か?」
「えっ、知ってたの?」

(ビンゴかよ…)


 "名字名前 "。俺も、こいつのことは知っている。
知っていると言ってもそこまで詳しいわけではないが、名前は何度も耳にした。特別勉強ができるわけでもない、特別運動ができるわけでもない、それなのにかなりモテる女が他クラスにいると。そうクラスメイトが力説してきた時、俺は全く興味がないため相槌しかしなかったが話は一応聞いていた。まさかそんな奴が、こんな、こんな……

「…お前…ラブヒメ本当に好きなのか…?」
「うん!好きってレベルじゃない!ラブヒメは私の人生そのものと言っても過言ではないし、生きてる理由は何ですかって言われて一番に思いつくのはラブヒメだしそれにことりちゃんやメージュや有丸君の幸せは私の幸せで
「十二分に分かった」

人は見かけによらない。そんな言葉をよく耳にするが、全くもってその通りだ。
 特別勉強ができるわけでもない、特別運動ができるわけでもない、それなのにモテる理由は、"顔"だと。クラスメイトはそう言っていたのを続けて思い出す。小野田みたいな奴がオタクなのは正直とても納得ができるのだが、まさかこんな奴までオタクだとは、……ん?

(ああ、そうか)

「ねえもし良かったらその、メアドとか…交換しない?見て欲しい画像とかたくさんあるし、それに、話したいことも!っていうよりは語りたいことがたくさんありすぎて、もう…!」

 このノリ、このマシンガントーク、そしてこの楽しそうな表情。俺の身近な誰かに似てると思ったんだ。

「ちなみにラブヒメの他に好きなアニメってある!?」
「べ…別に、ドラえもんくらいだが…」
「ドラえもんかあ、すっごく良いよね!深い!Fさんが描く未来観と人間観にはものすごい深みと温かみがあるんだよ!アニメ版の声優さんたちも板についてきてますます面白くなってるし!」


(小野田だ……)

 どういうわけか俺はとてつもなく不可解なルートで、男子から壮絶な人気がある名字名前 とのメアド交換を果たしてしまったのだった。


 20140722