kirakira | ナノ
 昨晩、初めて今泉君がラブヒメの話をしようと誘ってくれた。
私は電話を切ってから寝るまで、起きてから学校に向かうまで、ずっとずっと嬉しい気持ちで一杯だった。あの今泉君が私なんかとの約束を守ってくれたという嬉しさと、ラブヒメの話をできる嬉しさ。比べると約束を守ってくれたことの方が嬉しくて、不思議とドキドキしてしまう。

 思えば、今泉君とよく話す(というよりは話しかける)ようになってから、私は不思議な気持ちになることが多かった。
"不思議な気持ち"は二つある。一つはどうしようもなく幸せな気持ち。今泉君に声を掛けた時に振り向いてくれた時や、ちょっとだけ頬を緩ませて笑顔を見せてくれた時、それと、私に優しくしてくれた時。色んな時にこの幸せを感じるのだ。
そして二つ目、これはきっと、あまり良いものではないと思う。
 昨日、今泉君とさわっちが二人で話しているのを見て、私はすぐに声を掛けることができなかった。どこか真剣そうに話している今泉君とさわっちの距離が、私と今泉君との距離よりも近く見えたような気がしたから。

(…変なの)
ずっと二人が並ぶ姿が頭の中をぐるぐるしていて、不安になった。ほんの少しだけ、悲しくなった。

 いつも練習続きで疲れているであろう今泉君のために買ってきたチョコレートを結局かばんにしまったまま、私は今泉君に会うため教室を出る。昨日の電話のおかげで足取りは少し軽くなったけれど、よく分からない二つ目の不思議な気持ちはまだ胸に残っていた。



「今泉君!」

今度は今泉君を見かけると同時に声を掛けて駆け寄った。私に気付いた今泉君は少し姿勢を正して、「よう」と短く挨拶を返す。
こちらを見つめる今泉君に、ちょっとだけ気まずさを感じたような気がした。気がしただけ、だろうけど。(だって今日は…いつも通り、だし)

「ごめんね、待ったよね」
「そんなに待ってねえから気にするな」
「あ…ありがとう」

廊下の隅っこで、壁に寄りかかりながら今泉君を肩を並べる。何だかんだ言って、今泉君は良い人だ。ちゃんとこうして話す時間を作ってくれるし、文句なんて聞いたことがない。でも、優しいから、良い人だからこそ、今泉君はさわっちともあんな風に話すのだろう。そう考えると、また、嫌な気持ちがこみ上げてきた。

 ただの思い込みだとは分かっていても、そんなことばかり考えて今泉君との時間が全然楽しく感じられない。今はそれが一番、辛かった。


「……名字?」
「!、え……あ、えっと、ごめん…何だっけ、」

つい考え込みすぎて、今泉君の話を何も聞いていなかった。急に黙ってしまった今泉君に、胸が痛んだ。
(…全然、楽しそうじゃない)

「あ…あの、」
「名字」
「っ、はい…」

思わず敬語で返事をすると、今泉君は無言のまま私の頭に手を置いた。


「…、……え…?」


そのままわしゃわしゃと軽く髪をかき混ぜられて、言葉が出なくなってしまう。てっきり怒られると思っていたから、突然の展開に頭が回らない。何て言ったら良いのか分からずに今泉君を見つめると、今泉君はハッと我に返ったような表情になり慌てて私の頭から手を離した。

「わ…悪い、」

驚きと緊張で、きっと漫画やアニメなら頭の上にはハテナがいっぱい浮かんでいる。さっきまでごちゃごちゃ悩んでいたのが嘘みたいに、頭の中が空っぽになった。

「昨日、何か…違ったから」
「え…?」
「……スゲー余所余所しかった」
「!」

 おそらく今泉君も、私と同じように悩んでいたのだろう。私が変な思い込みをしたせいで、わざとではないけれど余所余所しい態度を取ってしまったせいで。

「……ごめん」

誤魔化さずに頭を下げると、今泉君は少し驚いたような顔を見せた。でもそれがだんだんと"安心した"とでも言わんばかりの顔になって、私まで少し安心してしまう。

「俺が何かしたなら謝ろうと思っただけで、お前を責めたわけじゃない」
「でも…そう思わせちゃったのは事実だし」
「それなら俺だって同じだ」
「…?」

今泉君の言っている意味がイマイチ分からずに顔を上げると、今泉君がバツの悪そうな顔で言った。

「お前、さっきからずっと"気まずいです"って顔に書いてあったぞ」
「えっ」
「その理由、少なくとも俺のせいなんだろ」
「そ、それは……」

それは今泉君のせいじゃない。そう呟くと、今泉君は少し呆れたような溜め息を吐いた。

「いつもうるさいくらい喋るくせに」
「!」

だけどすぐに優しい表情をして、そう言う。今泉君は少し、ずるいと思った。

「でももう、大丈夫なのか?」
「……うん」
「ならこの話は終わりだ」
「っ ま、待って!」

私は思わず今泉君の制服を掴んで大きな声を出してしまったが、それを反省するよりも先に口から言葉が零れて、私は今泉君を真っ直ぐに見つめる。話を終わらせる前に、ふたつ、確認したいことがあった。いや、確認したいことというよりは、取り除きたい不安。



「ラブヒメ、好きだよね?」
「…は?」

今泉君は何言ってるんだコイツというような目で私を見たけれど、そんなの構わずに私は続ける。

「それと、わ、私のこと……面倒って、鬱陶しいって思わない?」
「!」
「私、嬉しかったりテンション上がるとすぐ色々爆発しちゃって、その」
「…名字、」
「困らせたり…うざがられたり、きっとそういうの多くて、でも…今泉君とはそういう風になりたくない、って思ってて……あの
「名字」

ぽん。言い終える前に、今泉君がまた私の頭に手を置いた。私は二度目なのに吃驚してしまって、思わず口を閉じてしまう。しかしきっと今泉君はそれが狙いだったのだろう、「もういい、分かったから」と小さな声でそう言いながら私から顔を逸らした。

(……また、やっちゃった…)

きっとすごく、困っただろう。今泉君はいつまで経ってもこっちに顔を向けてくれないから私は余計に気まずくて。

「ご、めん……、ごめん…なさい」

今にも消えてしまいそうな声で謝ると、今泉君は顔を背けたまま言った。

「ラブヒメもお前も、嫌いじゃねえよ」
「…!!」

その声がちょっとだけ嬉しそうで、照れ臭そうで。

「ほ、本当に?」
「嘘に聞こえるのか」
「ううん…!そうじゃなくて、その…嬉しくて」

私は思わず今泉君の手を握り、「これからもよろしく」と伝えた。せめてラブヒメは好きと言ってほしかったけど、今はこれで十分だ。嬉しすぎるくらいに。

「ありがとう、今泉君」

あとで渡せなかったチョコレートを今泉君のクラスまで持って行こう。そんなことを考えながら笑顔を向けると、今泉君もちょっとだけ笑ってくれた。

「変な奴」


今はこれで、本当に、十分だ。



 20140923