kirakira | ナノ
 夜、いつものように自主練を終えて雑誌を読んでいると珍しく携帯が着信を知らせた。
こんな微妙な時間に電話を掛けてくる人物になどもちろん心当たりはなく、雑誌も良いところだったから無視でもしようかと思った時。ちらりと目に入った名前に俺は思わず通話ボタンを押してしまう。

「…もしもし」

返事はすぐに返ってきた。

『あ、もしもし今泉君!?』

聞こえた声はいつものハイテンションな名字の声。突然の着信に何かと思えば名字は相変わらず楽しそうな声で言った。

『急にごめんね、今やってるバラエティでラブヒメの特集やってるから思わず電話しちゃった』

電話の向こうで苦笑しているのだろう、機械音の混じった息継ぎの音が聞こえて少しむず痒い気分だ。とりあえず俺はテレビの電源を付ける。と、たまたま映ったのは名字の言っている番組だった。確かにラブヒメの特集のようなものが映っている。わざわざこれを見せるために電話してきたのか。

『ご、ごめんね、もしかして忙しかった?』
「……いや、別に構わない」
『そっか、良かった』
「ああ」

正直、電話はあまり得意ではない。それが女子、いや名字なら尚更だ。だが名字は善意で俺に電話を掛けてきたのだから責めるわけにもいかず、というより責める理由もなく俺は口を紡ぐ。

(……何を、言えばいいんだ)
俺にとっては気まずい沈黙だった。用件は済んだだろうし、もう電話を切っても良いのだがなかなかそれが言い出せない。名字は今どんな顔をしているのだろう。分からないから余計に気まずさが増した。

「…なあ」

思い切って発した声。名字はすぐに「どうしたの?」と返事をする。

「今日の放課後…その、さわっち…が言ってたんだが」
『さわっちの名字は、澤山だよ』
「!」

拗ねたような声だった。俺は思わず一度口を閉じてしまう。つまり、さわっちと呼ぶなということだろうか。少しの沈黙の後、名字が口を開く。

『…それで、何だっけ』
「ああ、いや……、何でもない」
『えっ』

それはずるいよ、とふざけたように言われて俺は思わず唇を噛み締めた。どうして澤山が俺にあんなことを言ったのか、どうしてさっきはあんなに余所余所しかったのか。聞きたい事は頭の中でまとまっているのにそれがどうしても声に出せない。悔しさと不甲斐なさで腹が立った。

『…ねえ今泉君、』
「! あ、ああ、何だ」
『さっき、具合悪かった?』
「?…いや、特には」
『そっか』
「何だよ、いきなりそんなこと聞いて」
『…ううん。少し、元気なさそうに見えたから。でも私の勘違いだったみたい。…ごめんなさい』

また敬語を使われた。いや、それよりも思わぬ質問に少し驚いてしまう。
(あの時、そんなことを思ってたのか…)でもやはり、態度が余所余所しかった原因は分からずじまいで。

「…変わってるな。お前」
『え、そ…そうかな?』
「別に馬鹿にしてるわけじゃないからな」
『馬鹿にされたかと思った』

そう言われて思わず頬が緩んでしまう。これが電話で良かったと初めて思った。
 もしかしたら先程の名字の態度は、俺の気のせいなのかもしれない。今はこんなにも普通に話せているのだから。そう思うと少しだけ胸が軽くなったような気がして、不思議な気持ちになった。

『あ、それじゃあそろそろ切るね』
「! ――名字、」
『え?』

おやすみ、と続けようとした名字の声を遮り、俺は頭で考える前に思わず口走ってしまう。

「明日の昼休み、空けておけ。ラブヒメの話するんだろ」


しまった。そう思った時にはもう手遅れで、さすがの名字も驚いているのか耳元から名字の声が消える。(まずい、さすがに引かれた…か?)しかしそんな俺の戸惑いは無意味だったらしく、名字は嬉しそうな声で「本当に!?」と答えた。嘘を言ったわけではないが今の発言は取り消しできないだろうか。
(…無理、だよな)

「あ、ああ。約束…しただろ」
『うん、すっごく嬉しい!楽しみにしてるね!』

名字の声がだんだんと遠くなっていく。「それじゃあおやすみ」という声と共に電話が切られ、俺はそのまま携帯を握りしめた手をだらんと下ろした。
最悪なのは、名字とラブヒメの話をする約束をしてしまったことじゃない。名字から電話がかかってきたことでもない。最悪なのは……――

「……っ、」


 電話を、切りたくない。まだ話していたい。一瞬でもそう思ってしまった自分が居たことだ。


 20140902