mitei | ナノ
 昼休みに廊下を歩いていると、少し向こうに見覚えのある黒髪を見つけた。
(…あ)
なよなよした細い体。あれは間違いなく名前さんだ。ボクは廊下で名前さんを見かけたことがなかった(というよりは意識したことがなかった)から、話しかけようか迷ってしまう。しかし別に用もないし、話しかけてもシラけるだけか。声を掛けるのはやめておこう。そう思い、止めていた足を浮かせた時だった。

「ほんとにありがとね、名前!」
「マジで助かったよ〜」

ふと耳に入った名前に、ボクは浮かせていた足を地面に付けて再び立ち止まる。声が聞こえた方を見ると、名前さんが二人の女子生徒に感謝をされているようだ。(友達…か?)

「ううん、いいよ気にしなくて」

相手に掌を見せてそう笑う名前さんの顔は、どこか無理をしている気がしてボクは首を傾げる。それじゃあまた、と言い残し二人の女子生徒が名前さんの元を去った。その隙を見てボクは名前さんの方へと足を進める。

「名前さん」

何も考えずに声を掛けると、名前さんは笑顔で返してくれた。
「あ、小鞠君」
「ここ一年生のフロアですけど、何か用事でもあったんですか?」
まあ用事があったからここにいるんだろうけどと心の中で思いつつもそう尋ねると、名前さんは苦笑しながら「あ、うん、ちょっと頼まれて」とだけ口にした。

「頼まれた?」
「そうだよ」
「さっきすごい感謝されてましたね」
「あれ、見てたの?」
「はい」

ボクが頷くと名前さんは「そっか」と言ってまた苦笑いを零す。明らかに昨日とは違うその笑顔に少し違和感を感じて、ボクは思わず名前さんを見つめた。

「頼まれたの、嫌だったんですか?」
「え?」
「なんか、そんな顔してますよ」
「あ、そ…そうかな」
「嫌なら断れば良いじゃないですか」
「…断りは、しないよ」
「!」
「頼られるのは悪いことじゃないから」
「……そうですか」

名前さんと会話をするのはこれで二回目。たったの二回。
でも、ボクには分かったことがある。

「もうすぐ休み時間終わっちゃうね」
「ああ、本当だ」
「私そろそろ教室に戻らないと」

そう言って少し急ぎ足でボクの横を通り過ぎていった名前さんの背中を、ボクは思わず引き止めてしまった。ふわりと香った優しい匂いは、名前さんのものだろうか。

「名前さん」

控えめに振り返った名前さんの顔を見つめたまま、ボクは言う。

「今日も御堂筋さんのこと観に来るんですか」
「うん、行くよ」
柔らかく笑って頷いた名前さんに、少しだけ心臓が騒いだ。

「小鞠君は、マッサージャーなんだよね」
「! …知ってたんですか?」
「うん。翔に聞いたから」
「やっぱり名前さんって、御堂筋さんと仲良いですよね」
「うーん、どうかなぁ。翔いつも素っ気ないから、仲が良いって感じたことはないかも」
「それは御堂筋さんが不器用なだけだと思いますよ」
「不器用?」
「何でもないです」

 ――ボクが分かったこと。
二回目に交わした会話の中で、ボクは、確かに確信した。ボクはこの人に興味がある。もう少し親しくなってみたい。いつもは人の筋肉ばかりを見ているけれど、この人には全くと言って良いほど筋肉が付いていない。じゃあボクがこの人の何を見ているかって、それは、

「それじゃあまた、放課後に」

ころころ変わる表情とか、感情の変化とか、そういう内面的なものだ。


 20140616