Pampelmuse | ナノ
 寮に戻ると入り口の所でカゲトラに会った。カゲトラは私に気付くとすぐに笑顔で声を掛けてくれたから私も乱れた呼吸を整えながら挨拶を返す。と、そんな私を不思議そうに見たカゲトラが一歩二歩と私に近寄りながら問いかけてきた。

「名前、何かあったのか?」
「えっ…なんで?」
「いや、何というか…何となくだ」
「そ、そう……気のせいじゃない?」

私は誤魔化すように笑いながら靴を脱いで寮の中に足を踏み入れようとする。しかし、いつもなら全然気にならない程度の段差に足を取られて大袈裟によろけてしまった。
わ、と短く声が漏れたと同時に、すぐさまカゲトラのしっかりした腕が伸びてきてそのまま私はカゲトラの腕の中へと収まる。ぼすんと布同士が擦れる音と同時に視界が真っ暗になって一瞬何が起きたのか理解できなかった。

「っあ……ご、ごめ、ん」

思わず震えた声で謝れば、カゲトラは私を支えながら少しばかり困ったように笑って言う。

「不運から、ドジになったみたいだな」
「!!」
「…何か悩んでることがあるんじゃないのか?」
「そ…それは……」

その質問は、前にも一度されたことがあった。あまりに確信をついてくるようなカゲトラの視線から逃げるように顔を伏せれば上から「西条ミカドのことか?」なんて声が降ってきて、どうしようもなく胸が苦しくなる。この質問も、二回目だ。カゲトラはゆっくりと私から手を離し、心配そうに私を見つめる。(…なんで、カゲトラが……) 確かに前にカゲトラの口からミカドさんの名前が出てきたことがあったが、どうして私がミカドさんのことで悩んでいるのに気付いたのか、何と答えれば良いのかたくさん考え過ぎて逆に何も言えなくなってしまった。するとカゲトラが先ほどよりも小さな声で言う。

「あいつがお前のことを随分と気に入ってるらしいな」
「! え、……」
「この前食堂で、アラビスタの…たしか青菜とかいう奴と少し話したんだ」
「…シンジ先輩と?」
「ああ。話と言ってもすれ違いざまに声を掛けられた程度だが」
「……その…何を話したの?」
「はっきり覚えてるわけじゃないが、"ウチんとこのミカドがいつもちょっかい掛けてるみたいで悪い"と言っていた」
「…!」

(…ちょっかい……)
たしかに、結構な割合で声をかけてくるのはミカドさんの方だが私は別にそれが嫌だなんて思ってない。むしろ、なんて考えてしまう自分を叱るようにぶんぶんを首を振る私を見てカゲトラは首を傾げたがすぐにまた口を開いた。

「まあ名前があいつに構われたくないなら無理して関わることもないさ。それに他国の生徒とあまり親しくしていても…」
「!!……あ…」

何気ないカゲトラの言葉に、私はひどく胸が痛むのを感じた。
(……そう、だよね…) そうだ、好きになったら怖いだなんて、釣り合わないなんて思っていたけどそんなのはこれっぽっちも意味なくて。そもそも私とミカドさんは関わってはいけなかったのだと思い知らされたような気分だ。

「……名前?」

カゲトラが心配そうに私の顔を覗き込もうとしたから私は慌てて笑顔を作って顔を上げる。

「う、ううん!カゲトラの言う通りだよね、わ、私とあの人は…他国同士、だし……」

だんだんと語尾が小さくなってしまって、きっとカゲトラには上手く伝わらなかっただろう。そう思ったがカゲトラはゆっくりと俯いた私を見て、また少し困ったように笑った。そして私の頭をぽんと叩き、何度か撫でるように手を動かす。とても優しい手つきに私はハッと顔を上げた。

「……俺は」
「…?」
「名前はもっと自分に自信を持つべきだと思うぞ」
「え……」
「今のはあくまで一つの考え方だ。お前たちが関わることが義務ではないのと同じように、お前たちが関わってはいけないという決まりもない」
「!」

まるで、私の心のもやもやの原因が全て分かるとでも言わんばかりの口ぶりだ。私は目を丸くしながら、小さな声でぼやくようにカゲトラに言う。

「……自分が、こんな私が、ミカドさんを好きになっても…きっと困らせるだけだよ」

そんな私の素直な言葉に驚いたのか、カゲトラは何も言わずに目を見開いた。唖然と瞬きを繰り返すカゲトラを見上げ、私は訴え掛けるように眉間に皺を寄せる。

「私は…運が悪くて、貧相で取り柄もなくて…っでも、あの人は……」


「全く、君は危なっかしいね」

「これ使って帰りなよ」

「また、何か嫌なことがあったのかい?」



「っきれい、で……優しいの…私、ミカドさんが優しいこと誰よりも知ってるの…!」
「!……名前…」
「ミカドさんは、っ人気者だから…女の子にも囲まれて笑ってるけど、あの女の子たちの中の誰よりも、私はミカドさんの"顔"じゃなくて"ミカドさん"のことが…っ…!!」

言いかけて、ひゅっと息を飲んだ。きつく唇を噛み締めてカゲトラから目を逸らす。
ずっと、ずっと心の中で悩んでたこと、ずっとどうしようもなく嫉妬してたこと、本当は……――ミカドさんを好きになりたいと願ってしまっていたこと。全てがカゲトラに見透かされているような気がして、私は必死に涙を堪えた。

(ミカドさんが、好き)

どんなに唇を噛み締めても、息を殺しても、心の声は消せなくて。彼が好きだと、とっくに彼を好きになっていたのだと自分の本音が体の奥底から溢れてきた。

「っ、う…ぁ……」
短く呼吸をしながらその場に蹲ろうとした私の肩を、カゲトラは優しく抱いた。そして控えめな笑顔を見せると、落ち着いた優しい声で私に言う。


「"好きになる"ことが怖いなら、関わらないのが一番だ。……だが、今のお前にそれができるか?」
「!!ッ……」
「気持ちを隠したところで自分が傷付くだけだろう」
「…で、でも……」
「名前」

自信を持て、とそう言って私の背中を軽く押したカゲトラにまた涙が溢れてきた。それ以上何も言うことなく男子寮へと入っていったカゲトラの後ろ姿を見つめながら、私は自然と心が軽くなるのを感じる。

軽く押された背中から、じんわりと勇気が湧いてくるようだった。


20150209